【20】勇者の仕事【27】
「セレネさんッ。すみません、無理させて! 腕、大丈夫ッスかッ」
ハルルが慌ててセレネに駆け寄る。
その右腕は寸鉄が肉を裂き、ぴくりとも動かずだらんと下がっている。
「いえ……見た目よりかは大丈夫です。確かに動かすと痛いですが。
それに、無理はしていませんよ。寧ろハルルさんに無理させてしまって申し訳ないです」
「でも怪我は意外と自分で分からないって師匠がよく言ってるッス! ともかく、これをッ」
ハルルは小瓶を取り出すと──セレネの顔が引きつった。
「そ、それは何ですか? ……えっと、その黒い……」
「靄ッス!」
「……靄、ですか」
黒い靄の入った瓶。魔法薬では無さそうだと、流石に抵抗があったようだ。
「これはヴィオレッタさんの術技なんス。えーっと。
とりあえず腕を出してくださいッス!」
「は。はい」
小瓶を開けて、靄を垂らす。不思議なことにふんわりとした気体にも関わらず、液体のようにセレネの腕に落ちた。
じゅわっと焼けるような音がした。音を聞いてゾワっと背筋を震わせたセレネだが、数瞬の後に目を見張る。
「あれ、痛みが……」
「えへへ。超便利な回復薬ッス! ヴィオレッタさんの術技の靄の切り取りで、靄の中に『痛み止め』『肉体修復』、『火傷治し』に『化膿止め』それから『解毒効果』まで付与されてる優れものッス!」
「流石ですね……こんな凄い魔法具まで持ち歩いているなんて」
「え、えへへ。そうッス、これが経験値、って奴ッスよー、え、えへへー」
(主に私が戦闘で無茶苦茶するから持たされてるんスけどね……火傷治しと化膿止めとかモロッスもんね)
「ありがとうございます。だいぶ楽になりました」
セレネは優しく微笑んだ。
「えへへ。良かったッス!」
「でも、ハルルさんの分は」
「ああ、もう一本あるッス。二本は最低でも絶対に持てと師匠が言うので」
もう一本、ハルルが取り出すと、セレネがほっとした顔を浮かべた。
そして瓶を開けてハルルは不意に手を止めた。
「? ハルルさん?」
「はぁ。師匠に怒られるッス」
呟いて、ため息を吐いた。
◆ ◆ ◆
(……呼吸、出来る。目、が……開かないが。声が、する。
誰だ。ああ、さっきの……女勇者たちの、声だ。
そうだ、私は……先ほど、電撃を受けて……)
「──なるほど! 柄は電気を止める黒断石なんすね! やっぱ凄い薙刀ッスねー!
威力もですが……投げつけたのに穂先が軋んでもいないッス! やっぱりこれは一族に伝わる伝説の武器なんですか!?」
「えっと。伝説的……?? えーっと。
ゆ、由来ならありますが」
「由来!? 知りたいッス!」
「は、はい。伽雷って知ってますか?」
「? 知らないッスね……有名な神様なんですか?」
「いえ、あまり有名ではないかもしれません。神話の時代、雷神の遊び相手に選ばれる程に美しく、そして雷神に比肩する強かな武勇を持っている神様。それが伽雷。そしてこの薙刀は──」
「神様が使ってた武器ってことッスか!? 超神話級レアアイテムなんスかね!?」
「あ、いえ! 勘違いさせてすみませんっ! そそそ、その神話に準えて刀匠が作ってくださったのがこの薙刀でしてっ!」
「えぇ!!? じゃぁやっぱり凄い物じゃないッスか!
『伽雷』の名を冠する武器ってことッスから!
実際、神様が使ってても不思議じゃないッスよ! こんな立派な薙刀!」
「あはは。……嬉しいです。そう言ってもらえると。……祖父が打ってくださった薙刀なので」
「そうなんスか!?」
「はい。父は刀鍛冶でして。それで雪禍嶺の頂上に降る上質な雷だけを集めて枯れない雷に固めたそうです」
「雷って固められるんスね」
「特殊な技術──ハルルさんっ!」
「あ。起きたみたいッスね、職業暗殺者のアサンサさん」
「……な、ぜ」
(何故、死んでない。あれほどの、電撃で。いや、それより。何故、今、もう意識が戻ったのだ……)
「治療用の靄、使ったッス。引く程、治るんスよ。
貴方のお腹の傷、後で是非見てくださいよ。ドン引きするくらい治ってるッスから!」
『でも怪我した状態で師匠に会ったら怒られるの確定ッスけどね……』と小さく呟いてハルルは肩を落とした。
「敵。だぞ、私は……助ける必要が、あるのか」
「いや、無いッスけど。ほらアサンサさん、暗殺が仕事って言ってたじゃないッスか」
「ああ……仕事だが」
「仕事で死ぬのは止した方がいいなぁって」
「……な、に」
「仕事ってことは、誰かから雇われてるってことッス。なんというか、それで命を捨てるってのは違うんじゃないか、って思っただけッスよ」
「……お前たちを殺そうとしたのに、それでも助けたのか」
「まぁ。そッスね」
「今、起き上がってお前を殺すかもしれないぞ」
「かもしれないッスけど、しないと思うッス」
「何故」
「直感ッスね。理由は無いッス。ただ──もし殺そうとしてきたら、全力でねじ伏せるんで大丈夫って思ってもいます」
「はは……恐ろしいな。……恐ろしすぎて。はは……戦意も喪失する、な」
「えへへ! ッスね!」
にへら、とハルルは笑った。
アサンサは深く息を吐いた。
「参ったな。大人しく尻尾を巻いて帰るとするよ。すまないが、部下たちを」
「あ。彼らはもう船に積んで西号基地へ送り返してありますよ。治療も終えてます」
「料金着払いッスからね!」
「貴方だけは傷が深かったので回復まで見守っていたんです」
「……はは。完敗だ……分かった。出ていくとする」
むくりとアサンサは起き上がる。ふらりと体をよろめかせたが、一人でしっかりと立った。
「あ、裏門から出ますか?? 『暗殺失敗』なんで『堂々とあちらの正門から』は帰れないでしょうから」
まぁ裏門なんてないんスけど、と冗談めかしたハルルの言葉に、アサンサは苦く笑い──歩き出した。
「敗北しても、堂々と正門から出て帰るよ。ただ……先輩からの、忠告だ」
「はい?」
「……敵を治療するなんていう優しさは、これきりにしておくといい。私の仲間は、難民キャンプで刺殺された。
優しさは世界共通語じゃない。あくまでも──……いや。すまない。やはり忘れてくれ」
アサンサが言葉を止めたのは振り返ったハルルの顔を見たからだ。
その顔で、言いたいことを察した。アサンサは改めて、言葉を選び直す。
「本当の勇者だったな。君は」
「えへへ。そうッス。これから先も、誰に甘いと言われようと。
私は──勇者の仕事は、命を助けることッスから!」
「はは。勇者の格としても、完敗だよ。
……君の暗殺依頼は、料金表の最も高額に設定しておかないとな」
「誉めてるんスかね、それ」
「誉めてるとも。……ありがとう。女勇者」
「ハルルッス」
アサンサは、少しだけ笑ってから正門を押す。
そして、開けた扉の向こうを見た。
「悪党に感謝を述べるとは即ち悪繋であります。死ね悪党」
赤熱した赤い言葉と、目が覚める程に赤い血飛沫が飛ぶ。
──アサンサは襤褸布のように空中に打ち上げられた。




