【22】帝国式格闘術・鋼鉄格闘【33】
◆ ◆ ◆
その三毛猫は、豹のように大きい。腹にある肉球のような三点模様と、ギザギザ髭が特徴的だ。
それと目つきの悪い目も目を引く──この三毛猫、無論ながら通常の猫が肥大化したモノではなく特殊──精霊化した猫、とでも言うべき存在だ。
猫の名前はネココ。率直な名づけをしたのはネココの主であるシキ・ココ。
シキは40代中頃の男性だが顔立ちは少し若い──とはいえ白髪交じりの頭と腕の皺で年相応がすぐに分かるだろう。それに彼は若い頃に受けた斧による傷で片足が思うように動かないのだ。歩く時はかなり力を入れないと少し引き摺ったように歩く。
山道や、今いる森の中も本来は一人では歩くことすらままならないが──人間一人を軽々乗せて走ることが出来るネココのおかげで難なくこの山で動き回ることが出来た。
(村人は、もう殆ど逃げられましたかね。
ただ、鳥の従者が戻らないからまだ完了という訳ではないですね)
腕を組みながらシキはそんなことを考えていた。
ふと、ネココが「なぁっぅ」と低く鳴く。この声は言葉だ。
しかしただの言葉ではなく、従者の主であるシキにしか言葉として理解できない言葉である。
「大丈夫ですよ。進軍を遅らせるのが目的なので、戦うのは出来たらしませんよ」
「なあああぅ?」
「本当ですよ。それに剣は好きですが、そんなに強くないんですよ、私。だから出来る限り戦いませんよ」
三毛猫のネココは心配をしているようだ。
シキは、時間稼ぎだけですから、と後ろを少し見ながら呟いて微笑む。
(銃も矢も魔法も当たらないくらいの距離。かつ、追えそうなくらいの距離を保つことが、囮をする上で最も重要なコトです)
追ってきている兵士は歩兵──ただ容易に追えない。いや、怪我をして離脱を始めている。
(森の中にはイヌヌの土魔法で至る所に穴を。それからネココの風魔法を編んで作った糸を木と木の間に張って、走ったら転ぶような仕掛けを作っておいてあります)
森の中を走るだけで兵士が減っていく。
「子供たちに裏山で遊ぶなともう叱れませんね」
シキがネココを撫でるとごろごろと喉を鳴らした。
不意に、シキは目を細めてからネココの首筋を軽く抓む。それを合図にネココがスピードを落としながら進んでいた方向を変える。
右へ左へ蛇行をしながら──シキの目は少し真剣に変わる。
背後に舞い散る枯れ葉を見つめてから少し息を吐き、腰の刀に手を当てる。
「ネココ、ここでいいよ。後は一回還って待って」
そう言ってからシキは枯れ葉の山の上に足を庇う為に、前のめりに腕から、前転をするように着地した。
返す刀──振り返りながら刀を振り抜く。
キンッ! と鋼鉄を弾く様な音がした。
「──帝国の方でも、姿隠し魔法が使える程の魔法使いがいらっしゃるんですね」
シキが丁寧に問う。振り抜かれた刀が空中で止まっていた──いや、そこから公園の遊具の塗装が剥がれるように、空中が剥がれていく。
それは、全身を鉄か鎧で覆った兵士だった。
まずは頭が甲冑。そして体は薄い鎖帷子のみ。両腕の鎧は、やけに拳が分厚く肘に向かって装甲が薄くなっているように見えた。
これは手甲鎧ではなく鋼鉄格闘手袋の一種であるとシキは見てすぐに分かる。
「姿隠しの魔法ではなく、これは透過錬金術だ」
「勉強になるよ、そうなんだね」
兵士がそこに居る見えない何かを撫でた。
「じゃぁ、ネココに並走してたその子は、創り獣っていうものかな?」
「ご明察。迷彩馬という」
「初耳の生物だね。帝国は広いねぇ」
「……」
兵士は言葉を切って直進した。兵士は自身の腰にあった短い剣を抜く。
加速、腕力、野生の獣のように力強い振り下ろしだ。
「重たそうな一撃だね。それは受けきれないよ」
シキは困ったように笑って刀を抜いた。
小太刀のような刀を左手で構える。そして、その峰を右の肘に合わせた。
振り下ろされた一撃は、滑るように地面に突き刺さった。
攻撃を受け流す剣術。
相手の力を別方向へ流すその剣技を見て、兵士は──一歩だけ後ろに下がる。
「防御の剣術か。──王国には珍しい剣術だ」
「深い洞察眼ですね。ええ、王国の古流剣術です。
腕力が無い物で小手先に頼らざるを得ないんですよ」
優しく微笑むシキ。
