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【19】ロクザ・ガルディア・リアーレ【08】


 ◆ ◆ ◆


 一見すれば、普通の老人だ。

 薄くなりつつある黒髪。何を考えているのか分からないが、ぽやんとした優しい顔立ち。

 動きやすい白い服は、雪禍嶺(せっかりょう)遥和(はての)で着られている『着物』を少し縫って洋服に近づけたような独特な服だ。

 というのも彼は今、王宮で見られる『普通の礼服』というものを一人で着ることが出来ない。


 王宮に似つかわしくない短い茶髪の中年の女性がそこに居た。

 優しく微笑みながら、老人の肩を抱いてベッドの端に座らせる。

「ロクザさん。もう寝る時間ですからね」

「……今日は稽古しなくていいのかのう?」

「はい、稽古は無くて大丈夫ですよ」

「『ラッセル』は、今日は稽古したかのぅ?」

「大丈夫ですよ。『ラッセル』は今日も稽古を終えましたから」

 中年の女性は微笑む。しかし、老人が言う『ラッセル』が誰なのか、彼女は分かっていない。

 彼女は、老人の会話に合わせているだけである。ただ悪意があって行っていることではない。そうする必要があるから、行っていることなのだ。


「今日は逃げ出さずにちゃんと稽古したんじゃな。よかったよかった。

ラッセルはいい子なんじゃよ。逃げ足が速いから誤解されがちじゃが。

少し目をかける必要があるだけなんじゃよ、あの子は」

「ほら、ロクザさん。横になって」


「もう横にならねばならんかね? 座っていたいんじゃ」

「もう。じゃぁ灯りは自分で消せますね?」

「うん。大丈夫じゃ。ああ、いい星じゃ」

「ええ、良い夜ですね」

「時に、……夕飯はまだかのう?」

「あら。食事はさっき食べたわよ」

「ん……おお。そうじゃったか」

「ええ。では、何かあったらすぐ来ますからね。おやすみなさい、ロクザさん」

 医務官であろう中年の女性はそう言って部屋を出た。

 今日は調子がよさそうね。少し安心して彼女は微笑んで歩き出す。


 ロクザ・ガルディア・リアーレ。

 その苗字は王国唯一である。

 『王の守護者(ガルディア・リアーレ)』。

 それは『当時』、誰よりも強く、誰よりも忠誠の心を示した彼が、先王ダックスから賜った名である。


 されど、彼は──齢60を超えたあたりから、認知に障害を得ていた。

 日に日に悪化し、衣服の着替えや、食事すら誰かの手を借りる必要がある。

 会話の折々にも『過去の出来事』と『現在の事象』が混ざり合ってしまう。


 本来なら医者の元で生活させるべきなのだが──認知を失い、老いても尚、頑なに王を守るという使命が彼の中にあるのか、何があっても王城から出ない。

 そして、王城の中の『腹黒い狸たち』ですら積極的に彼を追い出そうとはしない。


 理由は二つあると、誰もが知っている。

 一つは『力』。

 彼は『ボケてから』3度、国を救っている。9年前の王宮侵入事件。8年前の襲撃事件。そして、4年前のテロ未遂。

 その全て、彼のお陰で防げたと言える。


 曰く、彼は突如として50年も若返ったように意識が戻り、『誰も干渉が出来ない速度』で敵を容赦なく斬殺した。


 その技を、その活躍をその目で見たものは誰もが『彼だけは特別に』と口を揃える。


 そしてもう一つは──『人徳』である。

 意識障害が出る前のロクザという人物は、気さくでおおらかな老人だった。

 剣術指南役で若い世代の面倒見も良かった。その世代の男性には珍しいが、よく笑いよく喋る。

 彼は裏表なく、教え子一人一人にしっかり向き合って来た。そういう真摯な部分を多くの人物が知っている。彼の指導を自分が受けたか、家族が受けたか。


 誰もいない部屋でベッドに腰掛けて、窓の外をロクザは見上げる。

「星が多くていいものじゃ。サクヤは星なぞ興味ないか? だがいいものじゃよ。あれが北雪の星でのう」

 ロクザは誰もいない隣に語り掛ける。

 雲が分厚い。星は見えない筈だ。だが、彼の思い出が見せる空は、星空なのであろう。

