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【16】そして提案【52】



 ◇ ◇ ◇


 過剰収音聴覚、とでも言うべき異端性(ちから)が彼女は備わっている。

 それは、壁の向こうの声が聞こえたり、会話している相手の心臓の音が聞こえたり、地下を流れる水の音まで聞こえる。

 通常、このレベルの聴覚を持っていたら生活は困難になる。

 音が聞こえすぎて耳内器官が平衡感覚を失い、頭痛・吐き気・眩暈など様々な症状をもたらす。


 その特殊な聴力有していたことも、彼女が幼い頃に臥せっていた要因の一つであろう。

 そして、生まれてからずっとその『異端性』と過ごした結果、物心つく頃にはそれは『個性(ちから)』となっていた。

 無意識ではあるが、彼女の耳は収音に指向性を持つ。聞くべき音と聞こえない音を選択できる、と言った方が分かり易いかもしれない。


 ただ、彼女は優れた聴力で音を聞くだけだった。

 そこから、心音で相手がどう思っているか、理解するに至っている理由はただ一つ。今までの積み重ねだ。


 ()の音に、『()』と名前が付いていると知らなければ、()と答えられない。


 彼女の耳が心音で相手の心を聞き分けられるのは、『知っている音』だから。

 自分に向けられてきた憎悪や悪意の音を。敵意や羨望。無数の音を聞いて来たから。


 彼女──ヴィオレッタは長い緑色の髪を風に靡かせて、その場に立っていた。


 動けなかった理由は何個かあった。

 【屈服】が克服された。その理由が分からずに、錯乱した。

 戦闘中だというのに、急にジンがハルルに告白し、二人だけの世界に没入されたシュール感による虚脱。

 そして。




 ──少しずつ早くなって(ストリンジェンド)生き生きと鳴る(ヴィヴァーチェ)

 ──そして、波立ほどの熱い感情的(アパッシオナート)と思えば、優しい表情を前面に(エスプレッシーヴォ)




 二つの心音はそう移り変わり──今はまた違う心音を奏でていた。

 ヴィオレッタには、その心音が『どんな時にする音か』を知っていた。


 知っていた、ということは、聞いたことがある心音だった。

 聞いたことがない音だったら──彼女は立ち止まらなかった。



 その音はずっと聞いていた。

 甘美でひとなつっこく(ルスィンガンド)よりも、きっちりとしていて。

 砂糖のような甘さ(ドルチェ)よりかは、甘くなく。

 熱い愛情(アモローソ)程に、熱くない。



 そこに居て、ただ微笑み合える。彼女が求めていた笑顔。

 あの日も、あの日も。ずっと向けられていた心音。

 目の前にいる二人が、互いに向け合う音。それを、彼女はずっと──。






「もういい」





 ヴィオレッタは、そう呟いた。


「もう、ハルルとは関わらない。勝手にして。それで、私にもう関わらないで」


「んだよ。戦闘中に不謹慎だって怒ってんのか?」

 ジンはヴィオレッタを見据えた。ハルルは慌てて彼の腕の中から跳び出して、槍を拾っていた。

 だが、そんなコメディすらヴィオレッタは冷たく死んだような目で見送る。


「どうでもよくなった」

 ヴィオレッタはもう拳を握れなかった。

 起伏の無い感情が、暴れることも無く、ただ心に靄を張っていた。


「私は」 ──その心音を向けて貰っていた。姉たちから、ずっと。

 だから、目の前の二人を裂くことは、私に起こった悲劇を、私が与えると同じ事。

 幸せな──幸せな時間にしか流れない心音。落ち着いていて、深い愛に満ちた、そんな音を。

 この手で裂くことが、出来ない。


 私からは、奪ったくせに。けどもう。

 私は……。



(せんせー)。行こう」



 まるで──自身の術技(スキル)に掛かったような、胡乱な目でヴィオレッタはそう呟いた。

 地に伏して、血塗れの狼は、目だけでヴィオレッタを見た。


『……いいのか。ここで、取り返せば、まだ月閃の魔法は使えるぞ』

「いいよ。もう、いい。帰って、死ぬまで静かにしていたい。

どうせ、もう……惨たらしく、虫みたいに死ぬだけだから」


『……そうか。……だが。最後までは一緒にいる』

「死んだ後、私の身体使わないとだもんね。

ああ、それなら、もうこの後すぐにでも使っていいよ」

『……』

 抜け殻のようなヴィオレッタの隣に、狼は身体を無理に起き上がらせて寄り添った。

 ジンたちに背を向けて、ヴィオレッタは歩き出す。

 誰も声を上げられない。ジンも狼も。

 砂を踏む音だけが聞こえただけの音のない夜を。








「ちょっと待って欲しいんスけど」







 ハルルが手と声を上げた。


『ハルル。キミは帰りたがってた師匠の元に戻れる。

私たちはもう、そっとしておいて欲しい所だ』


「いえ、狼さん。貴方にじゃなくて、ヴィオレッタさんに話しかけてるんス」

『……彼女に、もうキミらと話すことは無いぞ』


「だとしても、私にはあるんスよ」

「おい、ハルル。どうしたんだよ」

「師匠……ここからは、その。ちょっと我儘ッス」

「は?」


「ヴィオレッタさんと、ずっと話をしたかったのに。

私が拉致されてる時、あの子はずっと無視し続けたんスもん」


 ヴィオレッタはため息交じりに振り返った。

「何。何の用なの」



「ヴィオレッタさん。私を助けてくれたのは本当なんスよね?」



「うん」

「その時、約束したのも、本当なんスよね? 記憶、全然ないんスけど!」

「……それは、うん。そうだよ」

「おい。ハルル。待て、お前妙な事を考えてるんじゃないだろうな?」

 ヴィオレッタの話曰く、事故に遭い死ぬ寸前のハルルに『助けてあげるからその後、私の為に実験材料として死ね』と約束を強要されたらしい。

 それはもう選択肢の無い恐喝に近い選択肢であり、選ぶ余地が無かったはずだ。

 それ故、それは不当だと、ジンはいう寸前だった。


「もちろん、自分の命は大切ッス。だから無料で渡す訳にはいかないッス」


 無料で渡す──。




「ヴィオレッタさん。私と一対一で決闘しましょう!」




「はぁ!?」『何?』

「……どういうこと?」


「いや、思うんス。不当な約束ではあれど、それを不当に反故にするのは違うんじゃないかなぁと。

不当とはいえ、私はその不当な約束に頷いた訳ッスからね。でもそちらにも非がある。

こういう場合、勇者ギルドの間では『折半』が筋ッス。

でも、私、半分だけ命を上げるなんて上手なことは出来ない。

となれば、50%の賭けをすべきかと思いまして」


 隣のハルルの言葉にジンは目を白黒させた。

「おい。だから決闘で」


「そうッス。私が勝ったら、私は自由。

でも貴方が勝ったら、私の命、好きに使っていい。どうッスか??」



  


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