【21】偽想の穢瞳【03】
◆ ◆ ◆
ナズクル殿を、【兄】のように【尊敬】しております。
申し遅れました。私は、ギュスィと言います。
ナズクル殿の非公式な召使をしている牛頭魔族という魔族です。
牛頭魔という種族は漢字名の通りに、私の頭部は牛で、首から下は人間と大差がありません。
誰もが見てすぐに『魔族!』と分かる見た目をしている為、『非公式な召使』なのです。主に、彼の屋敷で終日過ごしております。
何故、召使をしているか。それは紆余曲折ありますが……私は、ナズクル殿に拾われる前は『スカイランナー』という魔族に仕えておりました。その魔族がナズクル殿と手を組んだ後、死亡。
その後、路頭に迷う所を私の術技が特異であることと、私の研究が役に立つとのことで……ナズクル殿に拾われました。
これ、本当の記憶だよね。 え? 【違う。全て本当の記憶だ】。
私の術技の論文を気に入ってくださいました。
少女の書いた論文から新しい理論を作り出して欲しいと言われ、私はその仕事を務めました。
机上の空論ではありますが、ある理論を提唱した論文をいたく気に入ってくださって。──あれ。それは『別の人では』。【いや】【ナズクル殿】で【間違いありません】。
ナズクル殿は、私が魔族だというにも関わらず仕事を下さります。
【困りごとは】【相談にも乗ってくださる】【とても優しい】。
あれ。いつでしたっけ。『相談に乗ってくださったのは』。【いつでもだ】。【そうだいつでもだ】。
あれ。『何を相談したのでした』っけ。【どんなことでもだ】。
そうでした。どんなことでもです。
ともかく。給仕を務めないと。
まずは【スパイス】を与えて。【味】の確認。
えっと。この反応は良し。問題ないですね。
『術技の習得まで後、10回程の刺激』──?
【違う。これは調理実験】。そう、調理???
くらくら。する。おかしい。何かが。『目を覚ま』【す必要はない】。
ダメだ。休もう。何かおかしい。どうにも変だ。
そうだ。手を止めて。先に。
【そっちの仕事は止めて、違う業務を】行いましょう。
あれ。何を作ってるのでしたっけ。『違う、これは作業だ。』
『か』【料理】。ああ、料理ですよね。【大きな大根】だ。切ろう。
『やめろ。駄目だ。それは』【行うべきこと】。
でも。この包丁は、随分と大きい……『これって包丁』【だ】。
あれ。そうか。包丁か。
あれ?
この野菜、切ると赤い液体──【赤茄子だ】ああ、赤茄子だった。
早く料理をしないといけません。
もうすぐナズクル殿が来る時間ですから。
その時間までに解体作業を終わら──。
解体作業? ? ????
べちゃ。
あ。あ……ああっ。
◆ ◆ ◆
「73時間42分。これはまた凄い。新記録ですね、先輩」
ソファベッドから足を出して横になっているのは金髪糸目の男──彼の名前は『恋』。
糸目──いや、常に目を閉じている男だ。
どこか高貴な、そして優しそうな雰囲気を纏う男である『恋』は、『その悲鳴を聞いて』優しく微笑んでいた。
「……その呼び方は止せ。お前といいユウといい……何故、そう先輩と呼びたがるのか」
辟易した声で赤褐色の髪の男──ナズクル。
彼はその切れ長の目を冷たく恋へ向けた。
「はは。だって、それはそう呼びたいからでしょう。なんたって──」
「【偽想】がお前に通用するなら、『その記憶』も消し潰してやりたいが」
「はは。通用したとしても73時間42分しか消せないじゃないですか」
「はぁ……仕方ない。とりあえず、次はもう一段階強い物を掛けるとするか」
やれやれと呟きナズクルは立ち上がり、胸に差した杖を振る。
ただの一振りで目の前にあった筈の本棚が消え、代わりに現れたのは生臭い空気を纏う地下へ通じる階段だった。
「当たり前のように隠し通路。凄い家だ」
恋の言葉をシカトして、ナズクルは階段を下る。
「お前も行くか?」
「いいや。どうせ行っても面白い物が『見れない』からいいや。盲目だけにね」
「……対応に困る冗談は止せ」
ため息を一つ残して、ナズクルは階段を下りた。
──薄暗い地下へと降りる階段。空気を燃やさない薄暗い緑色の炎があちこちで燃えている。
そして、その薄暗い光のすぐ下。階段を下りてすぐの所で、ナズクルは彼の姿を見つけることが出来た。
牛の頭に人の体──魔族の男、ギュスィ。
うわごとのように繰り返し言葉を紡ぐギュスィに、ナズクルは近づいた。
「大丈夫か、ギュスィ」
「私ハ……こんな、コトが。こんな……ッ。こんなコト。どうして、こんな、恐ろしいコトを」
「ギュスィ。これはキミの研究を実証する為の物だ」
「ちが……違う。これは、実証。じゃ……こんなことはッ」
「ギュスィ。目を見て話そう。俺を兄のように尊敬していた筈だ」
「そ……それは」
「【兄を手伝うんだ】」
「は……い。で、も。違うんです……こ、レは」
「ふむ。最初はこれで行けたのだがな……耐性が出来るとはこういうことか。
はぁ……ヴィオレッタの【屈服】ならもっと勝手が良さそうなのだがな……」
「どうして……ナズクル殿、どうして」
「うむ?」
「どうして、こんなコトを……どうして、コンナ、酷いコトを、私に、させる……」
ギュスィは震えながら問い掛けた。
ふむ。とナズクルは声を上げてから、目を閉じた。
「……前に、俺の望みは何かと聞かれたことがあった。
考えても上手く言葉に出来なかったのだが、今なら答えられるな」
「?」
「幸せになりたい。ただそれだけのことだ、とな」
開いた瞳が──暗く燃える腐敗した穢の炎を宿していた。




