【17】蛇人間547番【10】
◆ ◆ ◆
羨ましい。妬ましい。
何でそんなに笑顔でいられるんだろう。
貴方は、人間のはみだし者。いうなれば、半人側に近いのに。
どうして、そんなに迷いなく人を守れるのだろう。
どうして、邪魔をするのだろう。
魔王と一緒に行動をしているからか。
人間なのに。……ああ。
人間と、半人と、魔族は変わらない生き物なのに。
自分の中で、もう既に線を区切ってしまっていた。
頭では分かってるんですよ。でも、駄目だ。もう、心の中に虫のような悪魔が沸いている。
心臓をその虫が食い破っている。
もう、心が。
貴方が笑っているのが、許せなかった。
人間が燥いでいるのが、許せなかった。
もう、人間と一緒に居たくないと、叫んでいた。
初めて、そんな感情を持った。友人相手なのに。
目の前の友人の顔が真っ黒に染まった人形に見えて。
許せなくなった。私の前で、笑っている友人が。
私は全てを失ったのに。何故、貴方は、どうして。
──ナイフは、友人の腹に刺した。
前のめりに崩れていく友人を見守って、遠い空を見た。
遠景の山と空は、永遠に変わらないように見えた。
◆ ◆ ◆
十四万二千メダルカ──古い貨幣の呼び方だ。
現在の貨幣に換算するなら、銀貨三枚程度だろうか。
鞭が撓って音が鳴る。怒声が響いて子供が泣く。
荷馬車が行き交いすぎて、地面は掘り返された畑のように荒れている。
幾つもある篝火や松明のお陰で、夜だと言うのに妙な明るさがあった。暗い世界に橙色の灯り。また馬鞭の音と擦れた鎖が叩きあう音。
そこは、命に値段を付ける場所。
奴隷商の集まった、奴隷市場。
──それは、約、三十年程前。
言ってしまえば最近だ。百年二百年の昔ではなく、ごく最近まで、本当に普通に、どこにでも奴隷市場なんてものはあった。
戦闘用、観賞用、愛玩用……数多くの用途別の奴隷が販売されていた。
その奴隷の多くは──半人。
当時の半人は、半人と呼ばれることが少なかった。
もちろん、半人種という括りはあったが、主に『魚人間』とか『半鳥』とか、『蛇人間』などと蔑んだ言い方をされるのがほとんどだった。
そして、彼らは、『魔族』でも『人間』でも『敵側』として扱われた。
魔族側では人間として見られ排他され、人間側では魔族側として敵視された。
そんな時代。
蛇人間547番の5。
そんな板を首から下げたまだ幼い半人の少年は、見ての通りの奴隷だった。
『547番』というのは純粋に奴隷の通し番号だ。その後に着く『5』というのは五回、主人が変わったことを示す。
五回も主人が変わるなんて、彼に問題があったのだろうか? 否である。
蛇人間──爬虫人は、高い生命力を持つ。
そして人間よりも強靭な筋力も持っており──『生きてる的』として最適だった。
人間たちに矢の的にされた。片脚の腱を切られた状態で逃げた。
その後捕まり、奴隷市場へ。
ただ殴られるだけの時もあった。相手を殴って昏倒させて逃げた。
その後捕まり、奴隷市場へ。
ただ魔法の実験に使われた。薬品を混ぜてガスを充満させて逃げた。
その後捕まり、奴隷市場へ。
似たようなことを繰り返し続けた547番の目は、荒んでいた。
そんな荒んだ目を持つ彼を、興味深く観察していた貴族がいた。
その貴族は、丁寧な口調で彼に聞いた。
「人が憎いですか?」
そして奴隷はすぐに答えた。
「憎いよ」
「どうして憎いですか?」
「痛めつけるから、この身体を」
「では、貴方を痛めつけない人間は憎いですか?」
「……そんな人間に会ったことは無いから、分からない」
「よろしい。この子をください」
少し老いた貴族は、にこりと微笑んでから彼を購入した。
その貴族は変わり者で有名だった──自分の護衛としての教育を奴隷に施し、ある程度の自由を与える。
不思議な老貴族は、547番に対しても多くの教育を施した。
