【21】魔払いの池【17】
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草木も眠る夜の帳。
冬雲が月も星も隠しきり、見渡す限りの暗闇。
交易都市や王都周辺に居たから夜は明るい物と思っていたが、郊外……いわゆる田舎と言ってしまっても過言じゃない地域であり、明かりなんて何も無かった。
「お兄さん。あんまり暗がり行くと危ないですよ」
ふと彼の背中に若い男性の声が掛けられた。
「ああ、すみません」
彼──ジンは振り返って軽く頭を下げる。
焚火の方には勇者が一人いた。長髪の青年。ジンより一回りも若い彼は生真面目そうな顔をしていた。
「いえいえ。ただ、先ほど、この辺りに群れ狼の痕跡がありましたので。
もちろん、何かあったらお守りしますが、痛い思いはしない方がいいに越したことはありませんからね」
にっこりと笑う青年に、ジンは少し頬を緩ませて返す。
群れ狼くらいなら目隠しプラス竹ひご装備でも倒せるジンだが、ご厚意には従い焚火側に戻る。
ここは馬車停まり──三日月池の馬車停まりという場所にジンはいた。
ハルルの故郷に向かう途中──王都を回避して動き回っていたら結局、夜になってしまった。
日が沈む前にどうにか村か何かに入らなければと右往左往していた最中、見つけたのがこの馬車停まりだった。
王都から交易都市周辺で『馬車停まり』と言えば、ちょっとした宿があったり商業施設があるのが普通だ。
しかし、ここの馬車停まりにはそういったものは一切無い。
あるのは、三日月型の池と大きな一本樹だけ。
池の内側に木組みの大きな焚火が焚かれ、それを囲むように乗合馬車が二台と、行商人の馬車が一台停まっている。
ジンを含め、合計10数名がこの場所で野営をする予定だ。
そして、この馬車の護衛の勇者は二人。
若い長髪の男性勇者がジンを見た。
「夜の見張りですが、お兄さんにも協力して貰って大丈夫ですか?」
「ああ。問題ないよ。俺も一応勇者だから」
「あ、そうなんですか。お兄さん、先輩なんですね。だったら一番大変な0時から3時の見張りをお願いしちゃおうかな」
「おいおい、俺は非番なんだぞ。警護任務受けてるお前たちが頑張ってくれよ」
ジンが笑って帰すと、長髪の勇者とその隣にいる同僚らしい魔法使いの勇者が大きく笑った。
「ん。勇者さんら。あんたらこの馬車停まりは初めてだな?」
ふと、野太い声のずんぐりとした男性がジンたちの様子を見てそんな声を上げた。
裾の長いクリーム系の白を基調にした服装。あちらの馬車の行商人だろう。
「? そうだけど」
「ここは夜間の見張りは大丈夫だで。ここの池は、魔払いの池なんだでよ」
ドワーフのようにずんぐりとした男性がジンにそう笑いかけた。
「魔払いの池?」
「だで。強力な精霊魔法が溶けた水らしくて、魔物は寄り付かないんだでよ」
なるほど、とジンは頷いた。
「精霊魔法ってなんです?」「えっと……なんか授業でやったことがあるけど知らないなぁ」
若い二人の勇者は知らないようで、同時にジンの方を見た。
「……精霊魔法っていうのは、文字通り『精霊だけが使える魔法』だな。
水の精霊とか火の精霊とか、聞いたこと無いか?」
「あ! ありますよ! 教本とかで見たことがあります!」
「たしか、えーっと、高い魔力で。えーっと」
「基本的には実態がない魔力の塊みたいな存在だよ。
四大元素だけじゃなくてこの世界の万物全てに宿っているとも言われてる。
実際、水や火だけじゃなくて雷とか土とか、変わったとこじゃ文字の精霊なんてのもいるからな」
「そうなんですか!?」「凄い、博識ですね、お兄さん!」
そうでもないが。と少し照れながらジンは頬を掻いた。
「まるで精霊に会ったことあるみたいです!」
「ん。ああ、まぁ会ったことはあるぞ」
「え!? あるんですか! 会ってみたいなぁ!」
「会わない方がいいぞ。精霊は我儘で気まぐれなんだよ。
気に入った物には手厚いけどな。この池みたいに」
「池みたいに?」
ジンは池の側まで近づいて、水を覗き込む。
やっぱりな。ここの水は、ただの水じゃなさそうだ。
澄み切っている。池の底が見える程に。それでいて、魚一匹泳いでいない。
「あ! 勇者さん、駄目だで。飲んだら!」 行商人が慌てた声を上げた。ジンは薄く笑って見せた。
「ああ、大丈夫です。飲まないですし、触らないですよ」
「??」
「この池は精霊のお気に入りなんだろうな。きっと『浄化の精霊』とかそういう清らかな属性の精霊が遊びにくるんだろう。水には『浄化の精霊魔法』が掛かってる」
「? 綺麗な水なら飲んじゃ駄目なんですか?」
長髪の勇者が困惑していたので、ジンは少し笑った。
「ああ、駄目だぞ。この水、人間が飲んだり触ったら、問答無用で溶けるぜ」
「え!?」
「精霊にとっては『魔物も人間も、住処を荒らす悪しき者』だからな。悪しき者を浄化し尽くすのが、浄化の精霊魔法だ」
──まぁルキクラスの魔法使いなら解呪できそうだがな。
勇者二人がきょとんとした顔をしていた。まぁ精霊に会っていなければそういう顔にもなるか。
「まぁ。この池の側に魔物は近づかないから、夜間は見張りとか要らないってことなんだな」
「そうだでよ。だから勇者様方も休んで欲しいだ」
「そうだな。安全だから休めるうちに休んだ方がいい」
二人の若い勇者は、ありがとうございますとは言うが、見張りを続けるつもりのようだ。
(ほー。真面目で偉いな、若者たち。仕方ない。朝方に少し見張りを交代してやるか)
それまでは寝るがね。と、ジンは内心で呟いてから乗合馬車の座席へ移動した。
多くの人間が雑魚寝している。
(しかし……全然、帝国が攻めてきてる気配が無いな)
(連山で防衛戦をしてるのか? にしても平和過ぎて恐ろしい)
(まさか、情報が回ってないとか……『防衛すら捨てた』なんてことはないと思うが……ともかく今日はもう休もう)
ジンは目を閉じる。
馬車の壁に背を預け、少しずつ夢に近づく。
うとうとと、落ちていく最中。
(揺れ。僅かだが揺れている。それと音。この音は。)
馬車の車輪。回転し岩を弾く音──四つ足。嘶き──。
『誰かっ』
(! 誰かが魔物に襲われてるのか!)
だっとジンは馬車から飛び出した。
「! お兄さん、どうされましたか」
「悪い。一瞬だけ静かにしてくれ」
(くそ。ヴィオレッタだったらすぐ聞き分けられるんだがな)
ジンはしゃがみ、四つん這いのようにして、地面に耳を付けた。
「何を」
「しっ。──静かに」
音が地面を伝う。そして方向をジンは割り出す。
「東か」
(10キロ先。いやもっとか? なんにしても雷化必須だな)
ジンは鞄から白い粉を引っ張り出した。
「お兄さん! どうしたんですか!?」
「後で話す」
声を振り切り闇夜に跳び出す。
空中に、雷の足跡を数歩残して、ジンの姿が消えた。




