【05】最後の確認だが、【02】
例えば、有名な話だ。
楽しい時間は早く過ぎ去るが、苦痛を伴う時間は遅く流れるという。
そう。時間は、状況に応じて変化する。つまり、相対的だ。
それを逆手に取ることが出来たとしたら。
思考を加速させれば、相対的に、現実で起きていることは遅滞する。
この極意を、『絶景』と呼ぶ。
「……なるほど。師匠の新しい詩ッスか?」
「あのなっ……」
かつてない真顔でハルルに言われ、俺は顔を赤くした。
『絶景』の修行の為、俺とハルルはルキの家の後ろ側、大滝の源泉へと向かっていた。
山登り。ハルルはきつそうだがいいトレーニングになるだろう。
「違う。ああ、もう。あれだ!
早い話が、達人同士の決闘だと、第三者から見てると凄いスピードの戦いだけど、
達人同士では、お互いの攻撃が止まって見えるっていう現象だ!」
曰く、達人の感覚。
「? わかんないッス!!」
もっとわかりやすく言うなら……。
「……『時間をスローモーションに出来る目』かな」
「おお! なるほど!」
頂上に辿り着く。ああ、絶景だ。ルキの家も小さく見える。
いい滝だ。水も清流、美しい。
「ひぃ、高いッスね。でも、なるほど、この景色はまさに絶景ッスね!」
「そうだな。綺麗だな。高さ112メートル、花迎の滝とこの辺りでは言われているそうだ」
下から風が吹く。ハルルは前髪が捲られ、ひぃ、と声を上げ手を握った。
「高所恐怖症じゃないッスけど、それでも怖いッスね」
「だろうな。流石に俺も怖い。ああ、そうだ。思い出した」
「? 何をッスか?」
「呼び方だ。『時間をスローモーションに出来る目』だが、呼び方、もう一つあるんだ」
「へぇー! それってなんス──」
とんっ。
優しく背中を押す。
「『走馬灯』、とも呼ぶ」
滝つぼへ、ハルルを突き落とした。
◆ ◆ ◆
「死ぬかと思ったッス!!!」
「ははは。まぁ生きてて良かったな」
ハルルを滝つぼに向かって突き落とした後、俺は、ハルルが水面に叩きつけられるよりも早く移動し、受け止めた。
勿論、あんな高さからから突き落としたのには意味がある。
「時間、ゆっくり感じたろ?」
死ぬ。そう直感した時に、人間は脳を全力で稼働させ、生き残る術を絞り出そうとするそうだ。
一説によると、その脳の超回転が、走馬灯の原理だと言われている。
「いや、感じましたけども! やり方、他にないもんスかね!?」
本気で怖かったッス!! と言いながら、俺の胸板辺りをぱしぱし殴ってくる。
「わ、悪かったよ。まぁ、でもこれで、ゆっくり流れる時間を体感したろ?」
「体感しましたけどもっ」
「それが大事なんだ。人間は不思議なものでな。一度、経験したことなら、再現しやすくなる」
俺も、初めて『絶景』を受け継ぐ時、断崖絶壁から海に叩き落とされた。
「後は、この感覚を戦闘でも用いるだけだ。
この技を完璧に習得することが出来れば、一対一の戦いで負けることは無いだろう」
「お、おおお!! 最強の技ッスね!?」
「いや。最強という訳でもない」
「へ?」
「まぁ、あくまで補助の技なんだよな。本質的には」
ハルルへ俺は説明をする。
『絶景』を習得しても、負けない、というだけだ、ということを。
そもそも、この技は、相手だけを遅くする技とは違う。
世界全体の速度をスローで見ることが出来る。
一対一の戦いなら、これほど有利な技もない。
だが、自分の動きもまたスローモーションだ。
俺の感覚では、世界中が一気に水没したような感覚である。
水の中で剣を振る。手を動かす。それすらも重くなる。
そういう感覚の中で、速く動く為には、専用の訓練が必要だ。
どういう訓練か。
それは勿論、速く動く訓練だ。
何より、『あらゆる方法』を使って早く動く、のが大切なのだ。
「あらゆる方法、ッスか?」
「そうだ。ただ、筋トレとかじゃ身につかない。こればかりは、『絶景』の感覚の中で体を慣らすしかない。ハルル。槍、ちゃんと持ってるな?」
「……え、ええ、持ってるッス」
俺は腰にある鋼鉄の剣の柄を触る。
これは、ルキが作った剣だ。
黒い靄の少女と戦っている最中に、ルキが自らの左脚の義足をこの剣に変換した。
この剣を義足に戻すことは、難しいらしい。
普通の脚を模しただけの義足なら作れるが、元々の高機能な義足には戻せないらしい。
『その剣、よければ貰ってくれよ』
ルキが微笑んでそう言ってくれた。
ありがたく受け取った。
まぁ、今、勇者法で俺は帯剣してはいけないので、使う機会はあまりないかもしれない。
だが、今日のような訓練では存分に使える。
「師匠、まさか、そのー、あれッスか。真剣勝負、的な」
「安心しろ。俺は、絶対にこの剣でお前に傷はつけないよ」
「そ、そうッスか! よかったッス!」
「寸止めにするし、当てない。ただ、俺の本気を少し相手してもらう」
「望むところッス!」
天真爛漫に微笑むハルル。
「ハルル。最後の確認だが、大丈夫だな?」
「え? な、何がッスか?」
「今まで模擬戦とかしてきたが、今からやるのは、割と本当の戦闘に近いレベルの模擬戦だ。
俺は細心の注意を払って戦うが、相当に怖い目に遭わせることにはなる。大丈夫か?」
ハルルは、少し間をおいてから、俺をまっすぐ見た。
「師匠。この訓練って私の為にやろう、って思ってくれたんスよね?」
「あ、ああ、そうだ」
躊躇いながら答えると、ハルルは、にやにやと笑った。どうした。
「師匠の優しさ、しっかり分かってるッス。ちょっと怖くても嫌いになったりしないッスよ?」
俺は、目を少し丸くしてしまった。
「……ばか。そんなこと、思ってもない」
と、言ったが、思っていた。
今から、俺は散々、ハルルを死地寸前まで追い込むことになる。
だから、それでハルルが壊れてしまったら、と嫌な想像をした。
だが。
「えへへ。そうでしたか! 何にしても、怖い目、大丈夫ッスよ、師匠!」
ハルルは、そう笑う。本当にいい奴だ。
真っ直ぐで、裏表なく、少しうるさく。
だから、失いたくないと思った。
その為に。俺は。
剣を抜き、軽く振ってから──ハルルへ向ける。
「よし。やるか」
「はいッス!!」
槍を構えて、ハルルは走り来る。
決して当てはしないが、それ以外は全て、本当の全力で。
ハルルに技を教える為に、模擬戦を始めた。




