【22】根菜の揚げ物【11】
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宿場の町には町長が居ない。
厳密には存在はしているのだが、諸事情があり王都へ移り住んで長い。
──悪事関係ではなく、病床の娘を見る為に仕方なく移り住んでいた。それ故、その町長自身はいつでも長の座を降りると明言もしており、現代理に座を譲ると言っていた。
だが、誰もがその町長を尊敬していた。
なら、いつでも彼が町長として戻れるように、この町に長く住む優しい男性はその町長の代理を勤めることになった。
町長代理の男の名前は、シキ。シキ・ココ。
四十過ぎの白髪交じりの黒髪。
眼鏡が良く似合い、線の細い体──連想の通り、彼も体を病に蝕まれていた。
とはいえ、重篤な物ではないと彼はよく笑って言う。
ふと、彼が横になっている布団の上に、丸顔の犬が乗っかった。
少し太り過ぎの茶色い犬は尻尾を振っている。その背には大旅鞄が背負われている。
「イヌヌくん。仕事を任せて申し訳ないね。どう? 避難の方は?」
イヌヌと呼ばれたその丸犬は、へっへっへっと息を出しながらシキの手の方へ回り、自分の頭の上に彼の手を乗せた。
イヌヌ──この丸犬は普通の犬ではなく、シキの『従者』である。
シキが目を閉じる──青と緑の水飛沫のような光がぱっと散り『従者』の契約時の紋章が瞼の裏に浮かぶ。
そして、イヌヌが見てきた光景がシキの頭の中に描き出されていった。
「ああ。順調ですね。このペースなら今日中には避難が完了しそうですね。ありがとう、イヌヌ。よくがんばってくれたね。後は、ネココとトリリと連携を取って避難誘導を行ってください」
わんっ。と声を上げたイヌヌにシキは微笑みかけた。
「シキさん。寝ていた方がいいですよ」
凛々しい声がした。声の主は黒髪をお団子に結った女性だ。
背が低く、その顔立ちは凛々しい。そして凛と背筋を伸ばして姿勢よくシキに近づく。
彼女の名前はツユ・ココ。
シキの奥さんであり、ハルルたち姉妹の母である。
年齢は30後半の筈だが、20代と言われても信じてしまいそうだ。
ツユは静かな所作で碗と粉薬の乗った盆を置いた。
「あれ。もう薬の時間ですか」
「はい。時間です。しっかりと飲んでくださいね」
「これ、苦くて苦手なんですよね」
「……シキさん」
「ええ。しっかり飲みますよ、お母さん」
粉を喉に押し込み、水をくいっと飲み込んだ。
ああ、苦いですね、とシキは困ったように笑って見せる。
「……ちゃんと飲まないとよくありませんから」
「はい。ありがとうございます」
シキが呟くと、ツユはため息を一つ吐いた。
「お母さん。二人が心配ですか?」
「……」
「ジンくんが居るから大丈夫ですよ」
「……ハルルは、戻ってきたばかりですから」
「そうですね」
シキが呟き、一拍置く。
ツユと目が合い、シキは微笑んだ。
「根菜の揚げ物。久々に食べて美味しかったですよ。
ハルルさんの好物でもありますが、僕の好物でもありますから」
カラッと笑うと、ツユは瞼を閉じた。
「……ハルルが。山に向かったのは、私のせいです」
「お母さん」
「あったんですよ。食材は。……山菜も、あった。けれど。
私。他のお客さんを優先してしまったから。翌日、お客さんに出す予定だったから。
だから、あの子が『根菜の揚げ物が食べたい』って言った時……忙しいから無理と断ってしまった。ずっと、後悔してました」
「知ってますよ。あの日から昨日まで、一度たりとも貴方は根菜揚げを作りませんでしたから」
「作って上げるから自分で採りに行きなさいと。私は」
「いつものことでしょう。自給自足はルールですから」
「……あの子が。あんなに食べたがっていたのに。
居なくなってしまったとしたら。……何で、作って上げなかったのかって。
最後に。最後に好きな物を、食べさせて上げられなかった。
ずっと、そればかり考えていました。
なのに、私が食べるなんておこがましいと思ったので。二度と。
二度と……作ることも食べることも、しないと思っていたので……だから」
ぽつりと、ツユの閉じた目から涙が零れた。
そっと、シキはツユの体を抱き寄せ──その背を撫でた。
「よかった。あの子が生きてて。
あの子に、食べさせてあげられて、本当によかった」
「ええ。よかったです」
その震える額を、肩で受け止めながら。
──どたどたと、走る音が聞こえ──即、ヅドンと『何かを突き飛ばしたような音』が響いた。
「ママ! パパ! なんか大変な──あれ、どったの二人とも?」
「いえ、何もありませんが」
「あ。あはは」
「? パパ、どうしてそんなブリッジみたいな姿勢してるの?
まるでママに突き飛ばされたみたいな凄い面白い恰好だよ??」
「趣味、ですよ。自分でも分かりませんが、この体勢が、いいんだと思いますよ」
「ふぅん。またママに突き飛ばされたのかと思ったけど違うんだ?」
「こほん。で、どうしたのですか。ナツヅ」
先ほどまでの涙など無かったようなツユは一番上の姉、ナツヅに振り返った。
「ヤバイよ、ママ。なんか裏山に帝国の兵士っぽい人たちが集まってきてるって、フユユが言ってた」
「そうですか。……こんな方々に行くにも距離がある田舎町は拠点にもなりませんが、困りましたね」
「まだ編成している最中みたいだから、町の人の残りはどうにか逃がせないかやってみるけど」
「……ジンくんとハルルが、アキギを迎えに行ったのが昨日の夜。そろそろ三人で帰ってくる頃合いでしょうか」
「……シキさん?」
「お母さん。ナツヅとフユユを連れて逃げなさい。早いことに越したことはない。
馬は無いが、街道に出れば何かしら逃げ道はあるでしょう」
「! パパ、残る気!?」
「ええ。裏山から見えないように他の方を逃がすのは僕の従者を使うのが一番いいですからね。それに、ジンくんたちを待つ人間が必要ですから」
「……ナツヅ。フユユを連れてきなさい。すぐに移動する準備をしますよ」
「!? ママ! パパを置いてくの!?」
「準備をしなさい。ナツヅ。……他の町の方も連れて古井戸から出ましょう。
西の雑木林に繋がっている場所があった筈です」
「ママ! 待ってよ、パパは」
「大丈夫ですよ。ナツヅ。すぐに追いつきますので」
どこまでも優しい微笑みを、シキはナツヅとツユに浮かべて見せた。
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いつもありがとうございます!
すみません、明日土曜日と明後日日曜日を休載させていただきます。
本当に申し訳ございません……。
(7/27 0:14 追記)




