【07】臆したら負けだ、死ぬしかない【01】
── 臆するな。臆したら負けだ、死ぬしかない ──
まだ、十にもならない少女に、黒い狼はそう言った。
真雪の上、赤い血の中。私は、おかげで立ち上がれた。
その言葉が、どれほど、私の心を生き返らせたのか。師は知らないでしょう。
「臆さない。私は、決して、臆さない」
何度も魔法のように、私はその言葉を胸に刻んだ。
だから。
「だから、昆虫料理も私は平気に食べるよ?」
「やめて、レッタちゃん! レッタちゃんが虫を食べてる姿だけはオレ、見たくないよぉお!」
「そなの? 師が食事を取れない時は虫を食べさせてくれてたから、抵抗ないんだけど」
「狼先生!?」
『いや、虫も、正しく調理すれば栄養的には問題ないぞ。まず羽根を毟るだろ。その後、足の筋繊維に沿って』
「ぎゃあああ、無理! そういう系が、マジで無理!! 解説しないで! 丁寧に想像掻き立てないで!」
『臆したか?』
「臆す、臆さないじゃないっしょ! ああマジ、オレの視界に絶対に入れないで! お願いしますっ!」
慌てふためく『ガーちゃん』を見て、私は、くすくすと笑った。
◆ ◆ ◆
ヴィオレッタ、そう名乗り始めたのは、つい先日のこと。
今までは、元魔王の黒い狼と、少女だけの生活だった為、名前なんて必要なかった。
だが、この黒い肌を持つ人と魔族の混血の、坊主頭の男性『ガーちゃん』が旅のお供になった。
名前が必要になり、少女は自分に名前を付けたのである。
ちなみに、『ガーちゃん』もレッタがそう名付けただけで、本名とは何ら関わりがないそうだ。
「じゃぁ、まぁ虫は美味しくも無いし、今回は食べないけど」
『食べないのか、虫』
少し残念そうにする狼をよそ目に、ガーちゃんは胸をなでおろして見せた。
「ご飯問題。どうしよう?」
一文無し。
少女、レッタたちは、金銭を一切所有することなく、旅をしていた。
「いつもはどうしてたんだ?」
「んー。狩りかな。虫含む、動植物」
「鳥とか、魚とか?」
「そだね。あー、後は、襲って来る人たちを狩って、ご飯を奪うとかかな」
「あ、こっちから襲い掛かる訳じゃないんだ」
ガーちゃんが言うと、レッタはくすくす笑う。
「当たり前じゃん。理由もなく殺したり襲ったりなんてしないよ」
必要があれば、必要分は殺すけどね。
あどけない笑顔と、陰りのある目で、レッタは静かな笑顔を浮かべていた。
『魚か。川まで出て、魚にするか』
「魚、いいね! オレ、魚好きだ!」
昔は釣りとかしたなぁ、などと笑うガーちゃんをよそ目に、レッタと狼がぴくっと反応する。
「? どうしたの、レッタちゃん? 狼先生?」
『……いいや、些事だよ』
「そうかな。私はチャンスな気もするけど」
二人のやり取りが理解できず、ガーちゃんは首を傾げた。
『待て。無駄に、他者と関わってもいいことは無いぞ』
「ううん。もしかしたら、何か持ってるかもしれないし。それに、ご飯、くれるかもしれない」
何の話してるんだ? とガーちゃんが首を傾げる。
それをよそ目に、レッタが立ち上がり、呼応して、狼も立ち上がった。
まるで、レッタの行く手を阻むように。
「師」
少し低い声でレッタに言われ、狼は、鼻を鳴らしてから座る。
『ガーも付いていくならいい。……自分はここで待つ。人の村に入るなら、狼は、警戒されてしまうだろうからね』
「じゃぁ、合流できそうなら、迎えに来るね」
『ああ』
ガーちゃんは、話の筋が全然見えなかった。
だが、レッタは、くすくすと笑う。
「ありがと、師。いこ、ガーちゃん」
レッタに手を引っ張られ、ガーちゃんは少し顔を赤くして、森へ入った。
『気を付けてな。帰ってこれるなら、早めに帰ってくるように』
狼がそう言葉を吐いて、つまらなさそうにその場に包まった。
◆ ◆ ◆
この世界の竜は、小型でも危険である。
特に、食性が肉食の、『肉食恐竜種』は、そのほとんどが獰猛で攻撃的だ。
戦闘を生業とする職業勇者ですら、三名以上で戦うことが推奨されている。
というのは、小型の恐竜種は、群れを成し狩りをするからだ。
主に、三匹~五匹の群れが、獲物を狙う。
「はっ……はっ……」
息を切らせながら、幼い顔の眼鏡の少女は走る。
何度も転んだからだろうか、その洋服やスカートは泥だらけだ。
その後ろ。森の奥を飛び跳ねて、彼女を追うのは、竜。
猟犬ほどの大きさで、大きな頭角が特徴の竜。
『角有竜』。
人間だろうが魔物だろうが、何でも殺し食す竜だ。
そんな竜が、五匹も、寄って集って、獲物を追い詰めていた。
眼鏡の少女の背中を、鋭利な角が掠め、前のめりに転がる。
転がった先で、這う。何とかして逃げないと。
そして、這った先に──人がいた。
黒い毛皮を纏う、妖艶な少女──レッタが、そこに立っていた。
「……に、げて」
眼鏡の少女がレッタに言う。
レッタはくすくす笑った。
「おかしな人。助けて、とかじゃなく、逃げて、だって」
ガーちゃんみたいに変だね。と笑う。
隣で息を切らせた坊主頭の色黒男、ガーちゃんは、そうかい? とかすれ声で返した。
五匹の竜が、威嚇の声を上げている。
「にげないと、あなた、まで……死んじゃう」
「死? 死なないよ? だって、あんな竜、怖くも何ともないから」
レッタは、傷だらけの少女の前に出て、竜たちへ一歩近づく。
「臆したら、負け。死ぬしかない」
竜たちは吠える。口を大きく開けて、唾液交じりの咆哮を続ける。
一歩ずつ、一歩ずつ、レッタは竜へ近づいていく。
「だけど、裏を返せば、臆さなければ、絶対に勝つし、生き残る」
竜が、我慢の限界となったのか、ゴムが跳ぶような勢いでレッタに飛び掛かった。
一斉に。竜たちの怒号と共に。
だが、レッタは、一歩も退かず。
寧ろもう一歩、進みながら、背に居るガーちゃんに話しかけた。
「ガーちゃん。今日のご飯は魚じゃなくなりそうだよ」
「今日は、獣肉で決まり」
レッタの背から、靄の羽が生える。
羽。もっと厳密に言えば、枯れ木のように細い……そう、蜘蛛の足のような羽だった。
左右合わせて十の羽腕が、大きく広がる。
「【靄舞】──刻め」
ぴしゃ。
ガーちゃんの頬に、血飛沫が跳んできた。
それでも、ガーちゃんは目線を逸らさなかった。
その一瞬が、鮮烈だった。
全ての竜が──一瞬。そして、たった一撃で解体された。
地面に転がった竜の生首は、目をぐるりと回して、断末魔の叫び声を上げていた。




