【01】万分の一の確率も無いから大丈夫だ【05】
サイの店での買い物を終え、喫茶店に入った。
というのも依頼の確認などの打合せもあるが、乗り合い馬車の出発時刻まで少し時間が空いていたからである。
「──しかし、金貨一枚も掛かっちまったな。まぁ、クエストクリアしたら補填してもらうからな」
まぁ、あの量買って金貨一枚ならお買い得と言えばお買い得ではある。
サイとは結構な年数の知り合いだ。もう少し割引してくれればいい物を。
不意に、ハルルが突然、神妙な顔付きになった。
「あの」
「なんだ?」
「勇者ライヴェルグ・アルフィオン・エルヴェリオス・ブラン・シュヴァルド様ッスよね」
最早、俺ですら覚えていない公式黒歴史な名前が飛び出して、珈琲でむせ返ってしまった。
落ち着いてから、ひと呼吸開ける。
「あ、ああ。そういう名前だったな」
「だった、ってことは、今は違うんスか?」
「そうだ。ついでに言えば、俺はもう勇者でもない」
「え、ええ!? どういうことッスか!?」
ハルルが目を丸くした。
「どういうって……まぁ、説明すると長いからパス。色々あって、俺は勇者という称号を剥奪された」
「い、色々って」
──人殺し。お前なんか、ただの
「色々、だ」
説明は、あまりしたくはない。
「だから、今は、便利屋のジンさん、で通ってる。お前も、ジンって呼んでくれ」
ハルルは少し戸惑ったような顔を浮かべてから、俺を見た。それから頷き、砂糖や蜂蜜を淹れて目いっぱい甘くした珈琲を飲みほした。
「でも……なんで『ジン』なんスか?」
それは。
「なんとなく、だ」
「えー?」
理由が無い訳じゃないが、困ったな。
嘘を聞かせて満足させるのも簡単だ。だけど。
目を見る。まっすぐと俺を見る目。こういう目を真剣というんだろうか。
真剣な目を、嘘で誤魔化すのはどうしても違う気がする。
そんな葛藤を察したのか、ハルルは、にこっと笑ってみせた。
「あれッスね! 確か師匠の詩集にあった一文の『男は背中に秘密を背負う』っていう──」
「お前なっ」
ころころとハルルは笑う。
本当に、よく笑う奴だ。
「でも……わかったッス! 師匠!」
「だから、師匠じゃないっての……って、そろそろ馬車の時間だ。行くぞ」
どっこいしょ、と立ち上がった。ああ、オッサンぽくなってしまった。
「ほいッス! 行きましょう! あ、師匠」
ハルルは座ったまま、優しく微笑んでいた。
「いつかでいいんで、いろんなことの理由、教えてくださいね」
「……。いつか、な」
「ええ、いつかッス!」
◆ ◆ ◆
オルゴ山道という、それなりに険しい山道がある。
王都から馬車で二時間程離れた場所に位置する山岳地帯から入る道で、役割としては王都と古都を繋ぐ山道。
だが、今はあまり使われていない。この道が使われていたのは、約二〇〇年前。所謂、旧道であり、今では立派な魔物たちが闊歩する無法地帯となっている。
軍や行政が対処すべきなのだが、この辺りは馬車で二時間程離れており、優先すべき脅威ではないのだ。
それに、確認されている魔物は『蘇った屍犬』や『山岳赤虎』などの獣型魔物が多い。竜種は精々が小型の恐竜種。『跳走小竜』や『角有竜』ばかり。
それゆえ、ここは冒険者……ではなく、『職業勇者』の初クエストや、修行の場所、としてよく使われているそうだ。
馬車から降りた時に周りを見たが、駆け出しの勇者らしき少年少女もそれなりにいた。
だからか、オルゴ山道口にはちょっとした町のようになっている。旅籠もあり、旅商人もいて、僅かだが兵士もいるようだ。更には、王都行の馬車も一日に二回以上出ている。
また、万が一の備えか、周囲を守るように石造りの壁も建造されており、ちょっとした城塞拠点である。
その拠点が見えなくなる程度には歩いた。
一度立ち止まる。
「ここから更に進んだ場所に、地竜種が住み着いた、と」
依頼書に添付されていた地図を手に取る。
目撃情報があった場所に×が付けられている。
この依頼をくれた人間はとても仕事が出来るな。
分かりやすい上に、直近三か月分の出現個所を、その時期も記入してくれている。
ここまで詳細に記入があるなら、心得のある人間であれば巣の位置を探すのは左程苦労しないだろう。
「そうだ。お前も竜の巣の見つけ方は知っておいた方がいいな。ほら、お前も地図を一緒に見てみろ。どう見る?」
