【23】ヴィオレッタ VS ナズクル ②【22】
約3メートル先に、互いの目標はある。
魔力枯渇中のヴィオレッタは、『魔力回復薬』を入手する為に。
武器無しのナズクルは、『拳銃』を入手する為に。
「【偽想】」
「【靄舞】、靄陽炎!!」
ナズクルの術技発動と同時に、ヴィオレッタを中心に黒い靄が蒸気のように沸き上がった。
(! これは)
(ナズクルの術技の効果は『相手に偽の感覚を植え付ける』だったよね。
それも確か『相手が経験したことがある感覚』じゃなきゃいけないんだっけ?
ただ進化したことによって『自由度』は上がってるかも。その辺はとりあえずいいや。
発動条件は『ナズクルが見ること』。視認型術技。
だから、つまり、私の姿が見えなければ発動は出来ない!)
完全に視界を奪った。
(くそっ! こんな時間稼ぎのような技をッ! これではまずい……!)
ナズクルは焦る──視界が奪われたのだから焦って当然だ。
だが、視界が奪われたことよりも──。
(早くヴィオレッタを拘束し、用を……用を足さねばならないんだッ)
──朝からずっと珈琲ばかり飲んでいたナズクルに、代謝から発生する異常な緊張感が走る。
手は汗ばみ、集中力が続かない。
(なんていうタイミングで戦闘開始してしまったんだッ)
靄の中、ナズクルは辺りを見回す。
お互いに完全な黒い靄の視界だが、ヴィオレッタの耳は『ナズクルの呼吸音』からその位置を特定することが出来る。
ヴィオレッタはナズクルに向かって突っ込む。──直線で魔力回復薬に行かない。
(焦ってる。それに恐怖と緊張? よく分からないけどナズクルはとても焦ってるみたい。
これはチャンスだね。今すぐ回復薬の方に行っちゃったら、何か簡単な、風魔法とかで瓶ごと叩き壊されたらマズイからね。まずは、攪乱する!)
音の無い走法。まるで踊りのステップのように、靄の中で真っ直ぐに突進──空中へ跳びあがり足に靄を集中させる。
ヴィオレッタが生み出す黒い靄は、彼女の血液である。彼女の靄舞はこの靄に魔法の付与や形状の変化を与える術技だ。
振り下ろしに向かう、直前。
ヴィオレッタはその異変に気付いた。その小さな異音。
指をなんども擦っているような摩擦音。
(──っ)
ヴィオレッタは、直感的に足に付いた靄を壁に向けて飛ばす。まるでゴム紐に引っ張られるかのように壁に張り付いた。
「──どこまで行っても性質は『靄』。つまりは水分だ。
温度だけではなく湿度までコントロールできれば素早く出来たのだろうがな」
そして──ナズクルの周囲だけ、靄が晴らされる。
(……いや、水分というワードをこれ以上使うのはやめておこう。意識してはいけない。
意識から水を抜くんだ。熱の魔法、熱の魔法)
「……熱の魔法。速いじゃん、発動」
「これだけはな。よく使うのでな」
ナズクルもヴィオレッタを視界に見据える。だが、【偽想】は発動出来ない。
ヴィオレッタは体の半分を靄に包み、くすくすと笑った。
「くすくす──その術技。相手の身体の半分以上は見えないと発動出来ない、って縛りがあるんじゃない?」
「……さぁな」
ナズクルの心音は僅かに動揺し、ヴィオレッタは今の仮定が真実だと理解する。
(流石、魔王の弟子か……術技の研究を行っていただけはある。
俺の【偽想】の唯一の縛りは、対象者の身体の8割以上は見えないと発動出来ない点だ。
誰にも言っていないし言う気もない縛りだったが……こうもはっきりとバレるとはな)
「その靄の術技は俺の熱の魔法で消せる。
近距離に近づき靄を脱がせば丸裸のお前に術技は容易に掛けられる」
「服を脱がして丸裸にするって? えっちだね~」
「そういう揺さぶりは、初心な勇者にでも使うんだな」
「確かに。ジンにはよく利くね、この手の揺さぶり」
「ライ公相手とは言っていないんだがな」
両者──目標まで2メートル50cm弱。
(確かに、私の靄はナズクルに近づいたら剥がされちゃうみたいだね。けどさ)
(正味、ヴィオレッタとのハンデ戦、俺が圧倒的に不利だ。だから、あの机の上の銃を。銃さえ手に入れば、一気に形勢を変える魔法が使える。そうすれば──っ!)
