【19】兄と弟【49】
ラニアン王子は、ラッセル王の手を握った。
鼓動がある。脈拍もある。
ベッドの上のラッセル王。
彼は、生きている。だが──『誰もが表情を暗くしていた』。
鼓動がある。されど小さい。
脈拍もある。だがとても微弱。
──そう。
「体内の毒、消しきれなかった。臓器を……取るしか、無かった」
「……ヴィオレッタの腕のせいではなかった。……ボクから言おう。
ラッセル王は既に体内に無数に病が巣食っていた。そして……『よくない薬』の反応が強かった」
ルキがそう告げると──ヴィオレッタは椅子に座り足を抱えて、指の爪を噛んだ。
「ありがとうなのだ、ヴィオレッタ殿、ルキ殿、ハッチ殿」
ラニアン王子は礼を告げるが──ヴィオレッタは答えない。
「ラニアン王子。……後は、王様の体力と……心持次第です。だから」
「ありがとうなのだ、ハッチ殿」
ラニアン王子は、動かない父の手を、強く握った。
父の意識が戻るように。
王子は願いながら、ただ強くその手を握った。
◆ ◆ ◆
まどろみの闇の中で──思い出すのは。
──綺麗な女だ。
余の妻だ。
シャーテリアという名前の女性であり、とても物静かな女性だ。
それは出身が北の国であることも由来するし、王家の娘としての教育も影響しているだろう。
ともあれ、彼女とは北の国との友好関係を結ぶ為に結婚した。
だが──余は彼女に惚れていた。
彼女はそうじゃなかっただろうが、少なくとも余は彼女を愛していた。
彼女は、昔から無口な女性だったが──戦争後期頃より体を病んでいた。実家へ帰っての療養を進めた。だが。
『王は玉座を離れないのは道理です。妃が王の隣を離れないのも、道理です』
一言頑断。たった一言で周囲を黙らせるのは、余より王としての器がありそうだった。
ともあれ王国に居続け、医者にも掛かり──子供は望めないかもしれない──そう、言われたこともあった。
それでも彼女は後に無事に一人の子供を産む。
だが──産んでから、彼女は更に体を壊した。
流石に誰もが安静を進め、最終的には。
『国王としての命令だ。頼むから療養してくれ』
『……分かりました。しかし、祖国にも実家にも帰りません。
ここが、私の家でございます故』
──とはいえ、彼女に王国が『暑すぎる』のは分かっていた。
仕方なく雪禍嶺にほど近い静かな場所で療養を行うことになる。
消えて浮かんでまた消える泡。
次に見えてきたのは。ああ、嫌な思い出だ。
余には弟がいた。
バセットという名前の余の弟は、どこからどう見ても『王族』そのものだった。
砂金のように光沢のある長い金髪。クセの無い真っ直ぐな髪、空の色を移すような瞳。
『王子の微笑み』と巷で呼ばれる優しい微笑みを引っ提げた王子様。
気品のある顔立ち。どこまでも美しい所作。効率的な思考回路。
理想の、王族だ。
男女問わず視線がくぎ付けになるのも頷ける。
どんな会議に、あるいはどんな宴席に出席していても、ありありと存在感を発揮できる、そんな人間だった。
『父さん! いえ、ダックス王! 兄上には、荷が重すぎます!』
王の今際、余に王座を譲った王へ、バセットがその言葉を出したのは。
本当に余を思って出た言葉だ──と余は思っていた。
『兄さんは、凡庸だからね!』
貶めるようなこの言葉も、そう。歯に衣着せぬ兄弟ならではの言い回しで、余を支える為に紡いだ言葉だ──と思っていた。
それはある嵐の夜だった。
「──な。なんでだ」
「貴方は、純粋が過ぎる」
──『玉座』に座る余に。
勇者たちが一斉に槍を向けた。
──確かに、その日だけ、不自然に国王の信頼がおける側近が誰もいなかった。
『禁式の一家』か『崩魔の一家』から必ず護衛には一人いたが、その日に限って誰もいなかった。
それは、とても分かりやすいことだった。護衛の順番を弄って、王に反意がある者だけを固めてこの状況を作った者がいる。
この状況を作り出した者は、玉座に対峙する。それは。
「諸君らは手を出さないように。因縁を断つのは、次の王である僕の役目だ」
見知った弟がそこに居た。
「兄さん。どんな気持ちで、僕が貴方に従ってたと思いますか。
仕事は出来ず、王としては諸外国に舐められ……少し早く生まれてきただけの癖に、父に寵愛され続けたッ」
反乱だった。といっても、やはりバセットは頭が良かった。
大規模に行わずに、少数精鋭で余の暗殺を準備していたようだ。
「この国は、僕の物になる予定だったんだッ!
愚図にして愚昧な無能を固めて作ったようなお前の物じゃあなく、この僕の物になッ!!」
バセットは細い剣を抜いた。
──言ってしまえば、バセットの余への評価は正当だろう。
だが。
不思議と──脳裏に一つ二つ、死ねない理由があった。
それは。シャーテリアが──妻が、息子を抱き抱えている、そんな風景だったから。
余も、手元の剣を抜いた。
「僕が王になる! 王国をより強大にしてみせよう!
ただ拡大した無駄な領土には軍事施設をッ!
そして獣人も共和国も帝国も、全てのみ込む超国家を作るッ! 構想があり、実力があるんだッ!」
怨念を塗り固めたようなバセットの剣を受け防ぐ。
「バセット。今分かった。お前は王にはなれん」
「はっ! 兄さんッ! 四年ばかり王をやっただけで知ったような口を聞くじゃないかっ!」
「……王になったらこの国がお前の物になるって?」
「ああそうさ! そうして世界最大の軍事国家を作る! そうしなければ我が国は他国に──」
「違う」
バセットは剣術も才気に富む。余より才気は圧倒的にある。
だが──あいつは練習していない。余は、ロクザのせいで毎朝素振りから始まるんだ。
力任せに剣を弾く。
「この国はお前の物でも俺の物でもない。国は、誰も所有していない。
強いて言うなら、国民の物だ。国民たち一人一人が築き上げた日常のことを国という。
余たちはあくまで、その生活の指針や手助けをするのが責務だ」
その言葉を聞いた──バセットの口元が、にたりと歪んだような気がした。