「ひーーーーっ、はーーーーーっ、ひーーーーーっ!」
振り返ると、ハルルはまだ遠くにいる。
背中には先ほど買った麻酔薬や麻痺薬など、総重量一〇キロほどを背負ってこの勾配を上っている。
「大丈夫か?」
「し、ししょおーっ! さ、先に、行き過ぎッスっ!」
ようやく追いついたハルルは汗だくのようだ。
「ううっ……重たかったッス……」
「いや、じゃんけんで負けた方が全部背負うって言いだしたのはお前だぞ」
「うぐぐ。まさか三連敗するとは夢にも思わなかったッス……」
ぐーとちょきを出す時の手の癖がある、とは言わないでおこう。
「で、お前、どのあたりに竜の巣があると思う?」
地図を見せて、×印の説明をする。
「……全然、分かんないッス」
「そうか。地竜はどんな所に住み着くか知ってるか?」
「えーっと、穴? に住むって習った気がします!」
「そうだな。洞穴に住むことが多い。この辺りでそういう場所は……そうだな。北東の川辺の洞窟地帯、北西の森は洞穴が多そうだな。このどちらかの地域だろうな」
と、言っても、実は目星がついているが、ハルルのクエストだしな。
俺が見つけて俺が罠仕掛けて、じゃなんにもならんだろう。
などと考えながらハルルを見ていると、突然、こいつは手を挙げた。
「師匠、洞窟と洞穴の違いってなんッスか!?」
……おお。
「ん。お前、意外と変な──いや、面白いところに気付くんだな」
不思議な着眼点だな。
「へっへっへっ!」
盗賊みたいな冗談めかした笑い方に思わず笑ってしまった。
「違いっていうほどの違いはないが。洞窟は、崖とか岩場に出来た穴だ。
洞穴は、崖とか岩場に出来た穴に加えて、大木に開いた穴を指す」
「おお! そうなんスか!」
「森の方には岩場が少なそうだったからな。ぱっと洞穴と言った。意識してなければ馴染み無い言葉だし、分かり辛かったな」
さて、本題だ、とハルルに地図を読ませる。
「二択ッスね。コインで決めて……じょ、冗談ッス」
ハルルは顎に指を当てて考え込む。
流石に、この地図を見て即答出来る訳はないな。
「最初は分からないだろうから、この推定時刻を辿ってみろ」
「×印の下にある時間帯ッスね!」
依頼主の厚意で記入してあったのは、目撃情報から推察した目撃時間だ。
「おお。殆ど全て夜ッスね。早くても十九時」
「いい目の付け所だ。そう。目撃情報と照らしていくとどうなる?」
十九時が二つ。二十二時が三つ。二十四時が二つ。二十七時が二つ。
「あ! この地竜は夜行性ってことッスね!」
「まあ、そうだな」
地竜の種類も特定出来そうだな。まあ、それはいいか。
「ということは、十九時前に起床して、そこから縄張りを巡回している、ってことッスね!」
「そうそう。で、時間から読み取れること、他にもあるだろ?」
「他……あ! 二十七時くらいに巡回を終えて、巣に戻る、ってことッスか!?」
そうそう。いい読みだぞ。
「と、なると、えーっと」
ここからは、少しコツがいるか。
「その地点から大体数キロを丸く囲んでいく」
筆記用具のコンパスがあればもっと正確だが、少しおおざっぱでもまあいい。
「そうすると、円と円が交わった場所が」
「出てきたッス! 北西の森、洞穴、っスね!」
「ああ。そうだ。よくできたな」
「えへへ~!」
ハルルは溶けたみたいに笑っている。
もちろん、推察なだけで、完璧に正解とは限らない。
だが、こういう広大な土地の捜索では、多少でも当たりを付けて動かないと永遠に進まない。
……って、なんで俺は指導しているんだ……。
「さて、じゃぁ後は森に入って行くか」
「……ついに、ドラゴンと対面ッスね……う、腕が震えるッス!」
ぷっ、と笑ってしまった。ちょっと面白かった。
「正直でよろしいな」
言い間違えて顔を赤くするハルル。耳まで赤い。
「ま、ここまで見つけられれば大丈夫だ。戦闘もない」
「え、そうなんスか?」
「ああ。こいつは十九時前まで起きない。今は……十二時過ぎか」
「ということは、熟睡中ッスね! もー! 仕方ないドラゴンッスねー!」
熟睡中と分かってウキウキし始めているな。
「まあ、後は隠密行動だ。さっき買った道具で魔力やら臭いやらを消して、地竜まで近づく。覚悟はいいな?」
こくりと、いつになく真剣な顔でハルルは頷いた。
「緊張するなよ。まぁ、夜行性の竜が昼に活動するなんて、万分の一の確率も無いから大丈夫だ」