【16】そのつもりだった【59】
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彼は、放っておくと汚部屋を作る危険性のある『いつか役に立つ物』を捨てないタイプである。
しかし、分別はしっかり行うタイプである。
『役に立つ』『役に立たない』『いつか役に立つ』。
この世界のモノをしっかりとその三種類に分別している。
その上で『いつか役に立つ』モノには優先順位が付いていた。
『次に使われる』『予備』『予備が潰えた時に使われる』。
『次に使われる』は、現在使われている『役に立つ』が終わったら使うモノ。
『予備』は、『役に立つ』が何らかの理由で破損した時の為。
『予備が潰えた時に使われる』は、最後の手段とも言える。
そんな彼にとって、『とても役に立つ代物』が存在する。
それは、この世界に存在する二つの技法。
魔法と術技だ。
魔法という技法は、太古の昔からある。
およそ、この世界の誕生からある魔法という技法。
その発動形態は、体系化はされている。
この世界と人体には、魔力と呼ばれる元素が流れており、それを自在に操る技法だ。
魔力元素は、白い紙。そこに様々な詠唱・法陣を足し合わせる。
それが魔法を描く方法──絵を描くのと類似した体系化された技法である。
対して、術技には、同一の物はない。
比較的に新しい概念であり、数十年前に『術技』と名付けられた概念だ。
歴史を紐解けば、『固有魔法』や『血統術式』、『特異魔法』などという呼び方をされている様々な魔法が、実は術技だったと言えるだろう。
個人ごとに異なった特殊技能。それが術技。
しかし、生まれ持って術技を保有する者もいれば、生涯発動しない者もいる。その差は何なのか。
そしてどうすれば発動するのか。それが謎であった。
だが、その謎は、『二人の天才』によって解明され始めた。
一人は、術技の発現方法の一つを見つける。
ほんの数年前だ。
先天的術技は未だ不明だ。
だが、後天的に得る術技は、スキルという名の通りある一定の『経験』から生じることが分かった。
身体を流れる『魔力元素』に『経験』は記憶される。
その魔力元素の『総量以上』の『経験』が溜まったら溢れ出し、術技となる。
この『天才少女』は、発明家気質であり、その具体的な数値を『経験値』、EXPという単位で切り取って誰でも見られるようにした。
今ではギルドに加盟する勇者の成長の指針となっている程だ。
そして、もう一人の『天才少女』の『研究文書』では、その概念自体の解析を試みていた。
術技とは、魂、記憶や感情によって術技の形成が行われる。
その前提から書き出されたその文書は、今までと異なる切り口で術技に向き合っていた。
直感的な感覚と、裏打ちされた魔法体系。
若く鋭敏な感性と、円熟した深い知性。この文書が少女一人で書いたと考えたら頭が狂しくなりそうだが、その少女が魔王と共に過ごしていたと考えれば、なるほど納得だった。
少女の才気を、魔王が煥発らせた。
この『研究文書』は、術技を紐解き、魂と記憶と感情を復元することが目的で作られている。
だが、多くの研究資料という物が、『その研究』に辿り着く為に『別の研究』を下地に敷くのと同じで──『天才少女の研究文書』は、他にもある。
『術技戻法と術技吸収の関係理論値』。
『術技臨界点』『術技の領域値』。
『術技の成長率と進化の可否』。
文書を『ある盲目の人物』から受け取ったのは、半年前。
その人物から『他の厄介事』も押し付けられたが、それは仕方のないことと割り切った。
その研究文書に関しては──もうそのまま発表してしまえばいいという世界だった。
同時に──まだ発表は行わなくていいと判断した。
理論に穴がある可能性がある。もう一人の発明好きな『天才少女』にも確認する方が先だと言う判断。
そして。
まず、己が試してみたい。もし、『術技が成長』するなら。
