【17】灰色の青空【16】
◆ ◆ ◆
復讐したら気が晴れる。
勇者を一人握り潰したら、心に罹った雲が晴れた。
次々に人を殺したら、慟哭の雨は止んだ。
死んだ者が復讐を望んでいないのは、分かっている。
死者の心は風になって、いずれ雲を晴らすのも分かっていた。
最も優れた者なら、賢い者なら、ぐっとこらえて前を向いて生きるんだろう。
拳と唇をきつく結んで、地面に根差して生きるんだろう。
もう二度と争うなと、この雨も泥も活かしてくれと、次の為に種に繋げるんだろう。
だけど、胸の痛みを抱えて。どうして許せる。
人間を、どうして許さなければいけないんだ。
そんなこと出来ない。
心の雲は全て晴れた。殺した者にも家族はいるだろう。悲しむ者もいるだろう。だけど関係ない。
正当化するつもりも無い。ただ殺した。気が晴れた。
悔いはない。だからこそ、見上げた空は雲一つない。
灰色の青空が残った。ああ。空を見上げて、心臓の奥から空気を吐いた。たった一つの感傷が込み上げた。
空しい。
雲の一つもない空なんて、ただ空しいだけの心だった。
◆ ◆ ◆
シダの葉と、長い蔦、それから小さな黄色い花弁が空に弾けて、空気に煽られゆっくりと落ちてくる。
地面に倒れた爬虫人に、ふわりふわりと落ちていた。
黒肌の男──ガーの拳が、その男ヴィーヘを捉え殴り飛ばしたのは数瞬前。
ガーの拳がヴィーヘの顔面を捉えた時から、彼の身体に生えていた植物は全て弾け飛んだ。つまり、『ヴィーヘの術技』が解除された。
ガー本人にもどうしてヴィーへの術技が打ち消されているか不明だ。だが、彼の魔法が籠められた拳はヴィーヘの術技にとって対逆の存在のようだ。
ヴィーヘが起き上がれないのは、ガーの拳の威力が凄まじく強かった──という訳ではない。
彼の【樹想】による【植物化】が解除されたのに起因する。
【植物化】している最中は、どのような物理攻撃を受けても痛みがない。破損した身体は植物で再構築し、直せる。
ただし解除した時、身体が受けた痛みが彼の身体に戻って来る。
戦闘後に自身の意志で解除するのですら、激痛の覚悟や医者の準備が必要だっただろう。
それを無理矢理、解除させた。
一撃で植物化が解除され、激痛も、骨折も、ヴィーヘの身体に戻ってきていた。
彼の右腕はあらぬ方向へ曲がっていた。全身にヴィオレッタの攻撃を受け続けて内蔵にもダメージが蓄積しているだろう。
血を吐きながら地面に這い蹲っている。だが、まだ生きている。
仰向けに、空を見上げて。
何を考えているのか、ガーにもヴィオレッタにも分からない。
それでも。
それ程のダメージを受けていても、ヴィーヘは、身体を無理矢理に捩じり、剣を杖にして上半身を起き上がらせた。
「【靄舞】」
ヴィオレッタは、すぐに小さく唱えていた。黒い綿菓子のような靄が両手に生まれる。拘束する気でいたのはガーにもヴィーヘにも分かっていた。
ヴィーヘに近づいた時だった。
「! レッタちゃん!」
ガーは慌てた声を上げたが、ヴィオレッタは何一つ驚いても居なかった。
威嚇だと分かっていたから。
隠し切れない息の荒さと、獲物を狩るには不適切な殺意を込めた『矢』が、ヴィーヘとヴィオレッタの間に刺さった。
「待て! ヴぃ、ヴィーヘさんから、離れろ!」
──この現状で。この町の状況の中で、その少年のようにあどけない顔の『青年』が、どうしてその行動を取っているのか、ガーには理解できていなかった。
弓を番えた少し背の低い青年の勇者。誰なのか、ガーたちは理解していなかったが、横目で見ていたヴィーヘだけがその答えを知っていた。
(ろ、ローアくん)
ヴィーヘは新人や実力に不安のある勇者と随行する『先導者』という仕事をしていた。
そして、ヴィーヘは、その青年ローアが新人時代から、ずっと先導者として協力していた。
(な、んで。……ローアくんは、もっと東よりの、町に)
そして、その隣に、少女もいた。ボゥという名前の、ローアの7つ年下で12歳になったばかりの妹。
怯えた目だ、と感じていたのはヴィーヘだけだろう。
駆けだした少女を止められなかったのは、ガーにもヴィオレッタにも、違う顔に見えたから。
「ヴィーヘさんっ」
心から心配した顔だった。
少女がヴィーヘの隣に座り込み、青年はガーとヴィオレッタの前に矢を番えながら歩いてきた。
「……ヴィーヘさんから、離れてください」
「いや、ちょっと待て、オレら危害を加えるつもりじゃなくて」
「いいからっ!」
(ローアくん……なんで)
「ヴィーヘさん、今、助けるからっ」
ボゥという女の子が手を握っていた。
「ヴぃ、ヴィーヘさんは、きっと何かに操られてるだけだっ! だから、僕らが守る、んだっ」
「ま、町を襲ってたのだって! 何か理由があるんだよ! きっとそうだから! だからこれ以上、酷いことしないで!」
(違うんです。ローアくん、ボゥちゃん。私が、私が本当に悪いだけなんです。庇わないでいい。庇わないで)
「ヴィーヘさんは、悪い人じゃないんだっ!!」
ローアの言葉に、ガーは視線を外し、ヴィオレッタも一度目を伏せた。
それから、ヴィオレッタは青年の目を見る。真っ直ぐに、矢よりも鋭く青年を見た。
分かっている。この場の誰もがヴィーヘさんを優しい人だと分かっている。
だからこそ、ヴィオレッタは敢えて、言葉を尖らせた。
「この町を壊して、人を殺したよ。その人」
青年は、唇を噛んだ。
震えていた。ただ、それでも。と消え入りそうな声で呟いたのを、ヴィオレッタだけは聞いていた。
「それでも……ヴィーヘさんは、大切な。大切な……友達、なんです」
「そっか。よかった」
そう呟いてから彼女は、くすっと微笑んだ。
そして細めた目で、ヴィーヘを見る。
握られた手を強く握り返し。身体を震わせていた。
ボゥに支えられ、肩を借して貰って。
その目の端が光っていた。涙は、静かに零れていた。
ありがとう。また立ち上がらせてくれて。
ヴィーヘは声にならない声でそう言った。きっとボゥにも誰にも伝わっていた。表情が無くても、それでも、伝わっていた。
真実は、伝わる。決して見えなくても、それが真実なら。
──しかしそれは別の角度からは、まったく別の光景に見えたのも一つの真実だろう。
一斉に、殺気が立ち込めると同時に。
──爬虫人の男が、少女を人質に取ろうとしたように見えてしまった。危険な状態。そう誰かが判断したのは、正常な判断で。
発砲音が響き渡った。




