【19】セーリャ・ド・カデナ【34】
◆ ◆ ◆
──9年程、昔の話。
「禁式の魔法はいつ見ても見事ですね!」「流石、カデナ家の時期当主様!」
「謹厳実直。そして腕前も丁寧で素晴らしい仕事ぶり!」
戦後、一年を前にして王都はお祭り騒ぎだった。
彼女は、仕事の最中は決して微笑まない。
まだ17歳。少女と言っても通るような年の彼女は、とにかく無口だった。
褒められても煽てられても、深くお辞儀をするのみ。
ただ──物事は極端が過ぎれば『標的』になる。
癖や容姿、その仕草から、渾名は付けられる。
「『禁式姫』。その作業、そろそろ終わらないのか?」
「……」
ぺこり、と頭を下げてからセーリャは彼を見る。
背の高い彼は、一応の同僚である。
──彼からも、いや城内の勇者たちからも、彼女は『無口な禁式姫』と揶揄されていた。
無口なという前置きは省略されがちだが、禁式姫という言葉の中に『何も返事のないやつ』『不愛想』『冷たい』等、諸々の嫌味が混ざっていたのは言うまでもない。
しかし本人は特段気にした様子はない。
むしろ、公然周知として『喋らない』ということが伝わり、喋りかけてくる者が少なくなったことを歓迎している節があった。
「作業日程がまずい。そろそろ城壁全てを終わらせないとさ」
「……『魔法とは、丁寧に編めば編むほど美しく強固に結ばれていく。』」
「?」
「当家の家訓です。……手を抜くことは、出来ません。確実に一つずつ、です」
「あ、そ。分かったよ。ただ、遅れちゃうとさ」
「……」
「無視ね。はいはい」
(無視した訳じゃない。ただ、終わらせるなら、喋るより手を動かさないといけないだけ)
ゆっくりと、確実に。壁の中に手を入れるようなイメージで。
静かに指を合わせていく。
(禁式は、一見しただけじゃ外から見分けられない。
だから、しっかりと物質の中を満たすように込めないといけない)
そこからはカデナ家の中でも、セーリャにしか分からない感覚の世界。
その物質に『禁式』が溜まっていくのを、その指の腹で感じ取っている。
ほんの僅かに温度が上がるのだ。
(感覚を、全部、指に使ってるから。喋ると狂う。だから喋らない。
……まぁ、喋りたくないのもあるんだけど……)
梯子を掛けて、城壁の上から指で岩をなぞる。
(この場所も、だいぶ『減ってる』)
物にも魔法にも、大抵はいくつかの弱点がある。
そして禁式という魔法にある弱点は『経年劣化』である。
掛けた翌日が最も硬く、一年もすればどんどん弱くなっていく。
セーリャのイメージでは『揮発する水』というのが『禁式』だ。
物質の中にその水を蓄えて、少なくなってきたらまた足していく。
(これを改善出来れば、守りはもっと固くなる。
目下、カデナの時期当主として着手すべきは長期間の劣化を防ぐ術式かな)
「ほう。キミが噂の『無口な禁式姫』か」
梯子の下から声がした。
長い青髪、黒い瞳の青年。
「? 誰ですか?」
「エリック・トーカ。キミの上司だよ。『城壁守護のカデナ家』の時期当主様」
「! トーカ家のっ。西方から帰って──わっ、あっ!」
梯子の上でお辞儀をしようとし、バランスを崩して顔から落ちた。
「おおぉ!? 大丈夫か!?」
「だ、大丈夫、です」
「『無口』で『不愛想』と聞いていたが、そうじゃなさそうだね」
「……」
「そんな目で見ないでくれよ。よろしく頼むよ、禁式姫」
「……ええ」
ふと、セーリャの後ろから声がした。彼女ではなく、上司エリックを呼ぶ声だ。
「あーあ、仕事か。じゃ、また明日来るね。お仕事頑張ってね」
エリックはそう言って歩き出した。
突然の嵐だった。とため息を一つしながら梯子を立て直す。
(また明日来るって……いや来なくていいんだけどな……)
──などと思っていたら、その翌日、また来た。
その翌日も、また翌日も。暇なのかというくらいに。
三週間程が経った頃、休憩中には必ずエリックが押しかけてくるのが日常になっていた。
そして、その日。何の話題からかエリックは一つ訊ねた。
「何故、それほどにゆっくりと仕事を行うんだい?
他の禁式を使える者はもっとパッとやってしまうんだろう?」
「……遅い、ですか?」
「あ、違うっ、そういう意図じゃない! いや、丁寧だなぁと思ってだなっ!」
「まぁ。悪意がないのはわかってます。
悪意なくポロっと言っちゃうだけですもんね」
「あ、あはは。まぁ、その、なんだ。
セーリャの仕事を見ていたが、魔法の手際が滅茶苦茶いいじゃないか?