「ラッセルは、今日は稽古したかのう」



「実は、まだやってないって恥ずかしそうに言ってたよ」



「やはりそうか。稽古は大切なんじゃがな。ただ詰まらないという気持ちも分からなくはない。

あの子はのう、一人で立つのが苦手な子なだけなんじゃよ。だから隣で稽古に付き合う誰かがいればのう」

「そうだな。間違いねぇな」

「ところで、お前さん、誰じゃったかのう」

 その問いに『彼』は少し照れたように微笑んだ。


「ライヴェルグです。お久しぶりです、ロクザさん」


「おお。……ライヴェルグは、稽古をしているぞ。

サクヤはいつも彼を気になっているようなんじゃが、いまいち、行動力が無くてのう」

 ──ああ、十年前より、進んでしまったな。


 『彼』──昔の名(ライヴェルグ)を名乗ったジンは、少し寂しそうに微笑む。


「ええ。……そうですね。サクヤはその頃から俺を知ってたんですね」

「ところで、お前さん?」

「ロクザさん。稽古の相手になってくれませんか?」

「ほう。ワシをロクザと知ってて稽古を挑むか。よいぞ」

「じゃぁ中央練習場、行きましょうか」

「よいぞ」

 ジンは壁に掛けられている『刀』を背負う。そして覚束ない足のロクザの肩を抱き、外に出て歩き出す。


「ところで」

「なんだ?」

「夕飯はまだかのう」

「なんだよ。夕飯なら一昨日食べただろ」

「おお、そうかそうか……そうじゃったのぅ」


 ◇ ◇ ◇


 王城の中庭の下には、練習場がある。

 その地下練習場は、王城の中庭が出入口だ。流石に誰も使えない。王族が使うことはあるだろうが、今は誰も来ないだろう。


 同じ感想しか出ないけどさ。ロクザさんは、結構……進んだな。

 ベンチに腰掛けたロクザは、萎びた野菜に見える程、力を感じない。

 俺はそのベンチの隣に、彼の刀を立て掛ける。


 この国では『剣』を武器にする人が多い。

 だが、ロクザさんは昔から『刀』を使う。──ちなみに、両刃の物が『剣』であり、片刃の物が『刀』である。


 彼の愛刀『金烏(きんう)』は、金の字こそ入っているが、派手な刀じゃない。

 何なら『烏』と名乗った方がいい刀だ。


 鍔も柄も黒くさらには、その刀身さえも黒い。

 金の要素は一つも無いのがその『金烏』である。


「ラッセル。先ずは素振りをするんじゃ。ほら、サクヤも素振りをするぞ。一緒にやるといい。ほら、お主も混ざりなさい」

「素振りか」

「ほら、稽古付けるにしても素振りが大切じゃ」

 苦笑いをする。まぁ時間を稼げるなら何でもいいが。

 俺は腰にある『機剣』を構えて素振りをする。軽く素振り。


「なっとらんぞ。そうじゃない。構えが悪いぞ」


 ロクザさんは立ち上がり、隣の刀を取る。

 俺の隣に立って刀はこう握るのだと言い、構えを取った。


 すぅ、と一つ息を吸った。

 正道。彼は、両手で剣を構えた。

 たったそれだけで、この空間から温度が抜けたようだった。


 ──これは、時々見かける光景だ。

 町の中で、よぼよぼのお爺さんたちが市民館だか公民館に向かって『竹刀』を持って向かっている。

 そんな老震(ふる)えた手で刀を握れるのか、と不安になるかもしれない。だが、刀を握った彼らがどんな若者よりも勇ましい気声(こえ)を上げ、竹刀を振っている。


 丸まっていた背筋は伸びて、先ほどまでの意識が無かった顔がどこにもない。

 まぁ、話を聞いた時からそうなると思っていたから、わざと刀を置いといたんだ。

 ……老いて意識が混濁したとしても。

 『剣道(このみち)』で何万回も繰り返した『構え』をした時、きっと『戻って来る』んだろう。

 背筋を伸ばし、意識を尖らせて、その刹那にだけ集中する真剣勝負の場に。


 思った通り。


「……久しぶりじゃのう。背も伸びたんじゃないかね、ライヴェルグくん」

「お久しぶりです。ロクザさん。久しぶりついでに……稽古、付けてくれませんか?」



 



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