経験、感情、記憶、魂。──十年を経て、その分の経験値が術技をさらに強くするとすれば。
役に立つかもしれなかった。
『天才少女』の研究には、まだ研究途中であるが敢えて名前を付けるなら、と注意書きの後に、記されていた。
その名前は、『進化術技』。
それが、彼の『目的』の為に、『役に立つ物』たちだった。
◇ ◇ ◇
先ほどまで臥せっていた男が雷の速度で去った病室で──。
焦げた赤茶の髪を持つ男、ナズクルは書類を一つ読み直していた。
「ヴィオレッタは紛れもなく天才だな。ルキ。お前の所の弟子に研究資料を渡したいんだが」
「……ナズクル。その研究資料はなんだ?」
問うのは、長い夜色の髪を有した車椅子の賢者。ルキ。
彼女は──少しだけ目を細くした。
「ん? ああ。部下が押収したモノだ。ヴィオレッタの研究資料だよ」
「……ほう。部下が」
「なんだ?」
「いつ、押収したんだ?」
ルキが問うと、ナズクルはその資料を机に置き、指を組んでから目を閉じた。
「いつだったか。あの魔王を探す作戦をした頃だから、『二ヶ月程』前か」
「……ナズクル。何故、嘘を吐く?」
「何?」
「私は、後から聞いた。サーカスの時だ。
その時のことを、確かにまだ報告していなかったな」
良かったよ。報告しなくて。とルキは言葉を続けて、ナズクルを見た。
「ヴィオレッタが『研究資料を盗まれた』と言っていたそうだ。
時系列を詳しく聞いていないが、その盗まれた研究成果で人造の人間が作られたそうだ。
人造の人間を作るのに準備や機材、人員も必要になるだろ?
雪禍領のことも繋がってるだろうから、3ヶ月以上前に持ち出された資料ということになる」
「ほう。ならヴィオレッタの盗まれた資料とは、別の資料だろうな。この資料は術技しか書かれていない」
「……もう嘘は止めにしないか? ──お前、何がしたいんだ?」
「随分と疑ってかかるな。仲間のことを」
「ああ。仲間だからな。……今の推理も詭弁に近い直感だ。
だがそれでも、確実に。お前が糸を引いているのは分かる」
「ほう。大した直感だな」
「お前は、この国の軍事の頂点と言ってもいい。
王国で上り詰めて、やろうと思えば国を動かせる地位がある。
何でも出来るだろ? それなのに」
「何でも出来るか。そうだな。そのつもりだった。
なのに、どうして、何にも出来ないんだろうな」
「何?」
「ルキ。お前は確か──ヴィオレッタから【屈服】を受けたことがあったな」
「それがどうした、ナズク──」
そして──ルキは『目』を押さえた。吐き気に似た感覚と、平衡感覚を失う眩暈──何より特徴的な『色彩の変化』。
「こ、れはっ」
葡萄酒色に染まり始める視界。まるでそれは、あの少女の。
「【偽感】」
ナズクルの一言に──ルキは頭を回転させ、距離を取る。
「っ──」
(何故だ。ナズクルの術技は『接触を発動条件とするタイプ』だった筈だ。ボクは触れられていない。のに、どうして。いや、それより、この感覚だ)
「【偽感】は、偽薬効果。お前に勘違いを起こさせる。
──対象者が過去に受けた状態異常を『思い出させる』」
銃弾で体を貫かれたことのある者は、その痛みと銃創を思い出す。
炎で焼かれたことのある者は、その火傷すらも体に思い出してしまう。
そして、術技で受けた状態異常なら、それもまた思い出せるだろう。
「ああっ……だが、克服条件も、知っているッ! どこまで行っても所詮、幻惑の魔法だっ! 痛みか、中和の魔法で簡単にッ」
「無駄だな」
ナズクルとルキの目が合った途端。
がくんっ、とルキの視界が一気に赤くなった。
「残念ながら、【偽感】の中身は変わらなかった。
だが、発動方法は大きく変わった。目で見た対象者に与えられる。
相手と目が合えば更に素早く発動出来るようだ。──ではルキ」
彼の武器は、手小銃。
ただ無骨な鉄のような、黒銀の銃を彼は持った。
葡萄酒色に染まった──胡乱な瞳をナズクルは見た。
「『ライヴェルグの元まで、転移させて貰おうか』」




