【06】『いつかの日』【12】
◆ ◆ ◆
その翌日から、おじいさんのモデルの仕事が再開した。
今度は、ハルル一人がモデルで、俺は必要ないらしい。
だが、雑用兼手伝いとして、俺も制作の場にいる。
油彩の制作期間は一週間以上かかる。
魔法が発展途上だった大昔は、油絵具を乾燥させたりする期間が必要だったらしい。
三週間も四週間も、なんなら一年以上もかけるそうだ。
それから見れば、今の時代、進歩しているようだ。
そして、お爺さんは、二週間以内に作り上げると豪語していた。
今、ハルルは、椅子に座ってモデルをしている。
椅子に座っているのは前と同じだが、今回は服装が違う。
前回は白いドレスだが、今回は、淡いレモン色のワンピースだ。
白に近いが、明確に白ではなく、派手すぎない優しい黄色。
袖の長さは五分くらいで、ふわりと広がっている。
「おじいさん、意外とセンス良いッスね。このワンピース、私好きッス~」
「んむ。そうか。よかったのう、ジンくん」
ジンくんって、人生で初めて呼ばれたな……。
「え、師匠が選んだんスか!?」
「ん、あ。ああ、そうなるな」
雑用兼手伝いの最初の仕事だった。
「師匠が選んでくれたんスね。えへへ」
「なんだよ。言っとくが、あれだぞ。店員さんのオススメだからな」
「それにしては、彼女に良く似合う色味じゃがなぁ」
等と呟きながら、おじいさんは、そんなハルルを真剣に見据え、描き続けた。
◆ ◆ ◆
在るモノを、在るがままに描く。
それこそが、描く為に大切なこと。
ただ、それだけ。
そう思い、絵に打ち込んできた人生だ。
だから、自分が、描きたいと思ったモノが、そこに無いなら、描くことは出来ない。
それは、今も変わらない。
絵筆は進んだ。
ただ、やはり、これは。この思いは、存在している。
目に映るのは、ここにいる自分の願いだ。願望だ。
この願望が、空想だと、人は笑うかもしれない。
でも、それでも。
絵筆を置いた。
「完成したよ。……ジン、ハルル」
二人が何か、声を上げて、喜んだのかなんなのか、楽しそうに近づいてくる。
この二人は、とても……良い絵になる。
「……この絵は」
二人が目を見合わせる。
驚いたのだろうか。そうだな。そうかもしれないな。
だが、二人とも、優しい顔をしていた。
良かった。温かい絵を描けたのなら。
君が、優しく、微笑ませたんだ。
「おじいさん、どうしたんスか!? 急に泣き始めて!」
ハルルが駆け寄ってくる。
彼女はよく人を気にすることが出来る、いい子だ。
その後ろで心配するジンも、いい。
二人とも、優しい、いい人間だ。こんな二人に出会えて、本当によかった。
「すまんな。なんだか、涙が、止まらんくてな」
ようやく、会えた。
「ありがとう。君たちが居たから……描くことが出来た」
戦火で、妻を失ってから。
何故、家族と一緒に死ぬことが出来なかったのかと。
運命を呪いながらも、命を絶てずに、絵に逃げた。
描き続けて、妻を忘れずにいられて良かった。
描き上げることでしか、出会えない。
淡い黄色のワンピースを身につけ、薄くどこまでも優しい微笑みを浮かべる女性。
雪のように白い髪は結っていた。
ミッシェルに似た凛とした目鼻立ち、輪郭は少し自分に似ている。
「娘に、……ようやく、会えた」
◆ ◆ ◆
おじいさんの奥さん、ミッシェルさんは、身籠っていたそうだ。
戦火に巻き込まれ、奥さんは死んだ。もちろん、お腹の中のお子さんも。
おじいさんが、奥さんの遺体に会うことは叶わなかったそうだ。
そして。
おじいさんが、描き上げた絵は、この世に産まれることが出来なかった、愛する娘の絵だった。
二十歳くらいの、若い女性。
優しく微笑んだ、おじいさんの娘の絵に、息を呑んだ。
言葉を無くす程、美しい絵で。何より、優しい絵だった。
もう一週間、この絵と向き合いたい。
もう手直しする箇所は無いと思うが……おじいさん的にまだ手を入れたいところがあるのだろう。
来週また来てくれ。その時にお礼を渡したい。とおじいさんは俺たちに言った。
それで、今日が、約束の一週間後である。
おじいさんの泊まる宿へ向かう途中。そういえば、とハルルが口を開いた。
「思ったんスけど、よく考えたら、最後の方、モデルの私、いらなかったんじゃないスか?」
「それは、必要なんじゃないか? 服の皺とか、構図とか。よくわからんが」
「そうなんスかねぇ。それなら、まぁ、いいんッスけどー」
「……それより、おじいさんの絵で、気になってることがあるんだが」
「なんスか?」
「なんで、『娘』って分かったんだろう? 産まれる前に亡くなったって言ってただろ」
二十年前なんて、戦争時代の最中だし、まだ胎児の性別判別魔法も無かったような気がする。
当時は俺もまだ六歳だから、詳しくは分からないが。
……と、ハルルが、目を細めて俺を見ている。
「どうした?」
「師匠、冷めてるッス」
「なっ。いや、そうじゃないだろ。普通に気になるというか!」
論理的に、どうしてか、気になるという意味だ。
「おじいさんが直感していたんだと思うッス」
「直感?」
「娘だ! って」
「……そんな根性論、あるのか?」
「あると思うッスよ? 直感!」
確かに、直感を信じてこの国を探し回って、元勇者の俺を見つけた奴もいるしな。
等と喋りながら、俺たちは宿に来た。
いつも通りの階の、いつもの扉をノックする。
だが、返事がない。
というか、人の気配がしないんだが。
「あれ、鍵、開いてるッスよ」
扉を開けた。
部屋の窓は開いていた。
部屋の中央。
イーゼルに乗せられた一枚の絵がある。
そういえば。そうか。
娘の絵を描く前、おじいさんは、結婚式の絵を描いていた。
キャンバスの右下には、タイトルだろうか。
走り書きで『いつかの日』と書いてある。
描かれているのは、似合わない礼服と、ドレスの二人。
ただ、描いている時と──違う。
「あのおじいさん、素敵な、おじいさんッスね」
「ああ。そうだな」
俺とハルルが、楽しそうに笑いあっている光景。
モデルをしていた最中の、俺たちのいつもどおり。
どこか楽しい。そんな絵が、そこには描かれていた。
「でもって、律儀なじいさんだ」
サイドテーブルの金貨数枚と置手紙。
いつか、その日を期待して。と、達筆な文字で書かれていた。




