【19】ある嵐の夜【25】
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賢王ダックスの今際の時──多くの人間が動揺した。
それは『ある発言』が原因であり、『当事者』ですら錯乱に近い混乱を覚えていた。
唯一動揺していないのは、ダックス王の側近中の側近であり、『その言葉』を事前に知らされて、遺書という形で所持している『守護神』ただ一人のみだった。
『──今、何と仰ったんですか。ダックス王』
『バセット……言った、通りだ。
次の王は……ラッセル。ラッセル・J・アーリマニアだ。
ロクザに……遺書も、渡してある』
『お、余が、王?』
『父さん! いえ、ダックス王! 兄上には、荷が重すぎます! 僕が』
『バセットよ……。もう、決めていたこと、だ。
ラッセルは……とても、弱い。だが、それ故に……民に寄り添い、民から支えられる……そういう国を、目指してくれ。
バセット。その強さと賢さを……兄の為に使い、共に……』
──共に良き国を成してくれ。
そして──ダックス王は静かに眠りについた。
戦後の激務で命を使い果たしたのだ。と市井の民が言うように、ダックス王はこの一年で急に老け込み、原因不明の病で命を落とした。
その数日後には、ラッセル王子が王に成った。
だが──城内の家臣たちも、多くの国民たちも疑念を持っていた。
何故、王は『出来の良い弟』を王にせず、『出来の悪い兄』を選んだのだろうか。
そして、その采配に納得できない者か、あるいはただ会話の種が欲しい者たちか。
幾つかの小さな噂話をしていた。
王は病床で錯乱していた。
王をラッセルが恐喝した。
優しい弟のバセットが譲った。
王の弱みを握っていた。
弟から奪い取った。
──等々、多岐に渡る噂が大きく広がっていた。
それが市井で済むならいいのだが、城内ですらその噂は舞い上がった埃のように広く拡散し、それでいて片付けられないでいた。
ラッセル王も、自信は無かった。側近としてロクザや多くの王の部屋付きが仕事を丁寧に引き継ぎ、時に業務を肩代わりすることで国は回っていた。
ラッセル自身も思っていた。
『余じゃなく、バセットが王をすべきだったんじゃないか』
『ダックス様は、ラッセル王を選んだのです』
その時、ラッセルがぽつりと呟いた言葉に、ロクザは強い口調で返した。
『ダックス様は、王をよく見ていた。ライヴェルグくんの活躍に合わせるように、貴方も成長していた』
ロクザの言葉に背中を押されながら、ラッセルは背筋を伸ばした。
『……ありがとう、ロクザさん』
ラッセルは、支えられながら王というものを学んでいた。
そして、支える者は何人もいた。ロクザに、その子、孫も。
ダックスを支えていた者たちが、そのままラッセルを支える。
そして、王を支える人間が、もう一人いた。
『兄さん。仕事は終えたよ』
『すまない。ありがとう、バセット』
『これくらい当然だよ。さ、次は何をしましょうか、国王陛下』
冗談めかして笑いながら、兄ラッセルの補佐をしていた。
(バセットは……俺を支えると決めてくれたらしい)
ラッセルは内心で歯がゆいような嬉しさがあった。
出来の良い弟は、ラッセルを兄であり王として慕い、率先して仕事を引き受けていた。
(もっと……恨まれるかと思った)
正直な所、ラッセルですら『次の国王はバセットだ』と思っていた。
それはバセット本人もそうであり、周囲全体も国王はバセットと思っていた。
『そうだな。今日は、仕事は……特には』
『あれ? いいの? 法務から上がって来た書類』
『あ、締め切りは今日だったっけか』
『明後日だけど、今日動いた方が良いよ』
期限の管理も出来ない王だった。
苦笑いし謝罪すると、バセットは爽やかに笑って見せる。
『兄さんは、凡庸だからね!』
『そ──そうだけど、笑顔で言われるとドキドキするなあ』
『ううん、褒めているよ! 凡庸な人が上にいると、現場は頑張ろうって思えるんだよ』
バセットは笑顔を見せる。爽やかで、王族らしい健康的な笑顔。太陽のように輝くその笑顔に、ラッセルはどうにかして同じような顔を作ろうとするも、不格好になってしまう。
『そうなのか。滅茶苦茶けなしているようにしか聞こえないけども』
『不敬罪で首でも斬る?』
『いや、バセットの言う通りだろうからな。凡庸なりに、がんばるよ』
ラッセルは素直に納得してから、ありがとうと礼を伝えた。
ラッセル王は、立派に平和を作ろうと一歩を踏み出していた。
弟バセットと、良好な関係だった。
(何かの詩にあったように、兄は弟を想い、弟は兄を助けた……か)
気恥ずかしさを少しだけ感じながらも、ラッセルは王として懸命に足掻いていく。
──されど、国内外の情勢は安定しなかった。
賢王の死。《雷の翼》という最強の軍事力の消滅。
賢王が最後に残した切り札である『勇者法』は効力こそ発揮したが、指揮を執っていた王の崩御と共に一部に混乱が生じていたのは隠し切れない。そこの再構築再編成には時間がかかるのは目に見えている。
多くの王国民は冷ややかな目で王を見ていた。
あの王で国は本当に大丈夫なのか? 弟の補佐がなかったら立ち行かないんじゃ無いか?
市井が不安になれば、情勢や治安は悪くなる。
その隙を、他国は見逃さない。
国王崩御の直後──つまり、戦後一年の節目の頃。
諸外国から見ればその時の王国は『槍も馬も失った騎兵』にしか見えていなかった。
その年──ラッセル王が即位した三か月後のことである。大胆にも、王城に侵入者が現れた。
それが他国の諜報員であることは明らかであった。ロクザはそれを撃滅することになる。
その翌年──王城の外で待ち伏せしていた賊がラッセル王を狙うという襲撃事件が発生する。
これも他国の工作員であることは火を見るよりも明らかなのだが、『ただの盗賊の犯行だった』という形になってしまう。
脅威は続いていた。王国は常に危機を走っていたのだ。
そして、王国に激震が走ったのはその四年後。
現在から見て、たった四年前のある事件。
それはある嵐の夜だった。
窓から差し込む雷光が照らす。
壁に飛び散った血痕。シーツに染み込んだ赤い血潮。
血塗れで呆然と座り込む国王ラッセル。
無残に斬り殺されたバセット。
そして、俯きながら、地面に転がった細い剣を拾うロクザ。




