【21】八足盲顎竜【18】
◆ ◆ ◆
馬車が暴れるように走っていた。
馬は嘶き、御者が喚き──安いカンテラが照らす山道を、転げ落ちるかのような猛スピードで馬車は進む。
「なんであんなのがここにいるんだよおッ!!」
誰に向けた言葉でも無く御者は叫び声をあげた。
木々が弾け飛んだ。
何かが木にぶち当たり、木を圧し折る。砕けた木が空に飛んだのだ。
それは走っている。ダダダン、ダダダンと重機関銃の連射のような爆騒音。馬の四つ足の音じゃない。
四つ足よりも遥かに多い──倍以上の足が代わる代わる地面を叩く。
風が吹き、分厚い雲の切れ間から月が僅かに顔を出した。
そして月明りに照らされたのは。
口。馬を一口で飲めそうな程に大きな、丸い口がそこにあった。
頭に目はない。あるのはその口のみ。
そしてその口は常に大きく開いており、中が見えている。喉の奥まで生えている鋭い物は──無数の歯。
人間の手のような大きさの歯。まだら模様のように喉の奥までびっしりと生えている。
知る人が見れば円口類という区分の生物が持つ口だ。
そして、その口を持つ生物は、異様な形状だった。
まるでウナギのように長い首、長い体。その体を支えるのは八本の手──のような足。
『八足の怪物』。『目無しの怪竜』。
羽の無い地竜『無翼種』の竜。
鳴き声が上がった──それは叫び声のような鳴き声だった。
獣の喉を締めたような、しゃがれた声。
耳を押さえたくなるような声に、御者は崩れた顔で泣き叫び馬を引く。
しかし──馬車でここまで逃げきれていた幸運も、そこで尽きた。
坂を下りながら方向を変えようと無理に馬を引っ張れば、馬はその場で体を捻れるが──後ろに繋がった馬車は別。
重量のある物が急に曲がれば──。
「あぁッ!?」
馬車が横転するのは当然だった。
断末魔のような馬の嘶きの直後に、横転する荷馬車。
御者は地面に頭から放り出された。痛みを堪えながら目を開けた。
倒れた馬車の中に居る人間の心配より先に、御者は震えながら馬車が来た方を見た。
音が無い。あの怪物が居ない。どこへ行ったんだ、と暗がりを見回した時、不意に冷たい物を右肩に感じた。
右肩に触れる。息が荒くなる。心音が耳に張り付いたように聞こえた。
はあ、はあ。と声に出して目を血走らせ、『べちょり』とその液体に触れた。冷たい、ねばっとした液体。
少し赤みが掛かった気泡のある──唾液。
まだ。二滴、三滴と、落ちてきた。
上に。
「あ。ああぁああ」
御者の頭の上に『大口』がある。
「あ、あああぁぁあああああっ!!」
絶叫し、御者が走り出すが──御者は前のめりに転んだ。
すぐに痛みが走り、振り返る。
左足が、膝下から無くなっていた。
「ァ……アアああっ!!」
どうやって引き千切られたのか。何をされたのか。
それを考えることも出来ず、叫んだ。
大口がぬるりと男に近づいた時。
カンテラが大口に投げつけられた。
ごんっ、と音を立ててから地面に転がり、中の火と燃油が広がり僅かに明かりが生まれた。
「君、早く馬車の中へ!」
横転した馬車の中から男性の声がした。
白髪交じりの割れた眼鏡の男性は、若くは見えるが四十代くらいだろう。
彼は馬車から出てきて、木片を握り──御者と大口を見据えながら声を上げた。
「大丈夫。大丈夫だから。君、ゆっくりと動くんだ」
「あ、ひっ、ひぃぁ」
それでも御者は動けない。恐怖で体を竦ませて震えることしか。
割れた眼鏡の男性は、足を引きずりながら御者の元へと向かう。
大口の化物は首をぬるりと動かして眼鏡の男性を見た。
男性は握った木片に地面の火を付けて、まるで松明のように掲げる。
「化け竜……っ。近づくな」
言葉が聞こえてはいないだろう。だが、怯えながらも男性は声を上げた。
大口の化物は少し首を引っ込めた。
だが、すぐに。
まるで笑ったように口を歪め──男性に首が伸びる。
合わせて木片を振り回す。
だが、その一撃は化物の牙に当たり──すぐに弾かれた。
「うっ!」
そして、大口が男性の顔に迫った──。その時。
「雷の嵐」
爆撃のような轟音。
真昼のような雷が、周囲を照らし出した。
白い雷は、まるで刃のように天と雲を切り裂いて大口の怪物の背に突き刺さった。
「大丈夫ですか?」
くたびれたシャツにサンダルにジーンズ姿。
腰には衣服に似合わぬ二刀。
黒髪の男──ジンがそこに居た。
「え、ええ。……あ、貴方は?」
「えっと、まぁ通りすがりの……っと」
──大口がぴくぴくと動きながらその八本の足を震わせて起き上がった。
目や顔がないが、その足たちがわなわなと震えていることから、怒りを覚えているのが見て取れる。
「っ! 君、逃げないと」
「ああ、いや。『八足盲顎竜』は追尾が得意な竜なんです。それに、あの竜はちょっともう駄目ですね」
「え?」
長い大口がまっすぐに向かってきた。
「──人の味を覚えて、人里に降りてきた。害竜です。見逃したら被害が出る」
「で、でも、君! あれは竜ですよ!? 一人でなんて無理だ!」
「あー、まぁそうですよね。でも、まぁちょっと信じて待っててください」
「え」
キンッ……と澄んだ音を一つ立て、鞘から刀を抜く。
黒い柄、金の鍔──黒い刀身が、みるみる赤くなり──轟ッ、と燃える。
大口は──まっすぐにその巨体を震わせて突進してくる。
食い殺すというより、自身の肉体で圧し潰す。そういったような突進。
ジンは刀を真っ直ぐに構える。
両手で握り、正面の構え。
「八眺絶景──」
叫び声が上がり地響きが轟く。
大口が開かれ──唾液が飛び散る。
その時間が延びる。
世界の動きがスローモーションになった世界で、ジンは刀を振り下ろす。
絶景の停止した世界の行動は、絶景を習得した者以外には感知できない世界。
「──銀世界」
その技を見ていた男性には、『たった一振りの攻撃』に見えた。
大口の首が輪切りに切り裂かれ──ばらばらになって転がった。




