【20】こういう時はやらせた方がいい【37】
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──ガラスを細かく砕いたような、透明に白が混じったような煙が舞う。
その煙は睡眠薬の煙だ。数呼吸で竜種を眠らせることが出来る『取扱注意』な薬品。
薬煙の中を、スタブルという無精ひげの男は仏頂面を下げて歩いて来た。
彼の腕の中には、赤髪の少女が抱き抱えられている。
「戻って来たか」「副官、無茶しすぎだろ」「ティスちゃん生きてるか??」
正門側。西号基地とは逆側にある大門の外で待機していた男たちが一斉にくぐもった声を上げた。
「ああ……ティスは眠っているが無事だ。薬を吸い込んだろうから、暫く目を開けられない」
スタブルが淡々と説明し、男の一人が苦笑いを浮かべていた。
「リアルに、スタブル副官って『濾過式呼吸保護』いらねぇんだな」
若い男なのだろう。声が若い。
──外で待機していたスタブルの仲間たちは全員、頭を全て覆う全覆兜に似た『濾過式呼吸保護』を付けている。
「ああ。俺は術技で『異常』が無効になるようだ。説明は……誰かしておいてくれ」
スタブルが投げやりに呟くと、少し笑い声が上がる。
「スタブルよぉ! 次からティスちゃんにゃあよぉ?
俺らにもぉお、声かけるよぉーに、言ってくれよなぁあ?」
「常日頃から言っているよ。まぁ……分かってるだろ。ティスはこういう奴だ」
「まぁぁあそうだけどよぉお。心配っちゃあ、心配だぜえ?」
間延びしたように喋る男は抱き抱えられたティスを見て息を付いた。
「なぁあ。ティスちゃんは負けたのかよぉ? 想像付かねぇよぉ、ティスちゃんが負けるなんてよぉ」
「ああ。負けてない。引き分けだな」
「マジかよぉぉお?? どんな化物だよぉ、相手ぇ」
「三対一だったようだ。魔族が二名だな。族長と。
見たことのない魔族だった……多分、幻の絶滅危惧族、剛腕鬼族の生き残りだろう。あれは恐ろしいな。半分男で半分女という見た目だった故、伝承上の姿と合致する」
「マジかぁぁ……であと一人は?」
「人間の勇者だった。ティスと同い年で、以前クエストに行った仲でもある少女だ」
「え、なんで魔族と一緒なんだぁぁあ?」
「知らん」
「まぁいいかぁ……しかし、ティスちゃん世代ってどーなってんだよぉ。
化物しかいねぇなぁ。あの魔王少女ヴィオレッタってのもティスちゃんと変わらんだろぉぉ??
それにその勇者の女の子? 異常だなぁあ、おぃい」
「ああ。若いその世代が時代を作るのかもな」
「世代! 時代! はぁああ、マジに嫌な言葉だなぁああ。
俺らも十分に若ぇえのにぃ、疎外された気分だよぉお、俺はぁよぉ」
「とりあえず、帰りはどうやって帰るんだ?」
「あーー、安心しろぉ。『手作りの気球』で帰るぜぇ、あっちに止めてあるよぉ。
炎術技の真骨頂だぁよ、あれはぁぁよ」
「手作りという言葉でここまで不安になったのは初めてだよ」
「ちょっと待てよ、先輩っ! もう帰るのかよ!」
その言葉に、スタブルと間延び喋り男が足を止めた。
「ぁあ? なんだ若いのぉ。そういや、お前ぇ注意してなかったがぁあ、さっきから口の利き方がなってねぇええなぁあ?」
「ティスが睡眠薬を吸った。毒ではないが、解薬で早期に目を覚ませるようにした方がいい」
「いや、二人ともさ! 今、好機じゃねぇの!?」
「?」
「隊長が引き分けたんだろ!? ならよ、魔族二匹と裏切りの勇者が一人、あの基地の中にいんだろ!? それも睡眠薬で身動きが取れない!」
「その通りだが……」
「なら、殺すか拉致するべきだ!」
「おめぇー、さては新参だな??」
「新参か古参かなんて関係ねぇ! 魔族は殲滅する! ティス隊長の言葉通り、俺は魔族を殺したい!!」
スタブルの隣で彼は『真面目な奴が入ってたんだなぁー』と大きく間延びしたため息を吐いた。
「ティスに影響された、ポスト・ティスだな」
「ええ! ティス隊長に救われて、魔族を殺す為に今日まで──」
「それでも帰る」
「っ! 何故!」
「ティスが傷ついている。俺はそれを癒すのが最優先だ。それが副官だ」
「しかし」
「だから自由にしていい」
「え?」
「止めない。お前に賛同する者を集めて好きにしてくればいい」
「えええぇぇ、いいのかよぉお?」
「いい、んですか?」
「ティスは止めても止まらん。
それで成功を収めたらティスもお前も嬉しいだろう。失敗したらお前は辛いがティスの傷は治せる。
俺に損が一切ない。だから自由にしていい」
「! ありがとうございますっ!」
「おいおいおいおいぃぃい……。はぁああ……副官が言うならよぉお……うちはそういうのも自由だけどよぉお……。
おい、ジャリガキ! 一応注意だぁ! あの睡眠薬の煙はぁ、濃厚だぞぉ?
いくら高級なマスク付けてるからって、あの中心は防ぎきれねぇよぉ?
もうちょっと時間を置いてからいけよぉお!? 後20分は待った方がいいぞぉお!」
「了解ですっ! バーンズ八位!」
「急に素直だなぁぁあ! はぁああ。とりあえず、俺らと帰るやつは付いてこぉおい」
そして雑踏の中──隊は二つに分かれた。
黒い森の中に、その気球はあった。──気球と聞いていたが、それは気球というより『船』に見えた。
いや……。それは一本の樹をくりぬいて作った船。
「丸木舟……か?」
「おーよぉー、そーだぜぇー」
「これに乗っていくのか」
「下から炎を噴出して飛んで、着地も炎で緩やかにできるんだぜぇえ。炎最高だろぉお~」
呆れた顔でスタブルはその船に乗る。
ティスを足と足の間に座らせるように抱き抱える。
寝息が立っているから大丈夫そうだとスタブルは呟いた。
そして、バーンズ。間延びした喋りの男はマスクを取った。
「行くぜぇえ! 燃えるぜファイアーシップゥ!!」
丸木船が浮上し──ぐんっ、と勢いよく空をかっ飛んだ。
西号基地まで一直線。もはや大砲の弾のような軌道だ。
「はぁああ。しかし結局半分……15人くらいが行ったのか。血気盛んだねぇえ、若いのは」
「だな。彼ら、死なないといいが」
「……は?」
「魔族側に増援が来る。きっと本隊か、ヴィオレッタが来るだろうな。
あの大暴れだ。相当な戦力が鎮静に来るのは目に見えている。
あいつらは皆、死んでしまうかもしれんな」
「……教えてやればよかったんじゃねぇえの??」
「? アイツらは気付いていないのか? あれだけ暴れたんだ、増援も駆けつけてくるのが自明だろう?」
「あー、いや、まぁ……。
はぁ……スタブルってよぉ、マジにブレねぇから怖いよなぁ……。アイツらのことを考えて止めてやるのが筋じゃねぇの」
「だから、止めても止まらんのがティスだ。こういう時はやらせた方がいい」




