【05】ああ。めっちゃワインだ【06】
「滝の上から落とされたのだ!? ハルル、よく生きていたのだ……」
「本当に死を覚悟したッスよ! まぁ、それが『絶景』の習得条件で」
ポムとハルルがグリルの前で談笑している。
ここは、ルキの家の屋上。ルキ曰く、趣味の屋上だそうだ。
まばらな形の白色や藍色の石畳の屋上。
普段は使ってないとはいえ、ルキの優秀な使用人である意志を持って動く箒たちによって、しっかり清掃された屋上は、汚れ一つなかった。
そんな屋上の真ん中にグリルをおいて、今晩はバーベキューだ。
用意された椅子に座り、夕焼けを見ながら、鉄串に刺さった肉を豪快に食う。
いやぁ、至福だ。
「ついでにボクの秘蔵のワインはいかがかな?」
いつの間にか俺の隣にルキが居た。
車椅子から身を乗り出して、俺のサイドテーブルの上にワイングラスを載せた。
「なんか、不思議だな」
「何がだい?」
「いや、なんというか。ルキの口から、ワインって言葉が出るのがさ。十年前じゃ、ありえなかった」
この国では、十六歳から酒がOKではあった。
だが、当時の俺たちは酒の味なんて分からなかったし、興味もなかった。
今でこそ、ワインやカクテルは飲めるが……麦酒の独特の生臭いようなあの味が苦手だ。
ともかく、十年前には、絶対に出なかった酒の話題に、少し俺は笑っていた。
「じゃぁ、十年前と同じようにシラフでお話するなら、この秘蔵のワインはお預けでいいね。今年が飲み頃の十年物とのことだけど」
ラベルを見る。
『ルチア』という銘に、おっと、と目を開いた。
この国で普通に生きていれば、誰だって一度は聞いたことのあるワインの銘柄だ。
どこにでも売ってる、という意味では無い。
高い酒と言えば『ルチア・レル・ヴォーニュ』。金持ちの家にしかないイメージの酒だ。
ワインとルキを交互に見る。
「俺、正直言えば、全然、葡萄酒の知識が無いんだが、飲んでいいのか?」
「ふふ。そうなのかい?」
ルキがワイングラスを持った。
こういう時は、俺が注ぐんだよな。そうだよな?
少し震えた手で高級ワインをルキのグラスに注いだ。
「十年物か。あれか、ワインって、ウィスキーみたいに年数を掛けると味が良くなるものなのか」
「少し違うね。ワインは、『飲み頃』があるんだよ」
そう言ってグラスの中のワインを転がすルキ。
その横顔が、とてもワインと合ってる気がした。
「飲み頃?」
「ああ、そうさ。ワインには、味わいの一番強い時があるんだよ」
「ほうほう」
「新酒……つまり、作ってすぐ、ないしその後一年くらいが味のピークの物もある。そういうのは熟成してしまうと、枯れたような味になるんだ」
「へぇ。そうなのか。じゃぁ、このルチアっていうワインは」
「そう。このボトルは、今年がピークの味わいとなる」
ルキは唇を薄くグラスにつけて、こくん、とワイン飲む。
三つしか違わないのに、ルキがとても大人びて見えた。
「ルキは、流石、賢者だな」
「え?」
「いや……俺も良い歳になったんだが、なんというかな」
正直、あれだ。酒の知識が有ると無いとじゃ、全然違う気がする。
「お酒を語れる、というのが、大人、って感じがする」
と呟くと、ルキは、ぷっ、と噴出した。
「お、おい、笑うことないだろ」
「いやいや。ごめんね。ついおかしくて。あのジンが、面白いことを言うものだからね」
あのジンって、なぁ。
「実を言うとね。ボクも受け売りなんだ」
「え?」
「今日、町でお酒ばっかり売ってる行商人の方にね、教えてもらった」
茶目っ気たっぷりに舌を出して微笑んだルキに、つられて俺も笑ってしまった。
「お前なぁ」
「ふふ。賢者ではあるけど、何でも知っているという訳ではないからね。日々、色々教えてもらっているのさ」
「物は言いようだな、まったく」
俺はワインを軽く飲む。
やっぱり、俺の味覚はまだ子供のようだ。味は渋く感じるだけである。
ただ、味はよくわからなくても、鼻を抜ける果実の優しい香りはしっかりと分かった。
これがワインだ、と主張しているようで、なるほど、力強い。
「どうだい?」
「ああ。めっちゃワインだ」
「めっちゃワインって、キミ」
ふふ、っと口を隠してルキが笑う。
高級なお酒にそんな感想言うかい、普通? と、けたけた笑いながら言われてしまった。
俺は、少し気恥ずかしくて頬を掻いた。
「まぁ、でも、香りがいいから、美味しいな」
「そうかい。それなら良かったよ」
ルキは、昔より表情豊かになった気がする。いや、俺も同じこと言われていたか?
