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【16】鮮烈な黒【35】


 ◆ ◆ ◆


 ──魔王が討伐されるより、前。

 ヴィオレッタという少女がまだ『□□□』という名前の時。まだ少女が6歳くらいの時の話。


 小さな村の、小さな家。古びた家の窓は少し割れている。

 古くて小さなベッドの上に、緑色の髪の少女は横になっている。

 窓の外を、雲の向こう側を見ながら、少女は言葉を続ける。


「──そして、空と星を動かすような大気の魔法を操ったのが、万術の賢者ルキ。

そして、鮮やかな剣裁きを見せたのが、獅子の仮面の勇者、ライヴェルグ」


 少女は、楽しそうに独り言を続けた。

 誰に聞かせる訳でもない。ただ自分の口から自分の耳に届ける物語。

 少女の、その日の体調は悪い方で、身体一つ向きを変えるだけで全身が痛んだ。

 だからずっと窓の外を向いた位置で身体を固定していた。


「本当にその英雄譚が好きなのね」


 その人は、紫水晶(アメシスト)の色した長い髪を一つに結った女性。

 とても穏やかに微笑む彼女は、少女の姉の一人だ。


「小姉ちゃん! あれ、今日の仕事は?」

「ふふ、もう終わったよ。それよりね、今日は素敵なお話があるよ」


 小姉ちゃんと呼ばれる彼女がそう言って笑い──合わせて、古い家の床が少し軋む。


「! 大姉ちゃん!」


「はは! 本当に耳がいいね! おっと、立ち上がらなくていいよ!」

 少女よりも鮮やかな緑色の長髪の女性。白い軽鎧(よろい)を身に纏ったその女性は、にこりと微笑む。

 彼女の名前はサシャラ。魔王討伐隊の一員の槍使い──騎士である。


 ベッドの上に居る少女をサシャラはぎゅっと抱き締めた。

 少女は溶けそうな笑顔を浮かべて、サシャラを抱き締め返す。


「今日は泊まってくの!?」

「ああ。そうする予定だよ! 珍しい食材も手に入れたんだ。今日はそれでご飯を作ろう!」

 サシャラは少女の頬を撫でてから、ベッドに腰掛ける。


「さ。じゃあ、魔王討伐の旅の話をしようかな。今回は凄いよ。なんてったって四翼の一人を倒した話さ! まだ新聞にも載ってないようなね!」


 サシャラが家に戻ってくるのは、数ヵ月に一度だけ。

 だけど少女は、大姉ちゃんこと、サシャラが大好きだった。


 手紙は毎週欠かさずに届いた。

 そして、その手紙を小姉ちゃんは毎回、楽しく物語のように読み上げてくれる。

 だから、少女はサシャラを常に近くに感じていた。だけども、やっぱり直接会うのはたまらなく幸せだった。


 その日は、少女にとって本当に幸せな一日だった。

 大好きなお姉ちゃん二人に囲まれて、食べたことない茸料理を食べて。

 その日の夜は、二階にある大ベッドの方で寝た。姉妹三人で仲良く一つのベッドで寝た。

 寝物語にサシャラが冒険の話を聞かせる。そして、少女を抱き締めるサシャラと小姉ちゃんの二人の姉の温もりに、少女は体の痛みも忘れていた。


 だから翌日、寂しくなってしまった。

 サシャラに行ってほしくなくて、少女は彼女を困らせた。


 もう一日だけ居て欲しい。出来るならずっと居て欲しい。

 我儘を言っているのは少女も分かっていた。


 少女はサシャラに酷い言葉を投げつけた。

 それでも、サシャラは怒らなかった。優しく、ごめんね、と言ってから、戦いに戻った。


 少女がもう少しだけ、大人になっていたら気付けたのかもしれない。

 魔王討伐隊、つまり、『最前線』の人間が戦線を長く外れられない。一日の休みすら、相当に無理をして作ってくれたという事実にも。

 何より、その任務の危険度も。

 これが最後になるかもしれない。常に、そういうリスクを背負った戦いの場にいる。



 事実──その一週間後に戦争は終わる。



 終戦。つまり、魔王討伐。

 その時──サシャラは、死んだ。



 終戦から三日後。王国の王家直属の騎士が訪れた。

 そして、サシャラの死と、少女の兄の死を告げた。



 ──小姉ちゃんは、私を抱き締めて泣いていた。

 だから、私も抱き締め返して、泣いた。


 なんで、最後に笑顔で送り出せなかったんだろう。

 あんなこと言ったんだろう。

 私は、いい子じゃなかった。なんで。お姉ちゃんに、また、会いたいだけなのに。


 だけど。そう暗く落ち込んでいく私に、小姉ちゃんは「大丈夫大丈夫」と繰り返し言った。

 二人で、生きて行こう。どうにかして、生きて行こう。

 小姉ちゃんは優しく、そして強く、そう言った。


 だけど、その直後から……私の身体は壊れていった。

 病気が、悪化した。


 咳が止まらなくなり、血も吐くようになった。

 頭痛も多くなって、身体を動かす度に全身に痛みが走るようになった。


 薬代は嵩んでいった。


