【21】その目の炎には名前があるんだよ【04】
◇ ◇ ◇
友情は偶数だった。
手放した後、振り返ることはしなかった。
決別した後、覚悟を決めることも出来た。
友情は偶数だった。割り切ることが出来るから。
──。……この感情は奇数のようだ。
思い返せば悔しくなる。辛くなり、自然と唇を噛む。
手が震える。息を吐く様な軽さで、この世界全てが嫌いだと子供のような言葉が溢れる。
怒りにも、悲しみにも、瞼を閉じるだけで染め上げられる。
この感情は奇数なのだろう。割り切ることが、出来ないのだから。
◇ ◇ ◇
「幸せになりたい。ただそれだけのことだ、とな」
暗く燃える穢炎の瞳で、ナズクルは真実を呟いた。
だが、その言葉に牛頭の魔族、ギュスィは混乱を隠し切れない。
ナズクルは、目を細めて感情に起伏の無い言葉を続けた。
「誰も同じ望みだろう。幸せになることを求めている。
俺も、お前も。信じてくれ、ギュスィ。この先で──結果的に誰もが幸せを感じられる」
彼の目はまだ穢炎が燃えている。
ずっと見ていたら『心の全てが満たされてしまいそうになる色』だった。
だが、ギュスィは歯を鳴らした。
「コレが……こんな、コトがッ! 幸せ、にナンかッ」
「幸せになれる。お前が見つけてくれたんだ。
【術技】は環境に応じて発動する。そして、『ただの環境適応じゃない』と」
「──あ……ぁ?」
「『集団意識性』。お前の研究が素晴らしい概念を見つけたんだ。
代々受け継がれる術技についての見解。血で受け継がれていると思われていた。
だが、違うのではないかという考え方を」
「その内容ガ、一体……」
「ある集団の例が良かったんだ。『同じ信仰』を持つ集団。
民族も血族も違うその集団に生まれた子が成長した時、その集団が求めていた術技が発動するという話だ。それを再現したい」
「さい……げん」
「そう。規模を大きくして行く必要があるがね。
まぁ、ギュスィ。一回落ち着くんだ、そして、俺を見るんだ。
ゆっくりと、静かに呼吸を整えろ」
「ナズクル、殿……」
「俺の術技は【偽感】だ。しかし、これは進化したことにより更なる力を得た」
暗く燃える目が更に暗緑色の炎のように、淀み輝く。
腐敗炎──穢の炎がギュスィの瞳に宿っていく。
「【偽感】──進化。【偽想】」
「あ──ああ──ァァ」
「【偽想】。お前の記憶にある概念を、【別の物】に書き換えることが出来る」
ギュスィは直立不動のままだった。
ナズクルは僅かに口を笑ませてから手帳を取り出し、万年筆を抜く。
「さて……何を書き換えるか。まだ上手く使いこなせていないんだ。すまないな」
開かれた手帳には活版印刷のような丁寧な字で文字が書かれている。
『ギュスィの記憶意識の書き換えた内容』と書かれたページを見てナズクルは唸った。
「【尊敬する教授】は【俺】に書き換え済み。
【兄】、【家族】、【親友】も──【俺】に書き換え済みか。
【仕事】は料理に書き換えた。うーむ……ああ、そうだ」
ナズクルはギュスィの肩を叩く。
「【神】になってみようか。
【神】を俺に書き換えてみるか。ギュスィ。──【書き換える】。
お前にとって【神】は【俺】だ。」
「貴方ハ……神」
「そうだ【神には従う】。それが【自らそう決めた】ことだ」
「そう……神に、従ウ。決めタ」
「そうだ。だから──神の名のもとに、業務を続けるんだ」
ギュスィは立ち上がった。そして鉈を拾い上げる。
牛の頭は表情が変わらない。
そして、ギュスィは緑の炎が照らす檻へ戻る。
「そう──続けるんだ。『同じ集団』に『同じ恐怖』を与えた時。
理論上、残った誰かに──【集団が望んだ術技】が与えられる筈だ。さて」
『止メッ! 止メロッ!! ギュスィ、正気ニ戻レ!!』
『家族ヲ思い出シテ!!』『オ兄チャンッ! オ兄チャンッ!』
檻に繋がれた『牛の頭の魔族』。
そして、その檻の一つで震える老いた牛頭。
老いた牛頭をギュスィは引きずり出した。
『ギュ、スぃッ、やめ──』
「神の、命。だから……。だから」
そこへ、鉈は──容赦なく振り下ろされた。
牛の頭は勝ち割られた。血飛沫が噴き出し──叫び声が上がる。
──その老いた牛頭魔は死んだ。
「早く、術技を発現してくれ。俺も心苦しい。
だが、様々な方法での苦痛を試さなければならないんだ。『逃避したい』という願望が強くなければ、『俺の求める術技』が発動しないようだからな」
「神の、命。神の、言葉……だカラ。だカラ」
誰かが叫び声をまた上げた。その叫びに合わせてギュスィの目に涙が浮かんだ。
ナズクルはため息を吐く。
「次は悲しみの感情を書き換えてやるか? 楽しさにでも」
くつくつと。
気付けば彼は笑っていた。まるで沸騰し込み上げるように、くつくつと。
◆ ◆ ◆
──階上。
叫び声も聞こえる部屋で、『恋』は笑っていた。
「ナズクル先輩は──大分、本心を曝け出すようになったなぁ。
ああ、昔は自制していた分、進化してしまったから自制が効かなくなったかなぁ?
おや。どうしたイクサ?」
その隣で、ウェーブが掛かった長い金髪の少女は、恋の腕に抱き着いていた。
彼女は恋の付き人のイクサである。
「……イクサは、流石に恐ろしいです」
「恐ろしい? ああ。ナズクル先輩がかい?」
「はい。そうです」
「うん、そうかい。可愛いね、イクサは」
恋が笑うとイクサは「むぅ」と膨れる。恋はごめんごめんと呟いてイクサの頭を撫でた。
「ねぇイクサ。キミはナズクル先輩の何が恐ろしいと思ったんだい?」
「それは」
「気兼ねなく言っていいよ」
恋の言葉に、イクサは少し躊躇いがちに言葉を選んだ。
「はい。恋様……。それは、その。あの人の目です」
「目?」
「はい。何か燃えているようなんです……とても、激しく、暗く」
「なるほどね。……イクサ。知っているかい? その目の炎には名前があるんだよ」
「名前? そうなのですか、恋様?」
「ああ。あの目に燃える炎はね。盲目の『恋』にすら見ることが出来る炎さ。
この『恋』の目と心にも、宿っている」
「それは、何なのですか?」
恋は階下から聞こえる叫びを聞きながら、蜂蜜のように優しく微笑んだ。
「妄執。だよ」




