【06】ノイズの曲【09】
このモデル生活も何日目か。十日以上は過ぎた。
最初の一週間は毎日来たが、最近は隔日になっていた。
老人も、半分地点まで来たからモデルが居ない時は、質感を描く、と言って、背景や衣服などを細かく描いているようだった。
さて、そろそろ、休憩時間だな。
何故、分かるようになってきたのか。簡単だ。今、部屋に流れている音楽だ。
魔法道具の『蓄音貝』。あの二枚貝の貝殻は開いている時に、過去に記録した音楽を流せる。
今、流れている『舞曲』が終わる。
次は、さざ波のような伴奏から始まる曲で、直後に。
『ザザザザー!!』
ノイズが走り、俺たちの集中力を弾いてしまう。
「まったく。このボロは……」
およそ、二時間、色々な曲が流れ、この曲で休憩開始、といった感じだ。
「ここまで寸止めされ続けると、逆に、どんな曲か気になってきちゃいまスよね」
「まぁ、確かにな。おじいさん、その曲は何て曲名なんだ?」
「ん……なんじゃったかのう」
腕を組む老人。
「北の。うーむ。思い出せん。ミッシェル、なんて曲を入れたんじゃ?」
「だから、私はミッシェルじゃなくハルルッス!」
◇ ◇ ◇
そして、この日の休憩中。
何の話の弾みか、老人の描いたミッシェルさんを見ていた。
田園風景を背に、白い傘を差したミッシェルさんを描いている絵。
その顔も、やはり真顔だった。
「どの絵も、ミッシェルさんの表情は変わらないんですね」
俺が訊くと、老人は、そうじゃな、と頷いた。
「いつも無表情でな。
その絵は、傘を買った時じゃが、喜んでくれていたのか。
自分が……本当に、彼女を幸せに出来ていたか、今でも分からない」
「それは」
「自分にとっては、幸せな毎日だったよ。ただ、仕事は減り、爪に火を点す貧乏生活は続いた」
不意に、ハルルを横目に見てしまった。
「王都では生活できず、自分たちは南の田舎に小さな家を買い、絵の仕事をしに、毎週末は王都へ行く生活」
困窮した生活でも、彼女は、弱音の一つも吐かずに、一緒に生活を営んでくれた。
「結婚式も挙げられず。相当、我慢もさせたし、辛かっただろう」
そう老人が背を丸くした。
「いや、幸せだったと思うッスけど」
ハルルの直球に俺はびくっとする。
「そうかい?」
「ええ。絶対に。だって幸せじゃなかったら、サクッと出てくと思うッス」
あっけらかんとハルルが言い放ち、俺と老人は目を合わせてしまった。
「……そういうものかのう?」
「そういうものッスよ?」
「そういうものなの?」
「そういうものっス」
……そうなんだ。女って、ちょっと怖いな。
「……でも、おじいさんの気持ちが分かってよかったです」
「気持ち?」
「ええ。結婚式、挙げてあげたかったから、描いてるんですね」
「……そうなるかのう」
老人は、少し照れ臭そうに目を伏せていた。
◇ ◇ ◇
「ミッシェルさんは。その」
俺たちは、もう察しが付いている。
彼女がもう──この世にはいないということを。
老人は、静かに、頷いた。
「戦争でな。爆弾が落ちてきたそうじゃ」
手を止めて、指を組み、老人は俺たちをしっかりと見た。
「戦争なんか、するもんじゃない。殺し合いなんて、無い方がいいんじゃ」
「そう、ッスね」
だから、ネックレスの指輪は、焼け焦げた跡があったんだろう。
そして、その指輪を、老人が持っているのも納得だ。
「王都で、仕事を貰えてな。その月だけ、平日はずっと王都で生活していたんじゃ」
老人は、改めて絵筆を取り、描き続けながら話した。
「虫の知らせという言葉があるじゃろ」
「えっと、悪いことが起こる前に、嫌な予感がするっていう?」
「そうじゃ……笑える話じゃ。自分は一瞬も、そんな予感は感じなかった」
南地区の村が爆弾で攻撃された。
そんな報せを聞いたのは、一日以上も後のこと。
「今でも思うよ。なんで、その時、一緒に居てやれなかったんだろうってのう」
一緒に、死んでやることが出来たら。
「それは、違うッス」
ぽつりと零れ出た老人の言葉に、ハルルが立ち上がった。
「一緒に死んでしまっていたら、誰もミッシェルさんのこと、絵に描けないッス」
「……そうじゃな。その通りじゃ。だから、やはり描くしかないんじゃよ」
老人は寂しそうに、笑って見せた。
◇ ◇ ◇
「やはり、違う。こうじゃない」
半分以上も仕上がった絵を前に老人は筆を置き、頭を抱えていた。
「何が違うんスか?」
「……分からない。今、目の前に在ることを、在りのまま描いているが、違うように思える」
ハルルが絵を見に行った。
すごい綺麗ッスけど……という声を聞いてから頷く。
「ハルルとミッシェルさんは違うから、在りのまま描いても、ミッシェルさんの結婚式にはならない、ということなんじゃないですかね」
老人は、それもその通りじゃ、と喉の奥底から言葉を取り出すように吐き出した。
「すまんが……今日は、少し一人にしてくれるかのう」
取り付く島もなかった。
部屋に流していた音楽が、ザザザザーと長いノイズを吐き出していた。
老人は立ち上がり、二枚貝の貝殻を閉じ、音楽を消した。