言葉遣い、礼儀作法、文字の読み書き、戦闘訓練に、果ては魔法までも。
蛇人間547番も、その貴族の元で教育を受けた。
そして名前も貰った。彼がその後に名乗る名前をその時に頂いた。
ただ、貴族の元にいる間、彼はその名前を名乗らなかった。
理由は単純で、もったいなかったのと、大切にしたかったから。もっと教養を積んでから名乗ろうと決めていた。貴族もそれを理解していたのだろう。
次第に、貴族に対して547番は心を開いていく。
『差別は無知から生じる。相手を知れば、害そうとはしなくなるはずだ』
衝撃だった。蛇人間547番にとってその言葉は、まるで頭をハンマーで叩かれたような衝撃だった。
世界中の人間が相手を理解すれば、差別はなくなるのでしょうか。
蛇人間547番が息荒く問う。だが、老貴族はいつも通りの笑顔を浮かべるだけで、『無くなる』とも『無くならない』とも答えなかった。
まずは貴方が、相手を理解し、相手を許すことから始めるのです。
そしたら、よりよい未来が待っている筈ですから。
正しいことを言っていた。彼も心から賛同していた。
だが、正しいことを言っていても。『相手を知ったとしても、害することがある』ということを、ある月の無い晩に蛇人間547番は知ることになった。
何の忘れ物をしたか──そんな晩に彼は屋敷の中を歩いていた時。
突然、何かが倒れる音がした。そのまま小さな呻き声と、パリンと割れる音。それから……火が上がった。
貴族は、殺された。
自分が買って育てた奴隷によって殺されたのだ。
その後に分かったのは──貴族を殺したのは唯一の人間の奴隷だった。
貴族になり替わり、もっと富を手に入れようとしたらしい。
それでもみ合いになり、燭台を倒してしまった。それによって火が広がり──あれだけ美しかった屋敷は、廃墟となった。
その日から、蛇人間547番は奴隷ではなくなった。
だが、『奴隷』ではなくなると言うことは、『仕事』を失うと同義だということをその後にすぐ知る。
脱走奴隷と分かれば奴隷商たちが捕獲に来る。冒険者たちも捕まえに現れる。
逃げるように各地を転々とする生活が始まった。
街道ですれ違う人間たちにすら暴言を吐かれる。
汚い、死ね、臭い。様々な罵りを受けながら、それでも生きることを辞めなかった。
それでも、あの貴族の言葉を、頭に入れていた。
相手を理解すること。許すこと。そして、知る。
無知から差別が生じる。あの罵声を上げる人間たちも、半人のことを知らないから声を上げているのだ。
──彼はずっと、許して生きて来た。
自分を虐げて来た人間を許し、奴隷商たちも許し、復讐など考えずに生きて来た。
心の底から、世界に優しさがある様に願い続けてきた。
戦後、魔族の領地に行くことが出来ない半人たちを助け続けた。
人を恨まず、平和な時代で正しく意見が言える日が来るように。それこそ、あの貴族の教えを、今に引き継ぐつもりで。
結婚した妻にも悲しみは漏らさず、生まれて来た子供たちにも怨念は伝えなかった。
怒りは伝播する。だからこそ、断ち切る必要がある。それも教えだったから。
真剣に、優しい世界になるように、生きて来た。
結果を求めてはいけない。分かってはいる。
分かってはいるが──あんまりじゃないか。
人を許し、怒りを殺し……人の中で生きていく道を模索した結果。
その結果が……大切な者を全て殺されるこの今。
居場所を焼かれた結果。全てを失ったこの惨状。
耳の中で、悪魔が囁く。
憎いもの、全てを壊してしまえ、と。
子供のように癇癪を起して全て殺してしまえと。
◇ ◇ ◇
「ヴィーヘ、さん」
黒い鴉から降りた少女が声を上げる。
長い緑色の髪の少女と、その隣には、混血の青年、ガー。
「オスちゃんを、刺したのか?」
ガーが低い声で訊ねると──ヴィーヘは舌を少し出した。
「邪魔をしてくれたので、排除しただけです。まだ生きてると思いますよ、その人は」




