【16】ジンのこと【16】
そして、ヴィオレッタの握り締めた拳は戦々と震えた。
身体が燃えるような感覚と、平衡感覚が無くなるような感情。
何を運命として呪えばいいのかも分からない。
混乱の中で膨れ上がった言葉の数々が、抑えきれない濁流のようにヴィオレッタの中で渦巻いていて、何とか呼吸をしようと荒く息を続けた。
握った拳から、血が零れた。
──必要な質問を全て終えたヴィオレッタは、ただ沈黙していた。
「結局……全部全部──」
ヴィオレッタは唇を噛み、ガーはただ混乱するだけだった。
ただ、その後、彼女は天を仰ぐ。
ふぅ、と息を吐いてから、くすくすといつもの調子に笑って見せた。
混乱し狼狽えたガーを余所目に、狼姿の魔王はヴィオレッタに近づいた。
「……やることは、変わらないよ。結局、ハルルを、捕まえる。
交易都市にいるって。場所も、誰と居るかも、全部聞いたよ」
狼と目を合わせずに彼女は言った。
『そうか。ハルルの居場所が分かったか』
「うん。ジン──のことも、分かった」
『そうか』
「後は──この人を」
ヴィオレッタはルキを見る。
石畳に座り込み、葡萄酒色に染まった胡乱な目をしている。
ヴィオレッタの【屈服】による洗脳か催眠のような状態。
彼女が口を動かそうとした時。
「ダメなのだっ! お師匠様から、離れるのだっ!!」
「レッタちゃん!!」
ガーが声を上げるが、ヴィオレッタは動かない。
正面から──顔程の大きさの鉄球。大砲の弾だ。
ただヴィオレッタは分かっていた。爆発する弾ではなく、ただの鋼鉄の弾。
靄を纏った腕で、弾を止めた。
握り──砕け散る。
大筒を放ったのは、焦げた茶髪の女の子だ。
ヴィオレッタと同い年の、ポムッハという女の子は、見た目にそぐわない大筒を投げ捨てて──走った。
ヴィオレッタは、ただ何もせずに、見ていた。
ポムッハがルキを抱き締めて、ヴィオレッタを睨む。
「お師匠様に、酷いことはさせないのだっ!」
震える声だった。
「絶対にっ……! 絶対にっ!」
「私と、戦うの?」
「そ、そうなのだ」
「……勝てるの?」
「か、勝てないかもしれないけど、ポムは、お師匠様を絶対に守るのだっ!」
涙目で、それでも鋭く強い目で、ヴィオレッタを睨んでいた。
その言葉に、ヴィオレッタは退かなかった。
「れ、レッタちゃん」 ガーが呟くとヴィオレッタは優しい目を向けた。
「……大丈夫。もうこの人には、用はないから。ポムちゃんも」
そして、二人を今一度見る。
ヴィオレッタの目は葡萄酒色に色づく。術技発動時の、目の色だ。
──ヴィオレッタ相手に、敗北を認めた相手は。
「……『終戦記念祭が終わるまで、二人は私たちのことを忘れて。
それから、私たちには関わらずに、記念祭でも楽しんで過ごして』」
──その命令には、従わなければならない。
そこからは、ポムッハはルキの肩を抱いて、車椅子に運んで、何事も無かったような顔で家に戻って行く。
二人の背中を見送って、ヴィオレッタは──無表情だった。
「……私は、間違ってない。絶対に、間違ってない。
約束と、権利がある。私には」
『とても、戦って勝ったとは思えない顔だな』
「……それは、そうだよ。ねぇ、師」
『なんだ?』
「知ってたの?」
『何が?』
「ジンのこと」
狼は沈黙し、その隣に居るガーが首を傾げた。
「ジンって、あの便利屋の??」
「そ。なんだかいつも遭遇しちゃう、あの男の人」
『……ジンか。……それは──目的と、関係ないこと、だろ』
狼は言い放った。
「そっか」
『ああ』
そして、ヴィオレッタは狼の前に屈み、その頬を撫でる。
「……くすくす。嘘吐きな人」
『魔王だからな』
「そっか。じゃぁ、仕方ないね……ん? ガーちゃんは何してるの?」
狼の隣に座り込んで頬を突き出していた。
「な、流れで撫でて貰おうかと」
『変態度が増したな』
「犬度が増してる人よりかはマシなパラメータかと思いますけどね!」
「くすくす。撫でるくらいはいつだってしてあげるよー」
ガーの頬を撫でて、ヴィオレッタはくすくす笑う。
「──じゃぁ、行こっか。師、ガーちゃん。
皆、起こさなきゃね。
それに、交易都市に行く前に……済ませたいから」
その目には、願いか祈りか、それとも覚悟か。
真っ直ぐに灯った光を手繰る様に、ヴィオレッタはまだ日の昇らない東の空を見た。
いつの間にか雨が弱くなっていた。夜の闇を映した鉛色の空にはまだ分厚い雲が掛かり、星も月も無い。
目的の場所まで、もうすぐだった。




