【20】腕フェチ♪【15】
「『ぬめり水の檻』」
ぽよんという音と同時に、ルクスソリスをゼリーのような水の塊が覆った。
梅干し顔の老婆、センスイが放った魔法は、ルクスソリスを捕らえていた。
ルクスソリスは小首を傾げてから腕を動かすが、水の塊から出ることは叶わない。
その両手の爪が鋭くなる。さながら研がれた刃のような爪で外に向かって手を伸ばすが、水はぐにょんと伸びて彼女を逃がさない。
「はん。切れないよ。その爪がいくら鋭くともね。
この檻の性質は水。刃物じゃぁ解けないさね。それに」
「もごぁ」
ルクスソリスは口を覆い、喉を自ら絞めた。
「『溺没の水責め』──この拷尋問は何百年も昔から使われた手法さ。知ってるかい?
打撃や斬撃は痛みを強く感じるが、『死』は実感し辛いそうだ。
溺れ死に。生物なら、この恐怖には抗えない。そして抗えないから術技や魔法も発動が出来なくなっていくのさ。悪いね、老獪な魔法で」
そしてルクスソリスは苦しみ悶えながら──。
「 ァ ハ── ィぇぁ ァぁあ」
笑った。
そして──その左肩から左手の甲までの肉がこそげ落ちた。
「な……何が」
センスイが混乱の声を上げた。同時に、気付く。
今、彼女が呟いた喘ぎ声のような言葉の正体。
(イェァ・ァァア……。もしや、『装纏翼』、と言ったのかい? だとしたら厄介さね)
『装纏翼』。それは高位魔族の戦闘術式だ。
種族によって多種多様な効果のある羽を生み出す術式であり、単純に戦闘力が三倍ほど上昇すると考えていいだろう。
(骨羽と言われているだけあって、発動後に骨の羽が出るのかいね?
背から羽は出ていない。ただ左腕が骨化しただけ? 失敗? いや、ありえないね。
あの左腕に何か──)
センスイ婆が思考を回転させた時──気付いた。
ルクスソリスを閉じ込めている『ねめり水』の色が変わっている。白濁し泡が立っている。それはまるで沸騰しているかのように。
その次の瞬間、爆散した。
(っ! 視界が)
「私の装纏翼は羽なのに羽が出ないんだよねぇ。まぁ焼けちゃったからだけど。
だから代わりに『体の一部が骨化』するんだぁ。変でしょ。
それに、有する力も『骨化した影響』で──炎が骨の中に生きているんだってさぁ」
真っ白な水蒸気の中、センスイは即座に腰に潜ませていた杖を抜く。
水蒸気の霧を晴らしながら声の方向へ水の刃を飛ばすが──見つけられない。
そして、右腕の二の腕に『焼け爛れるような痛みを覚えた』。
「それとさ。私、ライヴェルグにガチ恋してるんだけど──その『前』。
私が、何フェチだったかって何か知ってる??」
「!」
センスイの背後にルクスソリスは立っていた。
そして、その左腕で、老婆の二の腕を掴んでいる。骨がしゅうしゅうと音を立てている。
その音は骨の中から聞こえてきた。よく見れば、その白い骨の中には赤い──毛細血管のような赤い『熱』が流れているのが見えた。
反応が遅れ激痛が走るが叫び声の一つも上げずにセンスイは杖を振った。だが杖の魔法は当たることはない。ただ空しく空を切る。
「腕フェチ♪」
音がした。
それは、パンパンに肉が詰められたソーセージを焼いている最中に加熱に耐え切れず割れたような音でもあった。
それは、細い紐を束ねた縄を一気に引っ張り引きちぎるようなミチミチとした音。
それは腕が焼き千切られた音。
血が舞った。焦げた臭いにむせ返る血の臭い。
「っ……ああっ!!」
二の腕から先が──熱断された。
骨の無骨な鋭利さと、万力のような握力で引き千切られたが故に、腕からまだ数本の血管が蚯蚓のように這い、動いていた。
濃すぎる黒に近い赤い血と、どろりとした血か肉か、漿かが零れる。
その細い腕。脈々と流れる血を止めようと腕を押さえながらセンスイは蹲った。
そして、ルクスソリスは楽し気に鼻歌交じりで近づいた。
熱断された老婆の腕を、右手で拾い上げ──抱き締めた。
「腕ってさ、よくない? 手が好きな殺人鬼もいるって聞いたけど、すごく共感出来るんだよね。
ただ私の場合は腕ごとなんだけどさ。
手が綺麗って気持ちも分かるけど、私はこの抱き締めた時の感覚がヤバく好き。
それから断面も好き。ちょっと指入れると、ほら、なんか肉の感触がいいんだよ。ぶちゅあって感じ。
まー、総合して筋肉質な男の腕が好きなんだけどね。純粋に、ハグし続けたくない??」
「……はんっ。人体収集をバラバラにして……変質的な殺人を行ったって聞いていたけど……」
「あー、それだけしか世に言われてないの? いつも腕だけ持ち帰ってたのに」
「……なるほどね……『変質的連続殺人犯』か……っ」
「誉め言葉として受け取るよ、あはっ。さて、じゃあバラバラにしちゃ──」
「……ルクスソリスさ──様」
不意に、馬車から声が投げられる。そこから出てきたのは少年──姿になってしまっているユウだ。
「あ。そうだ、助けに来たんだったね、私」
「ええ。ありがとうございます」
「手間かけさせないでよね。ま、大した手間じゃないけどさ」
「……申し訳ございません。助かりました」
ユウはしげしげと頭を下げる。
「うん。それはいいんだけどさ?」
「はい?」
鼻の奥にこびりつく様な、硫黄臭。
タンパク質を燃やすと発生する独特の不快な臭い。
じゅっ、と音がしていた。
ルクスソリスの骨化した左腕がまっすぐに伸び、その骨の人差し指が、ユウのもみあげを抓んでいた。
「なんで割って入って来たかな? 私、今、やってる最中だったよね?」
「……それは」
「ユウくんさー? ねぇー、ユウくんさー? 私、貴方の上の代の四翼。
貴方のお兄さんや家長たちより上の階級。分かるますか?」
「ここで生い先短いこんな老婆を殺しておく必要も意味もありませんよ」
「はぁーん、ほぉーん。へぇー。……ま、同じ青の一族だもんねぇ」
「それは関係ありません。ただ、ナズクルさんがどんな作戦を実行しようとしているかは不明ですが。
何事においても、あまり虐殺し過ぎては厄介なことになりかねないということですよ」




