【16】9時45分【20】
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王国という国の首都である王都は、小高い丘に作られた。
そのなだらかな丘の一番高い場所に、王城がある。
城は王都のどの地区から見上げても見える程大きい。
そして、王城の門から真っ直ぐに丘を下れば、城下町がある。
風光明媚な白晶の石畳みと、白い煉瓦の町並みが並ぶ。
王城、時計台、大きなギルドハウス。
どこか交易都市と似ているのは、交易都市がこの町並みを真似て作られた都市だからである。
そして、城下町の中央には『英雄の広場』と呼ばれる噴水のある広場がある。
その噴水には彫刻が飾られている。
その彫刻は、この国で最も有名な彫刻だ。二百年以上昔の『勇者と魔王の戦い』をモチーフにした彫刻である。
いかにも勇者といった見た目の筋骨隆々の男は身の丈の倍はある聖剣を振るい、いかにも魔王といった見た目の餓者髑髏の男は暗い炎を操る。
戦いの彫刻を一目見ようと観光客は多い。ただ、観光客以外の人の姿もある。
そう、この噴水は待ち合わせの場所としても有名である。
王都での待ち合わせは、ここか時計台か、であろう。
噴水越しに時計台も見えて一石二鳥。
とはいえ、昨今の『待つ人』は誰もが自分の懐中時計を見ている。
慌てて走ってくる誰かを見つけて色々な顔をする。笑ったり怒ったり。
そんな『待つ人』の一人は、時計台を見上げる。
(師匠、そろそろ来ますかね)
ハルルは小さく胸を高鳴らせながら、待っていた。
時計台の針が、がこん、と動いた。
時刻は、9時58分。
(師匠のことッスから15分前くらいに来てそうなものッスけど……いないッスね)
きょろきょろと見回すがそれらしい人はいない。
ハルルは少し下を向いてもじもじっと身体を動かした。
何度目かの服装の確認をして、それから手荷物を確認する。
(大丈夫ッスかね。師匠……。師匠って『持ってる』人ッスからねぇ)
ハルルはジンの顔を浮かべてこっそりと笑う。
(来る途中で道に迷ったお婆ちゃんとか助けてたりしそうッスね)
だとしたら、遅刻した時、どんな顔をしてくるだろう。
その焦ったような顔を想像して、またちょっとだけはにかんでしまう。
鐘が鳴った。
王国では朝の鐘の6時から、夕刻の鐘の16時まで、2時間置きに鐘が鳴る。
だからこの鐘は10時の鐘。
合わせて、ハルルは時計台を見た──その時。
──雷のような光が空に迸る。
落雷。誰かが、キャッ! と声を上げる程の眩さ。
その雷をハルルは知っていた。
だから、その光の線の先をすぐに見た。
噴水の前。
少し煤汚れたシャツに、焦った顔で周りを見回すジン。
彼は、やばい、と呟きながら銀の懐中時計を見ていた。
だから、ハルルは、にへらと笑い、ジンに向かって走った。
「師匠っ! おはようございます!」
声に気付いたジンはハルルを見た。
「ハルル、おは──よ」
そして、目を見開いてちょっと驚いて声が出なかった。
白いレースのワンピース。裾は生地に馴染んだ桜色。
ツバの広い麦わら帽子を被って、太陽みたいに微笑むハルル。
彼女の微笑みで、世界の時間が止まったようだった。
「えへへ。変、ッスかね?」
ハルルはもう一度にへらと微笑んだ。
そして、一番の変化は、髪。その色。
「ちょっと、染めたのか」
「え、えへへ。そう、ッス! 毛先だけちょこっと、ッス!」
その白いふわふわした髪の毛先だけ、僅かに桃色に染められていた。
動く度に良く揺れて、まるで羽のようにも飛べそうだ。
少し照れたようにハルルは目を伏せていた。
「王都で流行してるらしくて! あ、何か薬液一発で色が落ちるらしく!
髪も白いと染めやすいらしくて! 綺麗に色が出たと、美容師のお姉さんも言ってくれて!
えっと……その。に、似合わないッスかね?? 変、でしょうか……?」
「いや。その。違うんだ。そのさ」
「??」
ジンは──頬を少し赤くして、目を背けた。
「似合う。よ。よく、似合ってる。から」
「え、えへへ。……よかったッス! その言葉、聞きたかったんで」
ハルルの笑顔に、ジンは目を背けたままだった。
「悪かったな。その。遅刻。ちょっと、色々あって」
「? 気にしてないッスよ」
「いや。俺から誘っておいて……時間ギリギリってのがな」
ジンが苦く言うと──ハルルは笑う。
「師匠、時計見せて欲しいッス」
「ん? ああ。いいが──どうしたんだ?」
ジンが懐中時計を渡すと、ハルルはキリキリとゼンマイを回した。
「ほら。今はまだ9時45分ッスよ! 15分前集合、完遂ッスね!」
「……ハルル」
「えへへ!」
天真爛漫に笑ったハルルに、少し明るい声でジンは言った。
彼女の優しさに対して、心を込めて、優しい目を向けながら言葉を続けた。
「時計はきっちり時間合わせないと使い勝手悪いから、元に戻すぞ」
「およよよ」
それから、二人は目を見合わせてから、笑い合った。
「そうだ。朝飯から行こうか」
「あ、どこ行きます?」
「パンケーキ。お前、ちょっと前に行ってみたいって言ってたろ」
「! よく覚えてたッスね!」
「まぁ。その。なんだ。お前のリクエストは珍しいからな」
「えへへ。じゃぁ今日はいっぱいリクエストしちゃいましょうか~」
「ああ。いいぞ。元よりそのつもりだからな」
ジンが歩き出し、その隣をハルルが行く。
──『理由があったら仕方ない』。
王都の城下町といえば、人通りが多いんだ。仕方がない。
こんな所で迷子になったら、大変だから、仕方がない。
だから。
「ん」
ジンはハルルを見ずに、手を伸ばした。
精一杯。それ以上、言葉が詰まって出せなかったから。
「……はい、ッス」
ハルルはその手を握った。柔らかい指で、固く、強く。
それだけで、ジンは照れ臭くて、どうしようもなく落ち着かない変な笑顔になってしまっていた。
ジンのその少し嬉しそうな顔をハルルは見て、同じように嬉しそうに笑った。




