【18】噴水【12】
ハルルの背を追って進む。薔薇のトンネルの向こう側へ出るなんて一瞬の筈なのに、妙に薔薇のトンネルが意識に残った。
噴水の前で立ち止まり、振り返る。来た道の薔薇のトンネルは、よく見ればなんの変哲もない薔薇だ。それに所々枯れているのもある。それなのに、俺には、あんなにも綺麗に見えた。何故なんだろうか。
「師匠」
自問しているとハルルの声がした。
何故も何も、か。
似たことを経験したことはある。《雷の翼》のメンバーと一緒に旅をした日々。その中で小さな出来事で笑い合った。本当にどうでも良い些細な出来事なのに、仲間といると何倍にも膨れ上がった。
「ん、どうした?」
「見てください! 噴水の中に硬貨がたくさん入ってるッス!」
ハルルが噴水の縁に身を乗り出した。俺も見やれば、揺れる水面の水底に硬貨が無数に沈んでいる。
「おお、ほんとだな」
どれも王国の銅貨や小銅貨。時々銀貨が入っているくらいだな。
ただ稀に、見慣れない銀色の硬貨があったりしている。大きさも違うし色も違う、角ばった物も一・二個ある。
「外国のでスかね? 綺麗な硬貨が見えるッス」
「取るなよ?」
「取らないッスよっ!」
「冗談だよ。……その、角ばった硬貨は砂漠の国の硬貨だな。それとその隣のが雪禍領のだな」
「え、雪禍嶺は別の貨幣があるんスか?」
「あるぞ。まぁ今は使われていないから記念硬貨だな。あれだよ」
「どれッス?」
「周りが銀で中が紺の、ほら、そこの」
ふと、ハルルの肩が体に当たった。
あ、あれッスか! とハルルは笑いながら、楽しそうに水面を覗いていた。
ふと、ハルルの頭が俺の肩に乗るように被さった。
「ハルル?」
「……えへへ」
……ちょっとだけ、髪を撫でてみた。
ハルルはきっと微笑んでくれている。
言葉がないのに、ずっとこうしていたいと思える。
風が時々吹くのに、全然寒くも感じない。水が流れる音が響くだけの、温かい時間だった。
ちょっと歯がゆかった。照れていた。
「でも、どうして水の中に硬貨を入れるんだろうな」
だからちょっとそんなことを呟いてみた。
王国内には幾つかの大きな噴水がある。どこもかしこも硬貨が投げ込まれている。
俺が旅の途中で寄った町々の噴水も、よく硬貨が投げ込まれていた。何かの風習か、呪いなのかと思っていたが……誰にもそんな話はしなかったな。
「きっとッスけど。……変わらない物に変わらないで欲しいという願いを込めて、じゃないッスかね」
「え?」
「えへへ。水って、ずっと昔から水じゃないですか。きっと、ずっと先も、水は変わらないッス。そんな、ずーっと先にまで、今日という日があったということを……届けたいから、じゃないですかね」
「……お前も詩人だな」
「師匠程じゃないッスよ」
うるせーわ。まったく。
「……ただ、そうだな。そうかもな」
ずっと先に、今日という日があったことを届けたいか。
隣のハルルが頬を染めている。
「俺も、そうだな」
何気ない日。何でもない日なのに、大切だ。
仲間との何でもない日も……仲間が居たから何倍にも膨れ上がった。
……ハルルと過ごす日々も。噴水の硬貨なんて、小さいことなのに。
何倍にも。何十倍にも、俺の中で大きくなってしまう。
ハルルの頭を撫でた。
「? 師匠?」
「一枚、入れてみっか」
ポケットから一枚の硬貨を出した。
「そうッスね。あ、でも」
「ん?」
「噴水および池、湧き水などでは水質汚染の原因ともなるッスから、原則禁止ということをお忘れなくッス!」
ストップ環境破壊ッス! とどこに向けて喋ってるのかお前は。
「……そういうの真面目だな?」
