【16】ジン VS フェンズヴェイ【47】
◇ ◇ ◇
勇者と魔王のどちらが強いのか。
結果だけ見れば、魔王は勇者ライヴェルグに討たれている。
だが、魔王は、この二百年──ライヴェルグが魔王を討伐するまでの間──、多くの勇者と対峙した。聖剣を持って乗り込んできた勇者たちを、魔王は片っ端から退けてきた。
勝負の勝敗を分かつ物は何か。
その問いに答えは幾つもあるが、一つの真理。
その答えの一つは『手札の多さ』だ。
手札とは、『選択肢』と言い換えられる。
相手より、どれほどの選択肢を持っていられるか。
そして、相手が切った行動に対して、有効な反撃の手段を有しているかどうか。
知識量こそ、勝敗を分かつ。
魔王フェンズヴェイ。彼は、幸運だった。
劣悪な環境に生まれながらも、魔法を得る術を持っていた。
結果、この世界にあるほぼ全ての魔法が使えると言っても過言ではない。
それだけではなく、近接戦闘も心得ている。剣も槍も、ひいては弓すらも扱いに長けている。
それ故、自負していた。
勇者に負けるはずがないと。
実際、ライヴェルグとの戦闘で敗北した際、持っている戦闘手段はもう残り僅かまで削られていた。
選択肢を削ってきたライヴェルグたち《雷の翼》の手腕を讃えつつも──正直に言ってしまえば魔王フェンズヴェイは思っていた。
一対一なら、負ける筈がない。負ける要素が欠片も無い。
それは、事実だった。
過去に戦って来た勇者たちより剣術は優れていた。歴代の中でも才気は頂点。力も最強。
だが──それでも魔王が優位である。
幾ら天才でも、最強でも──それは人間の領域内での話。
剣術の天才なら、剣術が通用しない次元での戦いにして殺す。
武力が最強なら、その最強の力が本領を発揮する前に殺す。
魔王の使える魔法は十万種を超え、扱える武器種も十数種類。
近接格闘も扱え、人間の武術にも通じ、暗殺術までも使える。
その算段が付いていた。
断言する。
勇者ライヴェルグVS魔王フェンズヴェイの戦闘ならば、魔王フェンズヴェイが勝つ。
一対一ならば簡単。
魔王の圧勝にて終了だ。
そう。
◇ ◇ ◇
(十年前の男相手なら圧勝だった、と断言できる)
白銀の氷の刃は── 一瞬で斬り砕かれる。
狼の右前足から肩に掛けて──真っ直ぐに血が噴き出た。
(同時に、十年後のこの男。こいつは──)
その男、ジンは、狼に出来た僅かな隙を見逃さない。
氷は砕けて光を反射する。その光はただの月の光を反射した刃の鈍光。
真っ直ぐに突き出されたその一刃は風のように素早い。
氷は水に変わり、水はひも状になって刀身に絡みついた──否、絡みつく前に斬り裂かれていた。
(──強い。強すぎるぞ、ジン……ッ!)
次の攻撃が来るのを考えるより早く、狼の前には鋼鉄の盾が生まれた。
無から生まれた訳じゃない。先ほど斬られ飛び散った血から鉄を集めて増幅させた。
だが──まるで豆腐でも裂くように、鉄の盾は斬り裂かれる。
丁寧に八等分にされた。
(思えば──十年前の男の剣は、『ただの重い塊』だったな)
刀身がぐにゃりと曲がって見えたのは、大剣の動きと思えない速度でジンが突きを行ったからだ。
刺突細剣の如き剣術は、正統王国の流派の技。
(随分と、今は『ずっしりとした重さ』のようじゃないか)
突きは狼の肩を割く。血が跳び出るが、それはすぐさま針となってジンに襲い掛かった。
速度は弾丸。防ぐ手段無し。顔面に向かって直進した。
瞬時、ジンは地面を踏んだ。振動は、まるで大砲が放たれたような揺れだった。地面に転がっていた石が空中に跳び上がる程に。
『的確に浮かび上がった小石』が、弾丸針を叩き落とす。
(……何処までが計算だ? いや、何にしても今のはもう、人間技ではないだろっ)
狼は内心で驚嘆しながらも、予備動作無しで空中から真空の刃を振り下ろす。
不可視の刃はギロチンのように滑り落ちる。だが、音が五月蠅すぎた。