 もう、死にたい。


 お金も使って、こんなに痛みを長引かせたくない。

 それなら、もう、大姉ちゃんとお兄ちゃんに会いたい。だから。


 そう弱音を吐いた時、初めて小姉ちゃんが私の頬を叩いた。

 人生で初めて、あの人が怒った所を見た。

 泣きながら。小姉ちゃんは言った。

「それでも。……それでも、一緒に。笑って、生きようよ」


 治療生活が続いた。

 高熱にうなされた時も、手を握ってくれた。


「大丈夫、大丈夫。お姉ちゃんが付いているからね」

「辛くても。ずっとずっと、笑って喋ろうね」

 この病気が治せるものじゃないということ──分かってた。

 お医者様との会話、聞こえてたから。


 私の耳は、異常に良いから。

 でも、聞こえてしまって。怖くて仕方ないけど。

 動揺したような姿を見せちゃいけないとも思った。


 私たち、残された姉妹に対して、村の人は優しかった。

 ある時を境に、見舞いの人間が増えていた。

 小姉ちゃんの職場の同僚や村の若い男の人たちもよく来るようになって。


『可哀想に』『そういう運命』『親が病気を持ってた』『大丈夫でしょ、若いんだし』

『俺は若いうちに死にたい』『最後くらいは好きなものを食べればいい』

 どれもこれも、嫌な言葉だったけど。


 今、病気で辛いのに。病人(わたし)の目の前で、よくそんな想像力の無いことを。心が無いようなことを言える。


 でも……体も本当に動かなくて。薬は高価だし治癒術師の人たちは戦争で被害が大きかった西側に行ってしまっていて、呼ぶのも高額になるらしい。

 お見舞いに来てくれるのも優しさなんだ、と小姉ちゃんが笑うから、私も作り笑いを浮かべるようにしていた。


 小姉ちゃんが、微笑んでくれる。気にしちゃだめだから。いっぱい、笑って話そう、って。

 ありがとう。そう思いながら手を握った。

 一緒に笑って生きよう。小姉ちゃんの言葉を胸に。生きれる限り、精一杯を。

 そんな生活を何ヶ月かしたある日。





 ──その日の夜、村の女たちが家に来た。





 聞いたことのない怒声を上げながら。


「大丈夫だから、話し合ってくる、だけだから。絶対に、部屋から出ないでね」


 その言葉は、震えていて。どうしてそんな声を出すのか、理解出来なかった。

 だけど、言いつけを守って部屋にいた。


 家の外で。異常な聴覚だから、私は聞こえた。


『身寄りが無いから優しくしていたのに、汚らわしいっ。娼婦の真似事なんかして!』

『うちの旦那を誘惑した』『(しょ)の中にある姦淫』『神は許さない』


 断片的な言葉を繋いで、幼心でも理解していた。

 小姉ちゃんは私の薬の為に、体を売っていたんだって。


 でも、私は何も出来なかった。

 怖くて、怖くて、どうすればいいか、分からなかった。


 罵声が終わるまで、布団に包まって、朝の鳥の声がした。


 姉は、家に居なかった。

 その日の昼過ぎに村長のお婆さんが来て、私に告げた。

 小姉ちゃんが、行方不明になった。

 そして、その日の夜。



 小姉ちゃんは、冷たい井戸の底で見つかった。



 腹の底から燃え上がる質量のある炎のような感情。

 爪先から燃える、足、腰、腹、肺、上がって来た炎。

 衝動。




 才能。私には、魔法の才能があった。それも突出した才能が。




 制御しきれない衝動(まりょく)が、炎となってシーツを焼いた。

 カーテンを伝い、ベッドを焼き、天井を崩す。

 炎はまるで血を探して彷徨う吸血ヒル(ブラド・リーチ)のように飛び火して、村を焼いていく。

 一人も逃がさない。誰も逃がさない。

 叫び声にも、命乞いにも、耳を貸さない。

 衝動。



 全員、殺してやる。



 燃え盛る村に背を向けて。


 誰も踏みしめていない雪の中へ、私は歩いた。

 背中に小姉ちゃんを背負って。


 体は痛かった。口の中には血の味しかなかった。

 肺が叫んでた。私も叫んでいたかもしれない。


 でも、私は進んでいた。

 どうせ、この病は治らない。どうせ、もうすぐ死ぬんだ。


 だから、せめて。

 

 大姉ちゃんと、お兄ちゃんが眠ってる、あの丘で。

 家族、揃って。全員で。


 そして、雪の中。



 激痛で、血塗れで、不治の病で。

 家族も全員失った。


 違う。奪われたんだ。


 

 返せ。

 私から、不条理に奪ったものを、全て返せ。



 戦争だったから仕方ないとか、尊い犠牲とか。

 もうどうだっていい。




 返してくれれば、それでいい。




 だから。

 お姉ちゃんたちを、返して。





 ──そして、私の前に、黒銀の毛並みを持つ狼が現れた。




 ◆ ◆ ◆



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