「えへへ。大切なこと何で! あ、でもここはそもそも投げ入れOKみたいッスね」
よく見れば、噴水の隣に石碑風の説明書きがあった。
二人で後ろ向きで投げ入れたら──、などと書いてある。旅籠側の策略ではあるが、なるほど、こういう趣向は面白いと思う。
「……やってみるか」
「そッスね」
「あの石あたりから投げ入れるのか?」
「絶妙な距離ッスねぇ」
硬貨を握る。ハルルと並んで、息を合わせた。
「一発で行けるか、これ?」
「あ、失敗したら、続けて投げれば失敗がチャラになるって書いてあったッスよ!」
この旅籠、意外とちゃっかりしてるな。失敗分も成功分も旅籠側のちょっとした売上に計上するんだろうな。
「硬貨枚数的に、一発勝負で」
「はいッス! せーのでいきましょ!」
「ああ。」
「「せーの」」、で投げる。
──ぽちゃん、ぽちゃん。と二つの音。
「やった!」「おお、意外と入るもんだな」
噴水まで戻って中を見た。
今入ったばかりの硬貨が小さく動いて重なった。
そこから、しばらく、噴水の縁に座って、手を繋いで。
他愛もないことを喋った。
夕方から夜の空気に変わって来たから、そろそろ部屋に戻るかと、薔薇のトンネルをくぐる。
……手を繋いで、歩いている。
ハルルの手は、柔らかいし、小さい。
俺の手と、全然違うんだな。なんか面白い。
「……えへへ」
「んだよ」
「いえ。……師匠の手、大きいなぁって」
「……お前の手が小さいのかもしれないぞ?」
「だったら、小さくて良かったッス」
にぃっと笑う顔がズルいから、前を向き直って歩く。
「……師匠。その、じゃあ、これで、その。……ッスね」
「え?」
「……あれ。師匠、石碑の文、読んだんスよね?」
「? 二人で後ろ向きに投げ入れる、ってやつだろ。成功したら願いが叶うことじゃなかったか?」
「あ、流し読みしたんスねー!?」
「まぁそうだが」
「もー。でも、まぁ、観光地にはよくある文章ッスから」
「なんだよ。願いが叶うじゃないのか?」
「……えっとッスね」
ハルルが俺の手を軽く引っ張った。
なんだ、内緒話みたい。
手を口元に立てたハルルが、耳元で囁いた。
とても小さな声で、それで、吐息が当たる温度で。
「永遠の愛、だそうです」
──ぁ、……そ。そ、そうなの、ね。
いや、うん、とてもよくある、よくある、言葉だね、うん。
俺たちは、ちょっと言葉を出せなかった。
照れたわ。んな直球。そんなの、なぁ。
ただ……。照れたけど。
握った手だけは、硬く離さなかった。
手から伝わってくる温かさが、真っ直ぐに身体の奥まで響いていた。
……抱き締め、たい。と、思ってしまう。
──ぼんっ!
白い煙とともに、コミカルな爆発音が響いた。
「あ?」「え??」
トンネルを出てすぐの、あれはベンチの辺り。
……ベンチ。
察した。あの煙の感じ。あれがこの旅籠にある術技だ!
しまった! 俺が仕掛けた『罠カード』だ!
つか、あんな煙出すのか、いや、それより!
けほけほ、と噎せ返る人影が見えた。
「だ、大丈夫ですか?」
一応声を掛けると、人影が手を上げる。
やべぇ、見知らぬ人を女中化させてしまった。
煙が晴れて──
「けほけほ、ごぉぉおっほっ! ごっ、めんなさいネ! 我も、びぃっくりしたわよ、トレーニング終わってベンチに座ったらこんな煙がッ! ……って」
「お前」
「あー!」
筋骨隆々、引き締まった腹筋。そして、似合わぬ女中服。
ピンク髪の筋肉魔女男。
「ヴィオレッタと一緒に居た、えーっと」
「オスちゃんさん!?」
ああ、そうヴァネシオスだったな。
「「「なんでここに」」いるのかしら?」




