【21】混戦の幕開け【16】
ナズクルの小指の先と腕の薄皮に頬──そして、髪の先までが少し凍る。
冷たい瞳に、燃え盛る怒りを宿してユウはその場に居た。
フィニロットさんの『記憶』を奪ったのはナズクルなのか。
その問いかけに『そうだ。と言ったら?』と返したナズクルに、ユウは奥歯をギシと軋ませる。
『貴方を殺す』。そう明言し──冷気が部屋に充満した。
「俺を殺す、か」
「ええ。考えたくなかった。貴方が犯人だ、などと……」
ユウが目を鋭く細めると、ナズクルはふっと鼻で笑った。
「落ち着け」
「落ち着けないッ! 貴方のせいで……! フィニロットさんはッ!」
「頭に血が上り過ぎだ。落ち着け。俺はやっていない」
「……は? 今、だって、そうだって」
「だから。『そうだ。と言ったら?』と質問をしただけだ。俺は記憶を奪ったり等していないよ」
「……」
「そもそもどうやって奪う? 俺の術技は偽感だ。例えば一時的に感情を消せたとしてもそれは偽の感覚。何かの刺激で目覚められるだろう」
「……」
「?」
「紛らわしい言い回しをしないでくださいッ! 危うく僕は本気で貴方を殺すところでしたよッ!」
がんっ! と机を殴ると同時にナズクルの体に付着した氷が水になって溶けた。
ナズクルは苦く笑う。
「それは無いな」
「何ぃ! 僕の実力を疑うかぁ! 殺してやるぞ! 本当にィ!」
「そういう意味ではなく。俺が本当にフィニロットの記憶を奪っていたら、取り戻す方法を俺に聞く筈だ。なら殺すのではなく生かす。尋問などをするだろうからな」
「……いや。まぁ、的確かもしれないですけど」
「改めて言おう。誓って、俺は犯人ではない。というか、何故に俺を疑ったのだ?」
「いや、それは」
「冷静に考えてくれれば分かると思うが、俺から見てフィニロットの意識を奪うのには何のメリットも無いぞ」
「そうですか? この有能な僕を永遠に部下に出来ますよ」
……沈黙が流れ、ナズクルがまっすぐにユウを見た。
「……指令を無視して感情で老王を殺す奴が?」
「う」
「ライ公にくっ付いているハルルに手を出すなと伝えておいたのに、戦闘を思いっきり繰り広げる奴が?」
「ぅく」
「ライ公と二度の戦闘で、二度目はもう数頁も掛からず撃破された奴が、有能な部下と??」
「この話は終わり! もう次行きましょ! 次!!」
弄られ過ぎて顔が真っ赤になったユウを横目に見て、ナズクルは指を組みため息を吐く。
「……──そもそも、お前はフィニロットを押さえなくても俺の下で働いてくれるだろ」
「……そりゃ、そうですけど」
「まぁ。……目に見える物などは全て疑った方がいいが」
「でも、犯人は《雷の翼》のメンバーの可能性が高いんですよ」
「ん? どういうことだ?」
「ルクスソリスさんに指摘されて気付きました。フィロットさんはあの後、南部の隠れ家の方で過ごしてます。だから」
「あの場所を知る人間は《雷の翼》だけ……──」
ふと。ナズクルは言葉を止めた。
思考が回る。ある一つの『可能性』に辿り着いた。
同時に、その言葉は『今ここで述べてはならない』と即時に飲み込む。
結果、その言葉の合間はユウですら気付けない程に短かった。
「──ともかく、何か分かったら必ず伝える。ユウ」
「はい?」
「心配させてすまなかった。……また疑うことがあれば幾らでも疑ってくれ。審判の羽も使って構わんよ」
「……大丈夫ですよ。ナズクル先輩のことは信じてますんで」
「そうか」
「ええ。すみませんでした。いきなり押しかけて」
それでは。と呟いてからユウは部屋を後にする。
そして、一人になった部屋でナズクルは指を強く組んだ。
(フィニロットの術技及び記憶喪失は……戦後すぐ。だからユウと再会することが出来なかった。あの時なら……《雷の翼》もライ公が王都を去った直後。
だから確かに『あいつ』なら『その時は自由に動けた』。そして、自由にふるまっただろう)
ナズクルの中に、一つの整合性のある話の繋がりが出来ていた。
(……証拠も確証も無い。だが、断片的に見えてきた話から推測するに……整合性が取れる人物は『あいつ』しかいない。
『理由』も今なら納得がいく。『動機』もある。だが……それを今、ユウに伝えたとして……今は、マズい。今、ユウが復讐に動かれては……この後、訪れるであろう『他国からの干渉』に遅れが出る)
どんどん! と扉が叩かれる。
『ナズクル殿! ナズクル殿! 緊急です!』
少し前にナズクルが読んだ通り──伝令が部屋に来た。
扉を開けると焦った様子の軍服の男が立っていた。
「獣国か? 砂の国か? 挙兵だろう」
「は、はっ! 挙兵。挙兵ではあるのですが! それが!!」
「?」
「国籍不明ですッ!」
(所属不明? は。なるほど。つまらないが有効な手を打ってきたな……。
国籍不明の義勇軍という扱いにすれば王国側の攻撃対象は帝国に絞られる。
帝国の皇帝はそう吹聴して他国の支援を得たのだろう)
「……確実に帝国の入れ知恵だな。で、どこから抜かれた。山岳か、砂漠か?」
「海です!」
「海? 海だと……厄介だな。
こちらの海上戦力がそれほど強くない所に付け込まれたか……」
「そ、そのようです」
(軍事機密だがこの程度の漏洩はよくある。偶然の可能性もある)
「王国船団が出せる筈だ。東部の軍港にある船団を出せ」
「いえ、それが」
「?」
「南東の海域と、西部海域に同時に同数の船団がっ!」
「……な。んだと。では今、王国が抱えてる戦線は」
「はい。北部の雪禍嶺で、神聖国と睨み合い。東部の国境の連山を帝国が侵略中。
そして、西部海域と南東海域に敵影……四方向別々に敵が現れた状態ですッ!」
(四方向からの同時攻撃。王国は元から海上戦力の備えなんて少ない。
王国勇者は王都の守備と北部の守備に使っている。これは……マズイな)
「王国の現在の戦力では」
「防ぎきれませんッ! このままでは確実にどこかの地方から陥落しますッ!」




