【05】菫のような出会い【04】
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オレが考えているのは、どうすれば楽に生きられるか、という一点だけ。
二つの選択肢があったら、最も楽な方を選ぶ。
難易度を選べるなら、簡単を選ぶ。
宿題の問題集は最後のページの回答を丸写しする。
オレは、いつもそう。人生、どうにかして楽をしたい。
大変なことをして成果を上げてる奴は立派だな、とは思う。
同時に、大変なことをする労力を絞り出せないから、オレには到底、真似できないと思ってる。
ただ、まぁ……いくら立派でも、なんていうのかね。
なんで、そんなに苦難を選ぶのか、理解できないのが、オレだから。
勇者? いやいや、なんであんな仕事をやりたがるんだろうね。
オレは……とにかく楽して生きていたい。
食事も豪華じゃなくていい。
仕事も、手を抜いて、あまりバレないのがいい。
考えるのも、得意じゃない。
だから、オレは、どんな選択肢も、一番楽だ、という物を選んでる。
ただ、それだけなのに。
星が綺麗だ。
ラクして生きていた。楽は、楽しかった。
なのに。
真っ赤に腫れた頬。左目は開かない。
夥しい出血。左足は折れてるな。馬鹿みたいに痛い。
肩も、腹も、腰も、至るところが斬りつけられてる。
辛うじて、死なない、か? くらいの、大怪我だ。
超高級な回復薬の瓶に、市販の回復薬を移し替えて、そこそこの金額で売りつける。
馬鹿な勇者様に、気の利いた、楽な商売だった。
この商売の良い所は、『勇者』は騙されたと分かっても、泣き寝入りする。
だって面子があるもんな。騙されてゴミ掴まされてた、なんて、誰にも言えないはず。
次は買わないようにしよう、と警戒するだけ。
だから、普通、復讐なんて、しないだろうに。ああ、しくじったなぁ。
『お前のせいで俺の仲間はっ! 仲間は死んだっ!!』
そう汚い顔で泣きながら、馬鹿な新人勇者はオレをタコ殴りにした。
なんか、アレルギーだったらしい。
なんの成分かは知らないが、安い薬にたくさん入ってる何かのアレルギー。
で、それを飲んだから死んでしまったらしい。
そんなの、オレの知ったことじゃない。
というか、それなら、もっと正規の店で買えよ。
楽して、生きていたいだけなのに。
明日から、違う町で薬売りしよう。
ここの町で、薬売るのは、楽じゃなさそうだし。
痛っ……右腕も、なんか動かねぇ。
もっと加減してくれよ。死んじまったらどうすんだよ。
オレが死んだら、オレを殺した勇者は殺人犯に……。
いや、そう、ならないか。……ハハ。
勇者は、『分かってた』から、だから、目一杯殴って斬ってくれた。
ああ、痛ぇ。動く左腕を動かして、取り辛い左の胸ポケットから、タバコの箱を取り出す。
小さい希望だが、これが一番吸った気になれる。
咥えた。ライターに、手、届かないな。
ああくそ。火の無いタバコなんて、な。蝋燭の無い、ケーキみたいだ。
そんな、クソつまんねえことを考えながら、オレは目を閉じた。
人生、楽にいかねぇ、ばっかりだ。
……。
煙。
目を開けると、タバコに火がついていた。
隣には、黒い毛皮を羽織った人間の少女が座って、オレのオイルライターの蓋で手遊びしていた。
カシャン、コ、カシャン。蓋を閉じたり開いたりする、独特な音が続いた。
真雪のように白い肌の少女は、蓋を閉じたり開いたりしながら、ずっと空を見てた。
オレは、タバコを吸った。煙を雲に届かせるように吐いた。
吸いきって、ぷっ、と唇で弾いてタバコを捨てる。
血だまりに落ちて、じわっと音を立て火が消えた。
横目で少女を見る。彼女も、怪我をしているみたいだ。
時折、背中が痛いのか痒いのか、体を少し動かしている。