ジンは身体を空中で捻り、今度は蹴りで不可視の刃を蹴り砕く。
(十年前の男は、『重責』と『使命』を背負って戦う真面目な少年だった。
純朴ゆえに、その背負ったモノに圧し潰されていた。
そこから溢れ出てくる『死』と『恐怖』が、そのまま力になっていた)
狼は牙を剥ける。剣に食らい付いた。ジンは一瞬で理解する。(──牙の音が軽い。魔王が作った精巧な囮だな)
ジンは即断。背後に左拳を放つ。
(だが、この男──ジンからは、まったく別──)
拳が『背景と同化した靄に包まれた本体』を捕らえたと同時──剣に食らい付いた狼の幻影が爆散する。
だが、その炎に一切動じず、ジンは左拳を握り込んだ。
裂絞音。限界まで引き絞られたワイヤーが千切れるような、ブチブチという音が大音量で響いた。
それが、その握り込まれた拳の音だと気づくより早く、狼は一歩後ろに跳び下がっていた。
左拳が叩き付けられ──耳鳴りがするほどの爆裂が起きた。
木々の鳥たちが慌てて飛び立つほどの振動。墓石が崩れ、埋まっていた石柱が少し顔を出してしまう。
今のは、ただの拳の一撃。魔力反応こそ少しあれど、魔法的反応一切なし。
人間一人が埋まる程の深さの大穴──中は砂が溶けて燃え立つ。まるで溶岩のように見えた。
火の中で、ジンは至る所が断裂し血を吹き出す左腕を握り直す。
パチパチと青い雷が走り、傷が少しだけ塞がるが──まだ血が零れている。
(今の彼は──強い。十年前と比べ物にならない)
熱気。ジンの身体から発せられている熱。
それは実際の熱でもあるが、比喩的な意味の方が強かった。
ジンの身体がブレて見えた。それは、音がしない移動法。
一気に、狼との距離を詰め、逆袈裟斬りが放たれた。
それを狼は右前脚で防いだ。『石化した爪』と化した腕で一撃を食い止める。
狼は、その一撃と、ジンの目を見て──熱を感じていた。
『十年前は』
「あ?」
『お前の剣からは『責任』しか聞こえてこなかった』
「当然だろ。勇者として、責任があったんだからな。というか、今も責任は背負ってる」
『それもあるかもしれないが、言いたいことはそうじゃない』
「アァ?」
キンッ──と澄み渡った音で剣と石化爪が弾きあう。
『昔は、殺戮することしか考えていない、冷徹でありながら空ろ。伽藍な勇者だと感じていた』
「酷いな」
『今のお前からは『熱』を感じる。感情を感じるよ』
「感情に流されて弱くなったって言いたいのか?」
『強弱は、分からん。だが』
「?」
『今のお前は、格段に、戦い辛い』
「褒め言葉として受け取るよ」
『ああ。褒めている。……──本当に、若い子らの成長は早すぎるな』
狼の全身の毛が逆立ち──燃焼し凍結する。燃え立つ炎、それを閉じ込めた氷の鎧。
『──燃え立つ氷山』
その鎧の名前か、魔法の名称か。
少なくとも、並の技じゃない魔王の技を見て、ジンはすぐに直感する。
(次の攻防で、決まる、か)
ジンは大剣を両手で構えた。
それは奇しくも剣の道の正しい型の如く構え。
「天裂流。八眺絶景──……」
吼えた狼。走る獅子。
狂い咲く氷と炎の花。
踏み拉く剣を持った獅子。
全方位。空中地面上下左右。
炎と氷が一度に襲い来る風景はこの世界の物ではない。
火が舞う、水氷の世界。
獅子の身体は斬り裂かれ、燃える。
炎と氷の世界を抜けた先──獅子は何かを叫びながら目の前の狼を見た。
──空中に跳び出しながら──相対する、狼と獅子。
狼の後ろ脚が膨れあがり──破裂するように跳ぶ。獅子に目掛けて。
そして、獅子は両手で構えた大剣を大きく振り上げる。
八種の特殊絶景剣技。その一つ。
『突衝ッ』 「銀世界」
二人は、地面に同時に立った。
ジンの腹部には氷の角が突き刺さり、狼はその鎧の形を維持したまま。
そして──ジンは膝を付く。
『……いや。見事、だな』
狼の鎧が砕け散る。
そして、胴と頭、そして両方の前足から──血がどぷっと溢れた。




