【07】空を飛ぶ為に【10】
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「レッタさんが居てくれて、よかったです」
みんな寝静まった深夜、眼鏡を外した少女マキハは、隣のソファで猫みたいに体を丸めている少女レッタに話しかけた。
長い黒緑色の髪をソファから垂らして、レッタはマキハを見ていた。
「どうして?」
「代わりに、怒ってくれたのが。嬉しくて」
「うん? そうなの? 私がそうしたかっただけだよ」
レッタが言うと、マキハは布団で口元を隠す。
「正直に言ったら、わたし、すごく……。すごく、胸が軽くなる思いでした。
……わたし、いつもあの人にイジメられていて……。
いつも、言いたいことも何も言えなかった」
「そうなの? 言いたいこと、言えなかったんだ?」
「はい……。あの人は……この領地の、逆らう人や、気に食わない人を、力でねじ伏せるんです。
あの人、剣の腕もあるみたいで……それに、すごい強い用心棒もいて。とにかく、怖くて」
「そうなんだ」
「はい。だから、あの時、あの憎い貴族が殺してもらえる。って思った時に、
その、よくないこと、って分かっていても、喜んだんです、わたし」
マキハは、一つずつ、丁寧に言葉を紡いでいた。
「喜んじゃダメなの?」
「……分からないです。でも、そういう自分の心が怖くて」
「それで、私を止めたんだね」
「はい……」
レッタはくすくす笑う。
「すごく、まともで、一般的で。いいと思うよ」
「でも、一般的だと……わたし、何も変わらないから」
「変わりたいの?」
「……はい。出来るなら、もっと、強く……飛びたい」
「飛びたい?」
「はい。その……王鴉みたいに、自由に。自由に飛びたいです」
窓から、月明かりが二人を照らすように差し込む。
沈黙があった。
お互いがお互いを見ていた。
レッタは、窓の向こう側の月を見た。
「『臆したら負けだ、死ぬしかない』」
「え?」
「私が救われた言葉。師が、くれた言葉」
あ。師には内緒だからね、とレッタは付け加えた。
「……臆したら、負け」
「臆さず、つまり、ビビらずにいればいいんだよ。
マッキーの言葉で言うなら、空を飛ぶためには、空を怖がっちゃダメだよね」
「……そうしたい、けど……」
「そうだね。最初は難しい。ああ、そうだ師が当時、色々教えてくれた時、言ってた。『知らないから怖いんだ』、って」
「え?」
「マッキーは、殴られるのって、怖い?」
「そ、それは怖いですよ」
「じゃぁ、一度殴られるといい。ガーちゃんに頼もうかな」
「え、ええ」
「……顎の下を殴られる痛みと、肩を殴られる痛みと、お腹を殴られた時の痛みは、全部違うよ」
レッタは、顎はね、と自分の左腕で左の顎を殴るジェスチャーをして見せた。
「顎は、頭が揺れる感じ。肩はじんわり痛い。お腹は、燃えるような痛みがするの」
レッタは自分の毛皮に包まりなおす。
「自分が……何を怖がっているか、分かれば、何も怖くなくなるよ」
「自分が何を、怖いか……」
こくん、こくんと、レッタはうとうとと舟を漕いでいた。
「私は、言いたいことや、やりたいこと、出来なくなるのが。
……一番、嫌。ああ、それが、自由なのかも……ね……」
喋りながら、レッタはすやすやと寝息を立てた。
◆ ◆ ◆
「何故、勇者たちは、動かないんだ?」
領主代行にして、ギルドマスター──彼の名前は、トゥッケ。
全身に大怪我を負ったトゥッケは、翌日──昼過ぎ、目を覚ますなり、分厚いステーキと丸々と育ったロブスター、蜂蜜を使ってソテーした詰肝脂を持ってこさせた。
それらを汚く食べ残しながら平らげて、品性の欠片もなくゲップをしてから、自分の指に付いた油を舐めとる。
「坊ちゃん。昨日の決闘で、坊ちゃんが負けた時、あの少女は、もう二度と関わるな、と伝えたそうです」
「だからどうした」
どんっ、と机が叩かれた。ルチア・ワインが床に落ちて割れる。
「この僕に、これほどまで怪我をさせて、恥をかかせたんだ! 何が何でも報復する!」
白髪交じりの執事は、目を伏せた。
執事は嘆く。
一流の治癒術師に、最高級の回復薬。
城でも立ちそうな程に金額の張る最高水準の魔法薬ばかりを、湯水のように使い、たった一日で、ここまで坊ちゃんは回復した。
しかし、正直に言えば……もう少し大人しくしてもらいたいものだ。これをきっかけに、荒れた性格も治れば良かったのだが。
「少なくとも、昨日ギルドに居た者は、誰も従わないでしょう」
執事は、無能ではなかった。仮であれ、仕える主人が言うのであれば仕事をする。
その兼ね合いで、昨日、ギルドの一件を聞きまわった。
結果として、あの場にいた勇者の誰もが、『その少女』への畏怖を語った。
決して、あれとは戦いたくない。
それが、その場にいた勇者たちの言葉であった。
「従わせろ。従わないなら、この領土から追い出せ!」
無茶苦茶を言う。だが、実際、執事はこの展開を読めていた。
だから、勇者たちにもそれとなく、従わなければ追い出されると思うが、それでも従わないか、と尋ねていた。
結果として、皆、異口同音、揃えて言っていた。
『あの少女に挑むくらいなら、ここを出る。』
『少女に挑むのは、自殺と同じだ』
……それほどの圧倒的な恐怖をその身に受けたのに、まだ立ち上がれるトゥッケの精神力は驚嘆だ。
「追い出されてもいい、とのことです」
伝えると、トゥッケは爪を噛んだ。
「……使えねぇ、クソどもめ」
だが、そこから、彼は集中した。
「……皇国との国境の守備にいる勇者部隊を呼び戻せ。今回ギルドに居た奴らと交代だ」
その集中力から導き出される閃きは、切れ者のそれだ。
だが、悪知恵にしか使われない。
これが領地の運営に向くなら、いい領地を作れるはずだ、と執事は胸の中で溜息を吐いた。
「守備部隊は屈強な勇者たちが多い。くっはっは。あの女。
必ず、生まれてきたことを後悔させてやるっ」
「坊ちゃん……。決闘で敗北なさったんです。もうそんなに固執は──」
執事の顔の横を、フォークが掠める。
「うるさい! 二百年続く我がブラド家に爪を立てたのだ! 死が当然だ!!」
怒声を上げ、癇癪を起す。
執事は、ただただ俯いた。
「申し訳ございません。その通りでございました」
甘やかして、育てすぎた。領主様も、執事自身も。
だから、こんな考えを持つ人間になってしまった。
「わかりゃいいんだよ、わかりゃ!! ……はぁ。悪い。この僕も熱くなってしまっただけだ」
執事は、慙愧を胸に抱き、ただ、頭を下げる。
「じーや。俺の『親友』、呼んどいてくれ」
「親友……」
「ああ、かの『魔王討伐』の勇者王……雷獣と呼ばれたあの勇者を、呼ぶ」