不意に、少女と目が合う。
菫みたいな少女だ。
深く紺に近い目の色からそう連想したのかもしれない。
ずっとみていると吸い込まれそうな菫のような色の目。
落ち着く夜の森みたいな黒緑色の髪。
少女は、何も言わずに、オレの手に握られたタバコを一本取り、オレに咥えさせてくれた。
火をつけ、二本目をオレは吸う。
何か、語る訳じゃなかった。
ただ、少女は俺の隣に座って、足を伸ばしてぼーっとしていた。
気付いたら、オレのタバコは十数本目。
空に白みが掛かってきた。
そしてようやく、少女は、カシャンコ、とオイルライターの蓋を閉じた。
「このライター、いいね。手に馴染む」
少女はオイルライターの銀面を指で撫でた。
「……見る目、あるな。それ。鉄の町の、記念モデルだ」
銀面は、艶消しが施されている。わざとザラリとした指ざわりにしてあって、それが中々面白い。
「鉄の町?」
「ああ……ここから、東にずっと行くと、国境があって。それを超えたら、ドワーフもいる、有名な町だ」
「ふうん。町は興味ないな」
「そうすか」
「でも、このシンプルなのに重たい独特な感じは好き」
くすくすと、少女は微笑む。
「オレが、死んだら……それ、やるよ」
少女は、目を細めた。
「死ぬ予定があるの?」
「あ、ああ。もうすぐ……オレ、死ぬから。……そしたら、それ、持ってっていいぜ」
そう。オレはもう、死んだら楽、だから。
少女が、オレの真っ黒い手の甲に触れた。
炭のように黒い肌。尖った耳。黄色い目。怪刻の特徴だ。
そして、五本の指。牙の無い歯。背丈は170cm。これは、人間の特徴だ。
顔立ちは人間だ。だが、肌は真っ黒だ。目の形も人間だ。だが、目の色は怪刻だ。
誰が見ても、一目瞭然だ。怪刻と人間の混血。
だから、勇者がオレを殺しても、勇者は殺人犯にはならない。
区分上、オレは魔物だから。
少女はそっと、オレの手の上にライターを戻した。
「じゃあ、貰えないじゃん。はぁ、仕方ないなぁ」
少女は立ち上がり、何ステップかして、くるりと回転して見せた。
ダンス? いや、バレエか?
「傷、治しちゃったから、貴方、まだ死ねないね」
……え? あれ。
傷も……痛みすらも、無くなっていた。
朝の光に照らされて、少女は微笑む。
「じゃあね」
少女は太陽が昇った方へと歩いて行く。
いつの間にか、隣に黒い狼がいた。
背中の大傷。禍々しい佇まいの黒い狼を従えて、大回復術師クラスの魔法を有する少女。
普通の少女じゃない。何かしら、ワケありな少女であることは、間違いない。
長く関わるのは、楽な生き方じゃない。
分かっていたのに、不思議だった。
オレは、楽をしたいだけの、馬鹿だ。
だけど、こんな気持ちは初めてで。
恋とは違う高鳴りで。
「な、なあ」
声を上げた。
少女は立ち止まり、振り返った。
「オレも、ついて行っていいか?」
「え?」
「何、突然、言い出してるのか、オレもよく分かってないんだ。
だけど、その。行けるところまででいい、一緒に、歩いて……
あー、いや、決して怪しい奴じゃなくて」
「くすくす。変な人だね。好きだよ、そういうの。でも、けっこー、遠くまで行くけど、いいの?」
「あ、ああ。どこでも。その、行っていい場所まで、一緒に行かせてくれるか?」
「情熱的?」
「そ、そういう訳じゃなくて」
「いいよ」
「え」
「好きなだけ、一緒に居ていいよ」
少女の微笑みが、花のように見えた。
小さく菫のような可愛らしい微笑みで、少女はオレに手を差し伸べた。
そして、オレは、その手を取った。
それが菫のような、人生を変えてしまう劇薬的な出会いだと、分かった上で。
これが、オレが人生で初めて、簡単じゃない選択肢を選んだ瞬間だった。