よく笑う。それは、とてもいいことだ。
「しーしょお! お肉追加いりますかー!?」
グリルの前で、焼き奉行となったハルルが訪ねてきた。
「ああ。追加、欲しいな」
「後、野菜も焼いて欲しいね。隣のポムが全然、野菜を食べてないようだし」
「ぎくりなのだ!」
「野菜は焼くと美味しいッスよ! 甘味が出て! とりあえず、じゃんじゃん焼くッスよー!」
ハルル、なんだか張り切ってるな。いいことだ。
もう一口、ワインを飲む。慣れれば、渋みも味、なのか。
ルキもワインを楽しんでいるようだ。
「なぁ、ジン」
「ん。どうした?」
「あの靄の少女、なんだったと思う?」
ルキがワイングラスを見つめながら、少しだけ真剣に呟いた。
「……俺も、気になって考えてた」
他国の間者、という可能性もあったが、今、ルキに喧嘩を売る理由が謎だ。
ルキは今、隠居生活。最前線の人間じゃない。
もし、侵攻の為に戦力を削ぐと考えたら、もっと、別の人間が標的になるだろう。
だから、可能性として。
「魔族側、って感じだったな。昔からある、次世代魔王に俺はなる! っていう感じの奴らに近い物を感じたな」
「そうだね。少なくとも、人間種連合側の工作員じゃなさそうだ」
ルキは、ワインをもう一口飲む。
「少女の素性は不明だけど……戦ってて、気づいたことがあるよ」
「なんだ?」
「あの子は、何か執念みたいなものがあった」
「……執念? 信念とかじゃなくてか?」
「ああ。戦ってる最中、あれだけ追い詰めても、食い下がる戦い方。あれは……厄介だよ」
「そうだな。厄介だった。……ルキに、あいつの心当たりはないのか?」
尋ねると、ルキは小首を傾げた。
「あいつ。去り際に呟いたんだ。『次はお姉ちゃんを』って」
「……ふむ」
ルキは飲み干したワイングラスを机に置いた。
「ボクへの怨恨、か」
沈黙が流れる。
俺たちは、勇者として、最前線で戦い続けた。
魔族側に、俺たちを恨む者は多い。
そして、人側にも。救えなかった者もいれば、俺たちの身代わりになった者もいる。
「ルキ。お前、一人で、本当に大丈夫か? っと」
問いかけた瞬間、上下左右に水の剣が俺を取り囲んでいた。
「愚問、だったな。悪かったよ」
「ふふ。まだまだ、あれくらいの相手なら、戦える」
「流石、星天の魔法使いルキだな」
「ちょっ、その呼び名はよしてくれっ」
「星の数の魔法が使えるってカッコいいじゃん?」
俺の詩集よりかは絶対に大丈夫だろう。
が、──酒のせいもあるが──ルキは顔を赤くして目を潤ませている。
「ああ、もうっ、キミという奴はっ」
珍しくルキが声を荒げてから、溜息を吐いて笑う。
夕日は沈み切り、空には一番星が輝き始めていた。




