【06】絵中懐古【08】
◇ ◇ ◇
老人は、デッサンの手を緩めずに、言葉を紡ぎ出した。
「肖像画家、という職業については知っておるかい?」
「知らないッス」
「当然じゃろうな。二十年も前に廃れた仕事じゃてな。
……肖像画家は、依頼を受けて、人物の絵を描く仕事じゃ」
貴族や、王族、高位の冒険者。
多くの人間が、肖像画家に絵を描いて欲しいと依頼してきたそうだ。
「今の自分の姿を残しておきたい。権威を表したい。まぁ、様々な理由があったんじゃ」
「そうなんスか……つまり、師匠は、権力を誇示したくて!?」
「違う。あれは、本の表紙の依頼だっての」
木炭の手の動き。
キャンバスを滑る独特な固い音。
「でも、なんで、肖像画家さんは減っていったんスか?」
「そうさな。当時の仲間たちも、色々理由は言っておったよ」
ある画家は、写真の普及によるものだ、と怒り狂い舞台から去り。
ある画家は、時代が変わり不要になったと、悲しみ身を投げたそうだ。
「どちらの理由もあるじゃろうし、他にも理由があったのかもしれないな……。
そういう熱意も才能もある仲間たちが消えていき、自分だけは残ってしまったのじゃ」
絵しか描けないから。これしかないから。
老人は自嘲気味に笑った。
「気付いた頃には、歳も四十を越えたのに関わらず、所帯も持たない寡になっていた」
「やもめ?」
「お前、鳥のこと思い浮かべただろうが、独身のことだ」
「なるほどッス!」
◇ ◇ ◇
そして、休憩を挟んだ。
気付けば一時間も立ちっぱなしの姿勢だったので、足が少し痛い。
同じ姿勢はこれだから嫌だ。
老人は熱い紅茶を入れてくれた。
「二人は、師弟と聞いたが、何の師弟なんじゃ?」
「便利屋」「勇者ッス」
「まぁ、何の師弟でも興味は無いが」
じゃぁ聞くな。と張り倒したくなる。
「……自分もお主と同じように、妻は、元は自分の弟子じゃったんじゃ」
ぶふっと紅茶を吹き出しそうになる。
「……あのさ、じいさん。あいつは、恋人とかではなく」
「ミッシェルは、長い白髪、橙色の眼に、作り物のような白い肌でな。
北国育ちの美しい女であった」
「ガン無視か!?」
「肖像画家ではもう食っていけない。そう言っているのにも関わらず、自分に弟子入りした物好きじゃったよ」
「会話続けやがった。すげぇな」
「ああ、すごい頑固な弟子じゃった」
「おじいさんのマイペースさの方が凄いって言ったんだが……」
「師匠! 見てください、おじいさんの絵! すごい綺麗でリアルッス!」
書きかけの絵を指さすハルル。
……確かに、写実的だ。
木炭でラフに描かれている俺たちの絵は、まるで現実を切り取ったようだった。
「どうやったらこんなに上手く描けるんスか?」
「そうさな……上手か下手などは分からないが。……ただ、そこに在るものを、在るがままに描いているだけじゃよ」
「それが一番難しそうッスけど……」
「……ミッシェルも、同じように言っていたな」
優しい目で老人は笑った。
◇ ◇ ◇
絵を描くのは数日掛かる。
今日は二日目。また同じポーズだ。
とはいえ、俺は立っているだけだから、慣れれば楽か。
ハルルは座ったポーズだが、ケツが痛いと昨日は嘆いていたな。
「そういえば、なんで、油絵で絵を描くんッスかね」
「ん?」
「水彩もあるじゃないッスか」
「そういえば、そうだな」
「なんでなんスかー、おじいさん」
「知らんわい」
マジかよ。
「水彩の、優しく幻想的な非現実な絵も嫌いではないが、ともかく、肖像画家は油彩で描くようにと習ったものでな」
「そうなんスかぁ」
「ミッシェルも水彩は好きだったが、肖像画家はみな、油彩ではないとならなくてな。……苦労はしていたよ」
◇ ◇ ◇
「ミッシェルさんって、どんな人だったんスか?」
休憩時間に、ハルルは老人に訪ねていた。
「ん。ああ……そうさな。とにかく無表情だったのう。口数は少なく、何を考えているかは分かり辛い。じゃが、落ち着いた優しい雰囲気があったんじゃ」
「おお、私とそっくりッスね」
「冗談で言ってるんじゃないなら、自己評価に重篤な問題ありだぞ」
「師匠、ひどいッスぅ」
「……だが、一度、どうして肖像画家になりたいか尋ねた時だけ。まっすぐに、熱の籠った声で絵が好きだと言っていたな」
老人が、俺らの会話を飛び越えて話すのにも慣れてきた。
「少し羨ましく思っていたよ」
「そうなんスか?」
「ああ。肖像画家は、描きたい題材で描くことは無い。依頼を受けて、依頼主が欲しい絵を描くものじゃからな」
「そういう世界なのか」
「絵が好きだからなる、っていう感じじゃないんスね」
「そうじゃな。単純に絵が好きなのと、画家になることは、違うのう。
どんなに時代が変わっても、仕事が変わっても同じじゃろう?
プロは、金銭を頂き、依頼主が満足する物を作り上げなければならない」
それ故、彼女がやりたがっていた水彩の絵などはこの時代、見向きもされなかった。
老人は少し寂しそうだった。
「ただ、それでも、彼女の絵は、私にとって癒しでもあった。
どこまでも優しい色使いと、幻想のような優しい輪郭は、誰にも真似は出来ないだろうと、鼻を高くしたものだ」
◇ ◇ ◇
「どうして結婚しようと思ったんスか?」
モデルをやり始めて五日目。ハルルがズバリと尋ねた。
いつもは感じないが、こういう恋愛話の食い下がりは女子っぽさを感じるな。
「……そうさな。別に何がきっかけとかはなかったな」
「じゃぁ、どうプロポーズしたんス?」
ホントに、食い下がるな。俺は絶対そういうの訊けないし羨ましいわ。
「プロポーズとかは、してないのう」
「そうなんッスか」
「そうじゃよ。そういう時代じゃ。……気づいたら、特別な存在になっていた。多くの時を、隣で過ごしてくれていたからな」
老人は、自分の首のあたり。ネックレスを取り出した。
少し焦げた銀の指輪が、あった。
「気の利いた告白は出せなかった。ただ、銀貨で買えるようなこの指輪を彼女に渡したんじゃ」
指輪をハルルは食い入るように見た。ミッシェルは動かない、と老人が声を出す。
ハルルは元の位置にさっと首を戻す。
「歳の差は、大きかった。私は四十過ぎで、彼女はまだ二十になったばかりだったから」
「歳の差、あったんスね」
「結構、大きい歳の差じゃったが。彼女は、静かに指輪を左手の薬指に付けてくれた。指輪を受け取った時だけは、無表情な彼女も少し照れ臭そうに目を伏せていたよ」
◇ ◇ ◇




