【15】未完成な失敗作【37】
◇ ◇ ◇
それは、ありふれた話だ。
十年程前までこの世界は、人間と魔族で大きな戦争を行っていた。
勇者と呼ばれる少数精鋭が突破口を開き、まさに『勇者的な活躍』で戦場を駆け抜けていった──その脇の話。
『勇者が訪れなかった』幾つかの戦場は、戦線を維持したまま膠着状態が続いていた。
文字通りの膠着だ。
魔族は人間の十倍も力があるとしても、人間は魔族の十倍の人数があった。
歴史上、悲惨な戦闘の記録は何ヶ所かあるが、北側にある『黒岩礁島』もその一つである。
この島は、魔王国と王国にとって、地理的に可能なら確保したい島であった。
漁村が多くちょっとした港がある。人間の住まう村が十程ある面積。
王国としては、ここを補給の拠点に海路を拓ける魔王国への侵攻の要所。王国本土からは、島を2・3経由しなければならないが、守りたい場所である。
魔王国としては、王国領土侵攻における足掛かりの一つとなる。魔王国本土からは、島を3・4経由しなければならないが、落としたい場所である。
結果、戦争の中期~後期にかけて、両陣営の戦力の一部はそこで激突した。
この『黒岩礁島』の戦いは──人魔戦争の中でも民間人の死傷者が異常なまでに多い。
何故、民間人が残ったのか。
戦時法に従い、魔王軍はその島に避難勧告も出していたし、投降命令も出した。だが、王国軍はその時既に王国方面の港を徴収し切っており、民間人は逃げる船が殆ど残っていなかった。
その結果、島民の9割を残したままの開戦が行われてしまった。
血水泥の殺し合いの裏で、民間人たちも地獄の生活をしていた。
元から岩山が多い島であったから、洞窟が多かった。
その洞窟に隠れ、爆撃に怯えながら怪我した細い体を寄せ合って生きる日々。物資が無く、手当も治療も出来ない。
朝になれば砲声。昼になれば怒号。夜になれば悲鳴。
終戦の日まで、この島は、どちらの勢力にも傾かなかった。
つまり、その日まで、およそ200日間、ここは殺し合いが続いていた。
よくある話だ。
戦争が終わり、残った島民は元居た島民の1割にも満たない。
生き残った者の中には、衛生環境が悪い中で怪我をした為に重篤な症状が残った者も多い。そして免疫力の無い子供の死者は、数えきれない程に多い。
だから、喜ばしいことではあった。──両手両足が腐り落ちてしまったとしても、声が発せなかったとしても、一命を取り留めたのだから。
まだ7歳のその子供は、四肢と声を失いながらも生きた。
そして、十年近く、少女は設備の整った病院で療養していた。
暗い──暗い夜の海を泳ぐような、終わりも無ければ、行く宛ても無い生活の中で。
その少女の元に、一人の男が訊ねてきた。
『動けるようになりたくはないかい?』
『自分は、人体実験を行っている。成功すれば動ける身体が手に入るかもしれない。失敗したら』
失敗してもいい。
少女は出せる限界の声でそう答えた。
元より、このまま死人のように生きるだけなら。
可能性があるなら、賭けずにはいられない。
そして『恋』と呼ばれる男の『実験』は成功した。
ただ、砂は零れ続ける。急がなければ。そうしないと。
──だから、恋様の為に。
恋様の命令を、遂行しなきゃいけないのに。
副団長を殺さなきゃ。それに、邪魔者たちも。
なのに。
ごめんなさい、恋様。
◇ ◇ ◇
「恋様。大丈夫ですか?」
「あはは……いやぁ、だいぶ厳しいね。まだ酷い耳鳴りがするよ」
盲目の男、恋は小さなボロ船の上で頭を撫でていた。
「申し訳ないです。イクサがもっと早くに駆けつけていれば」
「大丈夫だよ。そもそも自分の不注意だった。あの勇者サマ、結構強かったからね」
煙を上げ沈みゆく海賊船は、もう遠い。陸地が見えてきている。
「恋様、この後は、どうされるんですか?」
イクサが問うと、恋は腕を組んだ。
「そうだねぇ。一回戻った方がいいかもね。勇者サマに顔を見られてもいるし」
「え。でもあの勇者は海賊船の中ですよね。もうじき沈むあの船の中……。もう生きて戻ってくることは無いんじゃ?」
「いいや。ああいう勇者サマはね、不思議なことに何が何でも生き残るんだよ」
恋は指を組む。そして、昔を懐かしむように笑った。
「スヴィクの回収はよろしいのですか?」
イクサが訊ねると、恋は答えない。
「恋様?」
「……そうだね。副団長の始末とか諸々、スヴィク出来てるのかな?」
「出来てません。先ほど千里眼を使って『視』ましたけど」
「なら、他の邪魔者の処理は?」
「無理だったみたいですね。その為、今、胴から上下二つに別けられちゃったみたいです」
「はは。じゃあ、やっぱり助けにはいかないかな」
「よろしいんですか? あの子は恋様が作った完成少女の一つですよね?」
イクサが訊ねると、恋はイクサの頭を撫でた。
「イクサ。自分がスヴィクにばかりかまけていたから、キミは快く思ってないと思ってたけど?」
「快くは思ってないですよ! 恋様は次々に新しい子を作るんですもん!」
「はは。まぁ実験で必要なことだからね」
「ええ! だから別に。スヴィクを回収しに行くならいいと思っただけです。
私と同じ完成少女ですから」
「……同じ、ねぇ。それは違うよ、イクサ」
「え?」
「あれは完成少女じゃない。
術技の発現も無く、半人化適合も無かった。
寿命が極端に短い未完成な失敗作。キミとは違う」
恋は続けて笑う。
「生きる執着がある者は強い術技を持てる子が多いんだけどね。
あの子は残念だった。拒否反応が大きすぎて、全体修復してももう死んじゃうよ。
やっぱり、自分はキミが一番だよ、イクサ」
「も、もう。恋様ったら」
「はは。それに、与えた仕事を達成出来ないなら、置いておけない。道理だろう?」
「それもそうですね。仕事が出来ない子なんて手元にはおけないですもんね」
「そうだよ。その点、イクサは優秀だから」
甘く恋は語らい、船は桟橋に辿り着く。
丁度、その時、頭上を一瞬極光が照らす。
恋にはその光は捕らえられなかったが、イクサは目を覆っていた。
「? どうしたんだいイクサ」
「いえ、凄い一瞬眩しくて。流れ星みたいな。いや、爆弾でしょうか」
真っ直ぐに海賊船の方へ進む黄閃。
首を傾げた後、『ゴロロッ!』と雷鳴のように空が鳴った。
「雷、だったんでしょうか」
「……それは、嫌だな。自分は雷が大嫌いだ。すぐに行こうじゃないか」
「はい。恋様。じゃぁ、手を繋ぎましょうか」
「そうだね」
イクサは、上機嫌だった。
鼻歌を歌いながら、恋の手を引き歩き出す。町の外──闇の中へと消えていく。




