【23】ヴィオレッタ VS ナズクル ③【23】
◆ ◆ ◆
──黒い靄の毛皮の狼。あの人が、私の師。
元魔王で、私の師。その人に魔法や医学を教わり始めた頃。まだ私が幼い頃。
ある日、腰から背に掛けて、突っ張ったような感覚になった。引っ張られているっていう感じなのか、筋肉が変になった感じなのかな。
私の病気。心臓も痛いし体も痛い。何もかも痛くて倒れ込む。もう立ってもいられなくなった。
研究机から寝室に運ばれていて、師はこっちを見ていた。
何も言わず、目を覚ましたのを確認する。
私は何か言おうとしたけど声も出せなかった。
だから、顔を覗き込んだ師の毛を掴んでいた。
『……次の調合は、筋肉系の痛みも抜けるような調合にしてみよう。
呼吸が難しくなるのもあるから、前の薬も足し合わせてみるとする』
今思えば、師はこの頃の私とどう接していいか色々考えてたみたいだね。
だから魔法や薬の話題を選んでしてくれてたみたい。不器用な人だよね。
『取り急ぎ、鎮痛薬を合わせた。飲むと少し楽になると思う』
そう言って、師は瓶を浮かせる。浮いた瓶のラベルを見た幼い私は小首を傾げた。
『……師? これ、薬じゃないよ?』
『ん。ああ? ああ、すまん。これはだな──』
ああ思い出した。……昔から師は……。
◆ ◆ ◆
「【偽想】、【お前の身体は動かなくなる】」
部屋を照らす光が穢に変わった──そして海の上にいるような浮遊感と、僅かな頭痛。
(私の、屈服と……同じような、『感覚矯正系』術技に共通する……『視覚異常』……っ。解除、の、方法を……見つけないと)
ヴィオレッタはその場に蹲る。
ひゅうごぉ、ひゅうごぉ、と肩で激しく息をしながら、ぎろりとナズクルを睨む。
(感覚系の、魔法なら、痛みが通常の解除法。そうじゃないなら、時間経過。
後は、魔力で力技で動かす、とかも……うっ)
睨むが、体が上手く動かない。胸の辺りを掴んだまま、床の上に転がり落ちる。
(落ち着け……、落ち着け、私。ナズクルの術技は、私の過去に受けた『感覚』を蘇らせるだけ。私の、【屈服】と違って、【動かなくなる】って命じても、その通りにはならない。
今の私の感覚は、『まだ薬が無くて動けなかった頃』の感覚。……大丈夫、あの頃の感覚、なら、体は動かせる……っ)
ヴィオレッタが体を動かそうとしている間に──ナズクルは呼吸を整える。
「全く。最初に扉を開けた時は不幸だと思った。
何故お前がこんな場所に現れたのか、なんて間の悪い奴なんだと呪いさえした。
だがしかし、結果として俺は幸運だったようだ」
焦りも無く、急ぎもせず、ナズクルは机の上にある銃を見た。
「何故か知らないが、魔力も底をついたような状態のお前が俺の元を訪れた。これは紛れもなく幸運だな」
そして銃に手を伸ばした──瞬間。
銃が空中に吹き飛んだ。
「なっ」
(──机の上に、黒い靄。これはっ)
「【靄舞】、跳び、出せ。……くすくす」
酒棚を支えにしてヴィオレッタは立ちあがる。
「ずっと、銃、見てたじゃん……ちらちらってさ。だから、罠、張っといた……っ」
「ちっ──だが!」
舌打ちし、ナズクルはギロリとヴィオレッタを見た。
「──!」 ヴィオレッタは察し、後ろに後ずさる。
だが、狙いはヴィオレッタ──の奥の棚。
「撃ち抜け、『風弾』!」
瞬間、酒棚の真ん中にあった緑色の瓶が──砕け散った。
「あっ!」
「お前もだろ、ヴィオレッタ! 横目でその魔力回復薬を見ていた。隠せていると思ったか?」
ナズクルは振り返る。丁度よく銃が地面に転がった。
「──先に目的物を取ったのは、俺のようだ」
ナズクルは、やれやれと銃を拾い上げる。
愛用の回転式拳銃ではないが、それでもこの世界においては何世代も先に作られるべき殺傷能力の高い拳銃だ。装填できる銃弾は8発。弾丸のチェックをし終え、ナズクルは背後に目を向けた。
「勝利だ。これで。この室内で、もう攻撃は避けられん。
暴れずに大人しくしろ。悪いようにはしな──……なッ!!」
「先に取ったのは、私だよ。貴方の銃より先に、ね」
ナズクルは口を開けたまま体が固まっていた。
異常事態。驚愕した。
「ヴィオレッタッ! それは! 何をしている!!」
きゅぽん、と音が鳴った。
ヴィオレッタの持っているのは──アルコール度数45度、350ml瓶の──蒸酒瓶。
「止めろヴィオレッタァァアッ!! 未成年の飲酒は法律で禁止されている──ッ!!
アルコール及びアルコールに類するもの良いこと・面白いこととして未成年が摂取する表現は完全なる規制対象だ──ッ!
表現の自由や尊重ではなく大原則のルール違反となるッ!!」
──ヴィオレッタは、それをグイッと飲み干した。
即時。ナズクルは銃を構え──撃つ。
ヴィオレッタは間一髪でそれを避けた。代わりに彼女の持っていた蒸酒酒瓶が悲鳴でも上げるように割れた。
「っ! まだ口に含んだだけであり摂取を行っていない! そう言い張るんだッ!」
「飲んじゃったよ。結構、苦いんだね~」
「っ! まだ良い物として表現が──」
──黒い靄で出来た六本の触腕のような羽。
ヴィオレッタの背から伸びた『靄の羽』は──鋭い刃の形に変わる。
「──魔力回復薬。くすくす、美味しくないね」
「なっ、ん──っ!」
靄の刃がナズクルに襲い掛かる。両腕で何とかガードするが、壁際に押し込まれる。
「くすくす。ありがとね。貴方が【偽想】でこの感覚を戻してくれたおかげ。おかげで懐かしいことが思い出せたんだ」
「くっ……魔王がそんな貧乏性だったとは……」
「くすくす。貧乏性じゃないよ。これはつまりね──」
『……師? これ、薬じゃないよ?』
『ん。ああ? ああ、すまん。これはだな──瓶の再利用だ。中身はちゃんと薬だぞ』
『……変なの。貧乏性? 新しいのに入れればいいのに』
『何。貧乏性じゃないさ。これはつまりな──』
「環境配慮。なんだってさ」
ヴィオレッタが靄を纏う。
机や割れた瓶を吹き飛ばしながら背中を打って丸まったナズクルに近づいた。
※作中においてアルコールの摂取・アルコールと同様の効果を持つものの摂取は行っておりません。