裏表もない笑顔だが──兵士はその笑顔が老獪だと感じていた。戦場での余裕の表情。それだけで歴戦の兵だと理解する。
同時に、その脚の動かし方に違和を見つけていた。
怪我で動き回れない、踏ん張りが効かないのは──剣士生命の終わりを意味する。
「──腕利きの、ご隠居された剣士と見受けた」
「いえいえ、本当にただの趣味ですよ」
「故に。失礼ながら、戦闘の為──剣を殺しに掛からせてもらう」
兵士は礼儀正しく剣を鞘に戻し──直後、突進してきた。
当り前だが、鎧というのは刀剣で斬られない為に身に付ける物である。
──ある便利屋の元最強勇者が、鋼鉄の鎧など大根でもカットするようにサクサクと斬り裂く為、あまり説得力がない話ではあるが、改めて──鎧を刀剣は斬り裂けない。
鎧斬りの文献もあるが、やはり『よほどの腕力』・『よほどの技術』・『よほどの刀剣』が無ければ傷をつけるだけで終わり。
砕くなんてことも出来ないのだ。
それを理解しているシキはその突進に合わせて体を捻り、またも前転でもするように避ける。避けながら刀を鞘に仕舞う。
その動きに合わせて兵士は突き進んでくる。大股の一歩、左手の掌底。
格闘の形となったその一撃を見て──シキは少し目を見開いた。
鞘に居れた刀でその掌底を防御し──後ろに跳ね跳ぶ。
「剣士には、とても無慈悲で申し訳ないとは思う。
全身を刃の通らない鎧で覆い、鋼鉄の拳で行う近接戦闘。
百年の歴史を持つ、帝国式格闘術──鋼鉄格闘」
兵士は両腕を盾のように構えて真っ直ぐに駆け込む。
シキは、けほっと咳き込み膝を付いて苦く笑う。
「口に砂が入りました……嫌ですね」
その言葉を吐き出した時──兵士はもう目の前にいた。
両の腕を後ろに引いた独特な構え。敵に攻撃されても痛くも痒くも無い鎧だから出来る構えであり、右の拳が来るか左の拳が来るかが読ませない──思考殺しの拳。
「とくと味わうがいい」
「いえ、もう十二分に味わっておりますので。不要です。
次繰り出す右ストレートも、散々見てきましたので」
「──!?」
次は──右ストレート。確かに兵士は右と決めていた。
ヤマを張っただけだ。兵士は甘く見積もり、そのまま右の拳を突き出す。
後悔は無かった。
厳密には、後悔をしたくとも──兵士の意識が無かった故、後悔のしようもない。
鞘に納めた刀での突き。
その突きは──的確に鎖帷子の上から喉を突いた。
鎧兵士の突進もあり、角度も位置もシキが思い描いていたよりも更に完璧な形でぴったりと決まった。
結果、兵士本人の体重がそのまんま首への突きに重さとして乗り、一撃で意識をトバせた訳だ。
刀を杖代わりにして、どっこいしょ、と、シキは立ち上がる。
「ふぅ……オジさんには少し過酷過ぎますね。……一人で手一杯ですよ。なので、まぁ」
草むらから兵士が2人、跳び出してきた。
「これ以上の人数は勘弁してほしい所です……」
シキが立ち上がった直後──すぐに彼は背後に目を向けた。
巨漢──それでいて隠密。
その腕は先ほどの男と同じ鋼鉄格闘手袋。
ギリギリ鞘で防いでいなせる攻撃だ──しかし。
(老いは嫌ですね……見えてるのに、早さが追い付きません)
左拳を躱した。だが次の右の横強打は躱しきれないと判断したシキは自身の左腕を盾にするように防ぐ。
──みしっと軋音。激痛が走る。
それでも一撃に合わせて、シキは背後へ跳んだ。
衝撃を殺し、地面に当たりながらも回転をし、どうにか落下の衝撃は緩和する。
「ふはははっ! 鋼鉄格闘と透過術を使えばどんな敵も制圧できる!
これぞ我が透過・鋼鉄格闘ラッシュッ!」
シキは苦く笑いながら立ち上がる。が、がくっと膝を付く。
足に力が入らなかった。
(あらら。跳んだ時に捻ったみたいだね)
「しかし……テタルトンを倒すとはなかなかやりよるオジさんだ!」
「だが奴は鋼鉄格闘四天王の中でも最弱!」
「うぬっ! 免許皆伝なのが不思議なくらいの弱者よ」
「そうですか。そんな四天王があったのは初耳です」
凛々しい声だった。──黒髪をお団子に結った、背が低い女性。
雪禍嶺でも好まれる和服を着た、姿勢が正しいその女性はすたすたとシキの前に歩いていく。
彼女は──
「あ、ああ……ツユさん」
ツユ。ツユ・ココ。シキの妻であり、ハルルたちの母である。
「シキさん。お帰りが遅いので迎えに来ましたよ」




