【16】泰平の世を作る【65】
◆ ◆ ◆
歳は離れている。
趣味も違う。仕事も違う。
それでも、俺は、お前のことを親友だと。本気で思っていた。
◆ ◆ ◆
(俺だけ取り残すたぁ、あの魔王……)
ハルルが消え、ヴィオレッタ一味も煙のように消えた。
その時、ティスとパバトはジンへ向き直った。
「──逃げ遅れたようでありますな。お覚悟、であります」
「ぶひゅひゅ。まぁ彼も消した方が、都合が良いのでしたねぇえ!」
「待──」ナズクルが声を上げるより早く、二人は一度にジンに飛び掛かった。
赤熱する赤き髪の少女は、その鉄槌に炎の魔法を纏わせて。
毒を操る巨漢は、その両手から毒の魔法を巻き散らかして。
ナズクルの視界にあるジンは『絶景』を使えない。
実質の三対一。圧倒的に有利である──
(はぁ……よく分かってるじゃねぇかよ)
地面を踏みしめ砂煙と砂礫がナズクルの顔へ向かう。
慌てて目を閉じたのは生理的な反射反応。
ナズクルの視界さえ塞げれば、『絶景』は発動出来る。
全ての動きはジンにとって止まったも同然。
次の瞬間には、ティスの顎に拳を叩き込み、怯んだ直後にハンマーが奪い取った。
その0.3秒後にパバトの顎へ鋭い当たり。
パバトの顔面が1,440度回転した。
三対一。それは圧倒的に有利だ。
──ジンにとって、圧倒的に有利であった。
「ナズクル。俺は本気で、お前とは……。今でも仲間だと思っていたんだ」
砂粒を目に受け一瞬だけ目を閉じたナズクルは、すぐに目を開ける。
同時に、ナズクルの首を、ジンが左手で掴んだ。
「何で、俺に何も言わなかった。魔王を討ちたいなら、何で俺に言わないんだ」
「……も」
「?」
「いつまでも、……隊長面するな……!」
ナズクルは、ジンの腕を掴んだ。すぐに肉が腫れ、煙が立つ。
熱の魔法。高温でジンの腕の肉を焼く。
痛みで手を離す──ことはない。寧ろ、ナズクルの首を握る左手の力は強くなった。
「っぅ……さ、すが、ライ公。術技、無しで、これとは……!」
ナズクルの左手が迫った時、ジンは首を握る手を離す。
けほけほとナズクルは咳をしながらも、ジンから目を離さない。
「術技無しの俺の実力。お前なら分かってるだろ」
「けほ……ああ。そうだった。お前が最初に魔王と引き分けた時は……
術技、無し……だったな」
「それに防衛戦だった。戦上手は防衛線が上手いらしい。
だが、俺は戦上手じゃないんでな。先取攻撃が最も得意だ。──んで俺は」
そして躊躇いなく、ジンはティスから奪った鉄槌を振り下ろす。
「あっ、があああっ!?」
ナズクルの左頭部から打撲音が響き、ジンは手を離す。
「加減が苦手だ。まぁ……加減。上手く出来たみたいだがな」
地面に転がり、這い蹲った『仲間』を見下ろし、ジンはその鉄槌を向ける。
「それでも骨は砕けたな。腕の良い医療魔法使いなら治せるだろう。さて、問うが。
まず──動くな、ティス。パバト」
転がったナズクルを見ながら、背後の二人に声を刺した。
(な、んで、ありますか。あの男は。背中に目でもあるんでしょうか、あの男は!?)
(僕朕の気配絶ちに気付けるなんて。あの男、相当に感度↑↑↑だ……っ!)
「魔族の、元四翼だろうな。その雰囲気。そして、AAA級くらいの勇者か?
何故、お前たちが徒党を組んでるんだ?」
「……」
誰も答えない。当然か、とジンは口の中で呟いた。
「ナズクル。お前にいつか問いかけたよな。人間の為にやってるのか? って。
それ、頷いたよな」
「……ああ。そうだ。世界の為、だ」
「分かり易く説明しろ。世界征服だ覇道だ、急に昔の俺ですら言わないこと言い出し──」
銃声が響いた。
不意打ちの銃声──もう一丁ナズクルが隠していた回転式拳銃だった。
ジンの左肩から、血が飛び散る。
避けきれなかった。ナズクルの【偽感】は、彼の視界に映った時点で、『感覚を上書きされる』。
ジンが用いる『絶景』は、自分自身の窮地の感覚を呼び起こす技術。走馬灯のように、集中による時間が引き延ばされたような超感覚を自在に操る技術。
言ってしまえば、【偽感】は絶景の対逆、『絶景殺し』だ。
だが、それでも。超スロー感覚を使わずに、ただの勘だけでジンは急所を外していた。
ナズクルはジンを蹴飛ばし、距離を取る。
よろめきながら踏ん張ったジンだが、その瞬間に攻撃を行おうとする者はいなかった。
今のは隙ではない。ただの構え直しの時間。ティスもパバトも、それくらいは理解できる使い手であった。
そして、ジンは。ギリっと奥歯を噛んだ。
「お前は……何がしたいんだ! ナズクル!!」
上がらない左腕を無視し、右で握った鉄槌をナズクルに向けた。
ナズクルは、表情も感情も無く、ジンに答えた。
「先も言った。覇王と成る。そして、泰平の世を作る」
「泰平の世? は! 不意を衝いて魔王を撃って!?