とても素早くルキ様のような魔法発動だった。だから」
「……えっと」
「答えずらい?」
「い、いや」
「どうして?」
「圧……ハラスメントだ」
「あはは」
「……壊されたく、ないじゃないですか」
「え?」
「自分が、術を掛けた場所。……その、戦時中の鎧とか。
……遺品を見る機会があって」
禁式を掛けた防具というものは決して安価ではないが、戦場を行く者はよく持ち歩いている。
「……父が掛けた禁式の懐中時計が、傷はあってもいい形で遺族に戻されていたから。
『経年劣化』の弱点を克服するような禁式で。
わたしも、禁式を刻んだ場所が……その」
「なるほどね」
エリックは風のように微笑んだ。
「それで丁寧なんだね」
「ええ。……ただ、仕事が遅いのは、分かってます。
だから、エリックさんが来て様子を見てるんですよね?」
「? 違うけど?」
「ええ??」
「まぁ、でも分かった。だから毎回、あんなにいい仕事するんだね」
「……」
「どうした?」
「いえ。いい仕事するのは、当たり前なので」
「ひゅぅ! いいね! かっこいいね~!」
「……先輩、むかつく」
「いや、実際、本当に凄い質がいいって評判だよ」
「そ、そんなこと」
「実際、俺も思ってるよ? セーリャの魔法は丁寧でとても美しいってさ」
「……」
「それに、試し打ちで壁に火炎弾の魔法を撃ったら、火炎弾は欠片も残らず弾け飛んだ」
「……! ど、どこに撃ったですかっ!? あ、あ、あ、あとで補修しにいかないと」
「ああ。補修はやっといたよ、流石にね」
「ダメです。わたしがやらないとっ」
「あはは。完璧主義者だねぇ」
「き、禁式に誇りを持ってるだけですっ」
ふと、エリックは笑った。
「ずいぶん、喋ってくれるようになって嬉しいよ」
「……え、と」
「会った時は全然──っと」
鐘が鳴った。昼休み終わりの時刻だ。
「さて、じゃぁ夜勤あるから寝に帰る。またね、セーリャ」
「あ、はい。また」
そして、彼女は仕事を続ける。
寡黙に。それでいて確実に。丁寧に。
傲りは無かったが、誇らしくは思っていた。
(今日もこれで、完成。完璧な出来。明日は、向こうの壁だったよね。早起きしないと)
終業時刻を超えていた。夕闇混じる空を見上げながら、彼女は家に戻る。
ふと、青髪の彼を思い出した。
(また明日……先輩)
そして、その翌日の朝。
それは、今より9年程の昔の『ある日』。
セーリャ・ド・カデナは、いつも通りの通勤経路で王城に向かう。
その最中、人混みが出来ていた。
なんの騒ぎか分からないまま──胸騒ぎだけがあった。
そして。
人間が三人は通れるであろう大穴が、壁に空いていた。
その壁は──禁式が劣化している壁だった。
後に分かることだが、賊は事前に内部に協力者がいて『禁式補修の工程表』に目をつけていたようだ。
魔法で破壊できる壁を、賊は知っていた。
これは後の世に『王城侵入事件』と呼ばれる事件であり、王国守護神の『ロクザ』が賊を撃滅しせしめた事件だ。
早期解決もあって、被害は一部城壁の損失と王国勇者の数名に満たない死者数で決着した。
賊の目的は、明らかに新王を討つことにあったと思われる。
これは『王国歴史上、初めて王城が攻め込まれた』事件であった。
侵入した賊は25名。全員が戦闘訓練を積んでいたことも後日明らかになる。
マニュアルもない中で被害はかなり少なく済んだのは、運よく夜間警備に王国有数の防御の魔法使いがいたことだろう。
混乱の中で指揮を執り、ロクザが到着するまでの時間を稼いだ。
その人物は。
賊の凶弾によって命を落とすが、偉大な魔法使いだったと国王からも称号が授与された。
その死者の名前は、エリック・トーカ。
セーリャ・ド・カデナが唯一親しくしていた──青髪の。
そして、風が強く、雨が打ち付けた。
墓標の前で彼女は立ち尽くす。
誰も、彼女の責任を問うことはない。そして、彼女に責任は何一つない。
ただ、彼女は。セーリャ・ド・カデナは思わずにはいられなかった。
無力を、弱さを。苦しみと責任を。感じずにはいられなかった。
わたしが、もっと。早かったら。
もっと。……なんで。
わたしは。
青い髪の面影を、鈍色の空を見上げて目で追いかける。
溢れた涙と零れた雨が混ざって、その人にどんな気持ちを持っていたか分からなくなって、ただ、どんどん大きくなる痛みがあった。
◆ ◆ ◆
セーリャの口から血が溢れた。
胴から斜めに一文字。切断はされていないが、動けるような傷ではない。
ヴィオレッタが、扉に近づいてしまう。
だから。
「何があっても、……賊を、中には」
「!」 ヴィオレッタが振り返った。
倒れたセーリャが立ち上がっている。
(入れさせない。……純粋、禁式……──)




