【05】死ぬより、嫌ッス【05】
『絶景』という技術は、簡単に言えば『時間停止』だ。
具体的に言えば、疑似時間停止。
自分の思考を加速させることにより、世界がゆっくり動いているように認識する技術。
走馬灯とかなり共通点のある、そんな技術である。
訓練を初めて三日目。
『覚えてしまえば、生きているなら誰でも使える大技』
なんて、ハルルに大見得切ったが……正直、ハルルの進捗が、芳しくない。
いや、この技に進捗なんてないんだ。
崖から突き落とすことによって、時間が止まったような感覚はもう触れた。
後は、その感覚の中で体を動かすだけ。
実は、どうしてハルルが『絶景』を習得出来てないのか、理由は分かっている。
少し、照れ臭いが。
ハルルが、俺を信頼しているから、だ。
どんな攻撃をしても、ハルルの中で、俺がハルルを殺すことはない、と信頼し切ってしまっている。
実際、俺も、心の中で、必ず殺さないようにすると決めて、打ち込んでいる。
俺が、師匠から『絶景』を教わった時は。
『最後の教義だ。次の一撃。避けられなかったら、死ぬがよい』
直球で言われ、本気で斬りかかられた。
演技が上手かったのか、本気で殺す気だったのか、今となっては分からない。
「……絶景、無理っスかね」
俺の隣で槍を抱えてハルルは座る。
いつも能天気な顔が、今は暗い。
「いや。ハルル。やっぱり、今、無理に、技を覚える必要もない」
俺が身を守る術として教えたがっているだけ。
今、ハルルがこの技を欲してるわけじゃ──
「強くなりたいっス」
「……何」
「師匠。……私、知ってるっス。師匠が先回りして山賊を減らしてくれてたっスよね?」
……目を丸くした。気付かれてたのか。
「師匠の足手まといには、なりたくないっス」
風が吹く。滝の上から白っぽい花びらが散ってきた。
「私は、師匠の弟子っス。自称っスけど。でも、だから。隣に並んでも良いくらいには、強くなりたいんス」
ハルルは、まっすぐな目で、俺を見た。
まるで、採れたばかりの翠石みたいな目に射抜かれた。
そういえば、もうじき春も終わる。桜も散るか。
ハルルを見る。
真っ直ぐに、見つめた。
「俺は、正直に言うと、お前を好きだ。心から、気に入ってる」
「へぁ!? え、えっと」
「裏表も無い。考えるより体が動いて、正しいって思うことをやる姿に、正直、救われた」
「そんな……た、大したこと、何もしてないッス」
思い返せば。
地竜にやられそうな仲間の身代わりになったり、俺が罵倒された酒場で俺の代わりに怒ったり。
こいつの無茶苦茶な部分を、俺は、好きなんだろうな。
「俺は、お前が居てくれて、救われてる」
「……師匠?」
白銀の剣を握りしめる。
「次の一撃を。避けられなかったら……お前は死ぬ」
師匠の言葉を思い出しながら、俺は、その言葉を絞り出した。
「の、望む所ッス! 大丈夫ッス、必ず、避けるッス!」
「分かった。覚悟はいいな」
「は、はいッス!!」
「よし、構えろ。構えたら、もう後には戻れない。いいな?」
ハルルは、ごくりと固唾を呑んだ。
そして、ハルルは槍を構えた。
ハルルの構えは、俺が教えたものだ。
中距離戦闘を予想した片手で扱える短槍を、上段から中段を狙うように、腰を落として構える。
相手の攻撃に対して対応力の高い構えで、俺の親友もこの構えだった。
「最後に、もう一つ。念の為に、ルールを考えた」
「え?」
「この一撃を受けて生き残ったとしても、お前は死者だ」
「?」
「もしお前が死者となったら、今後一切、お前とは関わらない」
その時、ハルルが目に見えて動揺した。
「死人に口なし。この一撃を避けられないなら、もう終わりにする。何があっても、一生涯、お前との接触を避けるように生きる」
突風が吹いた。
「そんなっ──」
「絶景」
滝の飛沫が大小無数の水の玉として止まる。空中を散る桜の花びらも動きを止める。
雲も鳥も静止した世界には、伸び切った風の音が吹くだけだ。
走り寄る。世界の全てがスローの中で、俺だけ動く。
ハルルは、ゆっくりだが動いている。
『絶景』による攻撃は『絶景』でしか止められない。
剣の達人同士が相対した時、周囲の者が認識できない速度での打ち込みの応酬が行われる。
それと同じで、『絶景』の領域に来なければ、戦うことすら出来ないのだ。
ゆえに──ただ、まっすぐに、真上から斬り下ろす。
音が消し飛んだこの世界。
桜の花びらと水の飛沫が空中で静止した世界。
凛とした空気しかない、集中の極致。
動きの無いこの世界は、この極致に到達したものしか見ることが出来ない景色──『絶景』と呼ぶに相応しい。
この景色を。
ハルルと見ることが出来て、良かった。
ハルルは俺の一撃を避けた。
そして、槍を突き出した。
刀身で槍を防御し──花びらと飛沫が動き出し、滝の轟音が響いた。
「ハルル。よくや──」
ぼふっ、と、突然、ハルルが抱き着いてきた。
凄いスピードだ。早速絶景を使ったのか?
ともかく、銀白の髪が顎をくすぐる。ハルルが俺の胸に顔を埋めている。
俺を抱きしめるハルルの腕に力が入っているのが分かる。
小刻みに震えているのも。
「ハルル?」
声が聞こえない。
だが、泣いているんだろうか。
鼻を啜っているような音が聞こえる。
「怖かったよな。悪かった」
頭を撫でる。ハルルは俺の腕の中で頷いた。
「もうお前に剣なんか向けないから、大丈夫だ」
「……そっちじゃ、ないッスよ」
「え?」
「……一生涯。……会わないって。嘘でも、何でも……怖かったッス。死ぬより、嫌ッス」
「それは……。そう、か。悪かった」
ハルルは、ぎゅっと抱きしめる手を更に強くした。離れない。
離れる気配が無い。
悪かったよ。ともう一回呟く。
「大丈夫。お前が、どっか行くまで。ずっと一緒に居るから」