何が泰平だ! お前が魔王を撃ったことで、この平和が崩れ去るかもしれないんだぞ!?」
「それでも成すのみだ」
「……お前、どうしたんだよ。マジで」
ジンは、息を吐いた。そして静かに言葉を続けた。
「お前は他者を踏みつけることを良しとしないだろ。なのに、何でこんなことをしたんだ?
頼む。教えてくれよ。どうして──」
「だから! いつまでも隊長面をするな……! ライ公!」
ナズクルは銃を抜いた。回転式拳銃の引き金をすぐに引き銃声が響く。
ジンは間一髪でそれを防ぐ。
「魔王と馴れ合い談笑するなどと!
現代が、どれほどの骸の上に成り立ってるか分かっているか?
どれほどの屍を魔王は積み上げた!」
「その罪を償うつもりでいたんだ、あの魔王は!」
「虚偽だ! 奴の今までのことをお前は良く知っている筈だ!
狡猾で悍ましい謀略に長けた存在! この世には、死んだ方が良いヤツが多く居るが、あれほど死んだ方が良いヤツはいない!
存在しないことによって、社会を良く出来るヤツが居るんだ。まさに、あの魔王はそういう存在だ!」
「そいつが変わりたいって言ったんだ! ただ暴力で解決する世界じゃなくしようって!
そういう世界を無くす、っていう理想を掲げたのは、お前が最初だろ!!」
その時──ナズクルはビクッと身体を動かした。まるで小さな電流が身体を奔ったかのように。
そして。そこからナズクルは呼吸を整えた。
「ライ公……。この問答こそ最早、不毛だ。だが……先ほどの問い、一つ答えを足そう」
「……あ?」
「お前は何がしたいんだ。そう質問したな。今、その答えに──」
「……──!」
ジンの身体に氷が蠢くような嫌な予感が走った。
何か厄介なことを仕掛けられる。そう判断を下した彼の行動は、恐ろしく速かった。
次の瞬間には地面を踏み潰し、その次の一瞬には鉄槌を振り下ろしていた。
次の一撃は、殺意のある一撃だった。
だがその一撃は、届かない。
それを防いだのは、黒い靄のような水の盾。魔法で生み出されたその盾──ジンの嫌な予感は的中だった。
「時間稼ぎをしていた。お前から逃げ切る為には、それしか無かったからな」
その手には、黒い本。鉄のような鈍い光沢を放つその装丁。
ジンも見たことは無い。
だが、直感した。嫌な直感を。その本が。黒い本が放つ鈍く重い魔力。
その雰囲気が、誰かに似ていたから。
「その本は、なんだ」
「術技だ。私も見るのは初めてだが、成る程。
凡百の我ら人間には、超常の術技だな」
「それは、まさか」
「察しの通り。術技名は【魔王書】。
歴代魔王が記した魔法の全てが継承され、更にはこれを持っていれば簡易魔法として発動も出来るようだ」
「なんで、お前がそれを持っているんだ」
「今度は察しが悪いな。理由は一つしかないだろう。
今、この世界のどこかで魔王が死んだからだ」
ナズクルがそう告げた時──ジンは真っ直ぐに。策も何もなく、ただ力任せに鉄槌を振り下ろした。
その攻撃は、空中から顕現した氷と鉄の鋭柱に止められた。
「お前。今……なんて顔してんだ」
「魔王の死は喜ばしいことだろ」
「死んだんだぞ。一人の、命が無くなったんだ」
「世界の脅威が消滅したと言うべきだな」
「ナズクルッ!!」
「ライ公。……俺は、もう戦わないぞ。今、お前とやり合ったら十中八九、死ぬ。俺がな。
だから、これで逃げ切りだ」
間合いがあった。それ故、ジンは鉄槌をナズクルへ向けて投げた。
「丁度いい。部下の武器は返して貰おうか」
同時に、青黒い光が眩く散った。
ジンは、それが転移魔法の光だと言うことはすぐに分かっていた。
「ナズクル……お前がやったこと、俺は、許さないぞ」
「だからどうしたんだ、ライ公。もう会わないだろう。
いや、会うことが無いことを、ただ祈るばかりと言うべきか」
──青い鬼火が墓地を舞う。
火だけ残して、ナズクルたちは消えた。
燻った、悪臭。癒えない傷だけを残して。




