【15】おまもり【38】
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鴉の嘴のような曲線を持った光沢のある黒い刃の大鎌を、ヴィオレッタは夜の月に向かって放り投げた。
彼女の大鎌は、彼女の術技によって作りだされたものだ。それ故、まるで煙草の煙のように、大鎌は靄になって消滅する。
彼女の靄を生み出す術技は靄舞という。
自らの血を黒い靄へと変える術技。靄は、魔法で形状や特性を変化させる。
炎の魔法を与えれば、燃える。変形の魔法で自由な形を形成できる。
だから、彼女は術技を解除した後、必ず少しだけ目が眩む。
明確な隙であるからこそ、誰にも伝えていない。
少し揺れる世界の中で、ヴィオレッタは半人形の少女を見た。
上下二分割にしたその少女。その両腕は糸の切れた人形のように、生気も動く気配も無い。
切り拓かれた胴には人工の青い臓器が詰まっていた。
そして、切断された青い臓器から血の代わりに薄緑色の液体が零れている。よく見れば中に白っぽい粉塊のような物がある。
──魔力補給液。と、固形のあれは、固形神経だね。
魔力補給液は人造で作られた生命の血の代用。そして白い粉は固形の神経。
人工の身体を動かす為には、魔力に反応する人工の神経が必須だ。
これは、身体を自由に動かす為に、魔力補給液と一緒に使用しているとヴィオレッタは推測した。
ヴィオレッタは『半人形の少女』に近づき──膝を付く。
「痛かった? 貴方の今の身体なら致命傷ではないと思うんだけど。
……謝らないよ。襲って来たのは貴方だから」
スヴィクは声を発せない。
ヴィオレッタはその姿を見て、細い指でスヴィクの頬を撫でる。
「今から少し痛いから。暴れてもいいけど、面倒になったら首を落として殺すよ?」
そしてヴィオレッタは液体の零れる断面の中に、手を入れた。
「っ!!! ぅ!!!」
声にならない悲鳴を上げて、少女は身体を捩る。
「れ、レッタちゃん!?」
彼女の後ろにいた混血の名無しの男は慌てて駆け寄って来た。
人の姿で、皮膚は怪刻のように黒く少し硬い。人の目の色ではない黄金の目で、『ガーちゃん』はヴィオレッタを見て、立ち止まる。
(真剣な目だ。レッタちゃんは、少女を殺そうとしていない?)
ガーちゃんが内心で呟いた直後──ヴィオレッタは何かを引きずり出す。
それは、無骨な鉄の塊だった。手に乗るサイズの長方形の箱であった。
人体に詳しくない人間でも分かる。それは人間の体の構築に必要のない物だということは。
人造の人間には必要なのかもしれないと考えたが、すぐにガーちゃんは異質なことに気付く。
それには管も何もついていない。外した形跡もない。
つまり『体に埋め込まれていた何か』ということだ。
「……な、何だ、それ」
「爆弾だよ。もちろん、比喩的な意味じゃない」
「なっ! それじゃ」
「不愉快だよね。あ、まだ動かないでね。身体の中にまだ後2つ入ってるから」
「れ、レッタちゃん。そしたら。爆弾が体に入ってるって、それならこの子は」
「うん。そうなるね。ずっと体の中で変な音がしてたから……この子は最初から──」
「……違う」
言葉を発したのはスヴィクだった。
震え、痛みを堪えた声で。
「恋様っ……恋様は……ッ!」
手が、動いた。
「そんな、こと、しないっ!!」
咆哮だった。それは、野生動物が死の間際に出すような、高い声の咆哮だった。
「レッタちゃん、危なっ」
煉瓦が砕けるような、軋み破損するビキビキといった音が鳴る。
彼女は右腕を力の限り振り回した。
ガーちゃんは、考えるより早くヴィオレッタを抱きしめた。
ガーちゃんの顎を裏拳が叩き、「ぶぇえ」という間抜けた声を上げた。
「こ、恋様は……歩けない、私に、足を。死ぬ、だけの身体に。身体を。くれた」
その声も、まるで擦り切れた録音のように荒く途切れ途切れになっていた。
ガーちゃんは、ヴィオレッタを強く抱き締めた。
「貴方は、洗脳されてるだけだよ。これは間違いなく爆弾で貴方は──」
「違うッ!!」
半人形の少女は、崩れていた。
顔から、外殻がぼろぼろと落ちて。それでも、その水晶のような目だけは光る。
「恋様、は悪く言われては、いけない。恋様はっ……そう……ッ!」
目標を見ていた。最後の力を振り絞って。
最後に『与えられた命令を完遂する』というその意志で。
スヴィクの身体は、人形だ。ただの人形ではなく、重さがほとんどなく、まるで羽毛のように軽い。
だからその手の力だけで──ヴィオレッタたちを跳び越えた。
──そうだ。分かった。これは『優しさ』なんだ。
──恋様は、きっと、もし負けた時にでも、命令を果たせるように、忍ばせてくれたんだ。
──子供が初めてのお使いをする時に、親はおまもりを渡すよね。
──それは、お財布を落としてしまった時の為の保険。おまもりを開けたら、お金が忍ばせてある。そういう類の。だから。ああ。
「ハッチっ、オスちゃんッ!!」
ガーちゃんは、叫んだ。
そして、ヴィオレッタがその光景を見られないように、顔を自分の胴で塞ぐように、抱き締めた。
それは、何故そうしたのか、ガーちゃんにも分からなかった。
冷静になってからこの行動を思い返した時、ガーちゃんは『レッタちゃんの心の傷になってしまう気がしたから』と答えるだろう。
副団長の隣に立っていた二人は、ガーの叫び声に気付いた。
その一瞬で、筋肉魔女男のヴァネシオスはハッチと近くに居た団長を抱えて跳べた。
拘束された副団長に──半人形の少女は両手を広げて向かう。
──ああ。恋様。貴方は、本当に、優し
その爆発は、まるで悲鳴だった。
暗く出口のない甲高く悲痛な音と、爆風の熱だけがその場に残った。