ちらりとナズクルの視線が動いたその瞬間に──ヴィオレッタは動いた。
ナズクルの懐深く潜り込む。
(──! 近距離戦だと!? 馬鹿な、俺に近距離戦なんて仕掛けたら靄を──)
ナズクルは瞬時に拳を放つが、その『腕』をヴィオレッタの左足が弾き飛ばす。
「なっ!」 (なんていうバランス感覚だッ! くそ)
一本足で立つヴィオレッタに左拳を更に向けるが、次も『腕』をいなされる。
「熱の魔法。その手を中心に発動するんだよね──ならさ!」
ヴィオレッタの拳がナズクルの『腹』に突き刺さる。
痛みは無い。ナズクルは既に自身の身体に身体強化魔法を掛けているからだ。
しかし。
「っ!!!」
(腹っ……腹の中で、揺れ……ッ! くっ!!)
「その高熱を自分の方へ向けられないでしょ! つまり、この至近距離は、超安全圏ってことだよ!」
ナズクルの拳も遅い訳じゃない。
寧ろヴィオレッタが薙ぎ払ってきた者たちの中で上位数名に入る拳速だ。
だがそれでもヴィオレッタの目はその拳を捉え、適切に弾き飛ばすことを可能にしていた。
(くっ。駄目だ集中出来ん。それに、ただでさえ速力はヴィオレッタの方が上だっ……! しかし)
(駄目だね。これじゃ──ナズクルの方が『硬い』ね。なら、もうひと頑張り、だ──ね!)
その場でくるりとジャンプし、ヴィオレッタは踵落としを叩き込む。
ナズクルは避けない。頭でそれを受け止めた。
「石頭ッ!?」「身体強化魔法の硬化は、既に発動済みだからな」
足を掴もうと手を伸ばすナズクル。
それより一瞬早く、ヴィオレッタはナズクルの頭を踏み台に、背後に跳んだ。
着地場所──机の上。
ヴィオレッタの目的地である酒棚の回復薬まで手を伸ばせば届く距離。
そして、その机の上にある銃まで──ナズクルは後、1メートルの地点。
「やるな。……前線を退いているとはいえ、元《雷の翼》のこの俺の頬に掠り傷をつけるとは。
目で追うのがやっとだったよ。まるでライ公と戦っている気分だ。戦闘技術は天才と誉めてやろう」
ナズクルの頬から血が数滴零れ落ちる。
ヴィオレッタは今まさに跳び去り際に──足に付いていた靄を発動した。その靄でナズクルの顔面を引っ叩いたのだ。
「そっちこそ……やるじゃん。──この嘘吐き。何が『目で追うのがやっとだった』って? 嘘ばっかり」
ヴィオレッタの左足が──じゅうっと焼けた音を出している。
「ああ──。ふっ。掴み損ねたからな。掠っただけだろう」
犬にでも噛まれたような大きさの火傷。いや、今もまだ肉が爛れ続けている『熱の傷』がある。
ヴィオレッタの額に、汗が流れた。
「……くすくす。お互い、『一発ずつの痛み分け』、だね」
「強がりを。熱の魔法が無駄に皮膚に残っている。燃えるような激痛がある筈だ。
お前が避けさえしなければ、その足は痛みを感じない立派な炭の棒になっていたんだがね」
「えっぐい魔法じゃん。最低」
(──ちょっとだけ、舐めてた。そうだったね。この人は、あのジンと背中合わせに戦ってた人だ。そりゃ、強いか)
「それより、早く終わらせようじゃないか」
(……そろそろ本格的に限界だ)
「くすくす。まだ終わりじゃないよ。──【靄舞】、包め」
ヴィオレッタは足の『熱の傷』を靄で包む。
(大丈夫。もうちょっと、戦える)
「いや、もう終わりだ。早く終わらせよう──【偽想】、【お前の身体は──」
「! しまった」 ヴィオレッタはすぐに気付く。体に纏っていた靄が今掴まれた時によって焼失させられていたことに。
「【靄ま──!」
「──動かなくなる】」




