表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

50/841

【06】絵中懐古【08】


◇ ◇ ◇


 老人は、デッサンの手を緩めずに、言葉を紡ぎ出した。


「肖像画家、という職業については知っておるかい?」

「知らないッス」

「当然じゃろうな。二十年も前に廃れた仕事じゃてな。

 ……肖像画家は、依頼を受けて、人物の絵を描く仕事じゃ」


 貴族や、王族、高位の冒険者。

 多くの人間が、肖像画家に絵を描いて欲しいと依頼してきたそうだ。


「今の自分の姿を残しておきたい。権威を表したい。まぁ、様々な理由があったんじゃ」

「そうなんスか……つまり、師匠は、権力を誇示したくて!?」

「違う。あれは、本の表紙の依頼だっての」


 木炭の手の動き。

 キャンバスを滑る独特な固い音。

「でも、なんで、肖像画家さんは減っていったんスか?」


「そうさな。当時の仲間たちも、色々理由は言っておったよ」

 ある画家は、写真の普及によるものだ、と怒り狂い舞台から去り。

 ある画家は、時代が変わり不要になったと、悲しみ身を投げたそうだ。


「どちらの理由もあるじゃろうし、他にも理由があったのかもしれないな……。

 そういう熱意も才能もある仲間たちが消えていき、自分だけは残ってしまったのじゃ」


 絵しか描けないから。これしかないから。

 老人は自嘲気味に笑った。


「気付いた頃には、歳も四十を越えたのに関わらず、所帯も持たない(やもめ)になっていた」

「やもめ?」

「お前、鳥のこと思い浮かべただろうが、独身のことだ」

「なるほどッス!」


 ◇ ◇ ◇


 そして、休憩を挟んだ。

 気付けば一時間も立ちっぱなしの姿勢だったので、足が少し痛い。

 同じ姿勢はこれだから嫌だ。

 老人は熱い紅茶を入れてくれた。


「二人は、師弟と聞いたが、何の師弟なんじゃ?」


「便利屋」「勇者ッス」


「まぁ、何の師弟でも興味は無いが」

 じゃぁ聞くな。と張り倒したくなる。


「……自分もお主と同じように、妻は、元は自分の弟子じゃったんじゃ」

 ぶふっと紅茶を吹き出しそうになる。


「……あのさ、じいさん。あいつは、恋人とかではなく」

「ミッシェルは、長い白髪、橙色の眼に、作り物のような白い肌でな。

 北国育ちの美しい女であった」


「ガン無視か!?」

「肖像画家ではもう食っていけない。そう言っているのにも関わらず、自分に弟子入りした物好きじゃったよ」


「会話続けやがった。すげぇな」

「ああ、すごい頑固な弟子じゃった」

「おじいさんのマイペースさの方が凄いって言ったんだが……」


「師匠! 見てください、おじいさんの絵! すごい綺麗でリアルッス!」

 書きかけの絵を指さすハルル。

 ……確かに、写実的だ。

 木炭でラフに描かれている俺たちの絵は、まるで現実を切り取ったようだった。


「どうやったらこんなに上手く描けるんスか?」

「そうさな……上手か下手などは分からないが。……ただ、そこに在るものを、在るがままに描いているだけじゃよ」


「それが一番難しそうッスけど……」

「……ミッシェルも、同じように言っていたな」

 優しい目で老人は笑った。


◇ ◇ ◇


 絵を描くのは数日掛かる。

 今日は二日目。また同じポーズだ。

 とはいえ、俺は立っているだけだから、慣れれば楽か。

 ハルルは座ったポーズだが、ケツが痛いと昨日は嘆いていたな。


「そういえば、なんで、油絵で絵を描くんッスかね」

「ん?」

「水彩もあるじゃないッスか」

「そういえば、そうだな」

「なんでなんスかー、おじいさん」


「知らんわい」

 マジかよ。


「水彩の、優しく幻想的な非現実な絵も嫌いではないが、ともかく、肖像画家は油彩で描くようにと習ったものでな」


「そうなんスかぁ」

「ミッシェルも水彩は好きだったが、肖像画家はみな、油彩ではないとならなくてな。……苦労はしていたよ」


 ◇ ◇ ◇


「ミッシェルさんって、どんな人だったんスか?」

 休憩時間に、ハルルは老人に訪ねていた。

「ん。ああ……そうさな。とにかく無表情だったのう。口数は少なく、何を考えているかは分かり辛い。じゃが、落ち着いた優しい雰囲気があったんじゃ」


「おお、私とそっくりッスね」

「冗談で言ってるんじゃないなら、自己評価に重篤な問題ありだぞ」

「師匠、ひどいッスぅ」


「……だが、一度、どうして肖像画家になりたいか尋ねた時だけ。まっすぐに、熱の籠った声で絵が好きだと言っていたな」


 老人が、俺らの会話を飛び越えて話すのにも慣れてきた。


「少し羨ましく思っていたよ」

「そうなんスか?」


「ああ。肖像画家は、描きたい題材(モチーフ)で描くことは無い。依頼を受けて、依頼主が欲しい絵を描くものじゃからな」

「そういう世界なのか」

「絵が好きだからなる、っていう感じじゃないんスね」


「そうじゃな。単純に絵が好きなのと、画家になることは、違うのう。

 どんなに時代が変わっても、仕事が変わっても同じじゃろう?

 プロは、金銭を頂き、依頼主が満足する物を作り上げなければならない」


 それ故、彼女がやりたがっていた水彩の絵などはこの時代、見向きもされなかった。

 老人は少し寂しそうだった。


「ただ、それでも、彼女の絵は、私にとって癒しでもあった。

 どこまでも優しい色使いと、幻想のような優しい輪郭は、誰にも真似は出来ないだろうと、鼻を高くしたものだ」

 


 ◇ ◇ ◇



「どうして結婚しようと思ったんスか?」

 モデルをやり始めて五日目。ハルルがズバリと尋ねた。

 いつもは感じないが、こういう恋愛話の食い下がりは女子っぽさを感じるな。

「……そうさな。別に何がきっかけとかはなかったな」


「じゃぁ、どうプロポーズしたんス?」

 ホントに、食い下がるな。俺は絶対そういうの訊けないし羨ましいわ。


「プロポーズとかは、してないのう」

「そうなんッスか」


「そうじゃよ。そういう時代じゃ。……気づいたら、特別な存在になっていた。多くの時を、隣で過ごしてくれていたからな」

 老人は、自分の首のあたり。ネックレスを取り出した。

 少し焦げた銀の指輪が、あった。


「気の利いた告白(ことば)は出せなかった。ただ、銀貨で買えるようなこの指輪を彼女に渡したんじゃ」

 指輪をハルルは食い入るように見た。ミッシェルは動かない、と老人が声を出す。

 ハルルは元の位置にさっと首を戻す。


「歳の差は、大きかった。私は四十過ぎで、彼女はまだ二十になったばかりだったから」

「歳の差、あったんスね」


「結構、大きい歳の差じゃったが。彼女は、静かに指輪を左手の薬指に付けてくれた。指輪を受け取った時だけは、無表情な彼女も少し照れ臭そうに目を伏せていたよ」


 ◇ ◇ ◇


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