【15】必ず、逃がすと思うね【32】
「ハルルさんっ、ごめ──」
「喋るなってのっ!」
『恋』の操ったロープに縛られた水色髪の少女、ネア。
人質だ。
──木甲板に駆け上がって来た恋の仲間と思われる海賊が、その少女を抱えた。
その少女、ネアは、ハルルに協力してくれた子であり──誘拐された少女の一人だ。
「ッ! ……卑怯ッスね。あんた……ッ」
「はは。酷いな。知恵が働くと言って欲しいなぁ、『勇者サマ』」
恋の言葉を聞いてから、ハルルは不機嫌な顔のまま汗を一筋流す。
ドタドタという足音が響き、何人かが、穴開きの木甲板にやって来た。
そこに現れた海賊は、三名。小柄な男と、デブとハゲである。
そして、更に、もう一名も走ってきた。
「恋様ッ!!」
「や。イクサ。良かったよ。ただ、まだ近づかないでくれ
──手負いの獣がいるからね。最も、流石に理知的な獣だとは思うが」
恋の言葉の通りであった。
ネアを人質に取られ、ハルルは槍を握る手の力を緩めていた。
緩めざるを得ない。
人質。
悪党の基本戦術と言っても過言ではなく、使い古された様式美のような輝きを持つ『脅し』。
脅し文句まで『こいつがどうなってもいいのか』という定型文が基本となっているような昨今だ。
だが、今日まで使い古されるには理由がある。
それは単純に『効果覿面』だからだ。
特に、『守る為に戦うヤツ』──勇者に対しては、絶大な効果を持つ。
実際、人質を取られた場合、対処する方法は限られている。
(本来一番いいのは、遠くから犯人だけを狙撃する『遠距離狙撃策』。
……それが出来ないなら『持久策』。人質を取っている側も人間。
幾ら子供を相手にしていても、ずっと首元にナイフを当て続けられない。
犯人側の疲労した瞬間、『その隙』を狙う。
普通の治安維持の業務を行う勇者たちなら、全員で一気に雪崩込み、それで犯人を取り押さえるのがセオリー。
今、私に出来る作戦は……)
チラリと木甲板の上を見る。
──朽ちた大樽、割れたガラスに、海の方を向いた三門の大砲。
(一回だけ、『隙』を作れるんスけど。
その一回、その一瞬で……海賊全員を無力化するには……)
「さ、武器を捨てて貰おうか。
さもないとその少女がどんな目に遭うか、勇者サマの優秀な頭でも想像出来ないことになるよ」
「──大切な、あんたの商売道具じゃないんスか、その女の子は」
ハルルは無理くりに言葉をひねり出した。
恋は鼻で笑う。
「少し違う。その子たち含めて誘拐した子たちは、ほぼ全員が『被験体』さ」
「……モルモット?」
「ああ。研究材料と言い換えてもいい。確かにその子たちは貴重といえば貴重だ。
ただ、残念。研究材料は『生死問わず』使用できるんでね。
死んでしまったら──アジトに戻った最初の仕事が『冷凍保存』を解凍するっていう一手間が増えるだけ──問題はないね」
「……あんたはっ……!」
「っ!! !!!」
「暴れるなこらっ!」
ネアが何かを叫ぼうとした時、小柄な男がその腹に目掛けて拳を入れた。
ハルルの目が血走った。
怒りで深く光り、ギロリと海賊たちを見た。
目だけで──『殺す』と伝えられたかのように、海賊たちに寒気が走った。
「おっと。動かないようにと忠告しただろ? その子の為にもなる」
一閃、鞭のようにしなった鉄がハルルに襲い掛かった。
──間一髪で躱したが、ハルルの頬には擦り傷が出来ていた。
「朝まで大人しくしてくれれば、キミだけは王都の港に降ろせるよ。
昼頃には王都のパンケーキ屋さんで珈琲片手に優雅なランチが出来るって約束してあげよう」
恋の甘い囁きは──出鱈目だとハルルは理解している。
武器を手放したら最後、もう二度と拾うことは出来ないだろう。
(……仕方ないッス。もう、『その一回』に賭けるッスよ)
ハルルは槍の柄を回してから、爆機槍を床に置く。
そして、足で端に向けて転がした。
「大人しくするッス」
両手を上げた。ふっ、と恋が笑った直後に、海賊が近づこうとする。
「ただ──大人しくするんで質問に答えて欲しいッス」
「質問?」
「ええ。自分は勇者ッス。ただ大人しく敗北して投降するんじゃなく、勇者の矜持としての成果が欲しいッス」
「ふむ? なるほど。冥途の土産的なそういうことかな?」
「私のことを殺す気なら、そうなるッスね」
「まぁ、質問の内容によるけど答えてあげようかな。
何だい? パジャマの色でも聞きたいのかな?」
「後悔とか、してないんスか?」
「? 何?」
「あんたは罪のない子供を誘拐してるッス。人体実験にも使っていると言っていたッスね。
後悔とか、謝罪の気持ちとか、自責の念が無いのか、と聞いてるんス」
「はぁ、なるほどね。……実に勇者サマらしい質問だ。
もちろん、自分だって人間だ。後悔も謝罪も、自責の念だってある。今だってね──
──一週間前の改造、肺に虫を住まわせるんじゃなく、虫の複眼を少女の目に再現する方が良かったと、後悔の真っ最中だよ。
精度の高い処置をして、もっと『完成』に近づく方法があったんじゃないかと、常日頃から後悔の連続さ」
「……そうッスか。よかったッスよ。あんたが、しっかりとしたクズ野郎で。
もう、止められない状態だったので」
「?」 (止められない?) 恋が内心で疑問符を出した時だった。
ハルルは『行動』した。
その行動を、目の見えない恋はもちろん見えない。
「! 恋様ッ!」
気付いたのはイクサと呼ばれた少女だった。だが──もう遅い。
ハルルは『耳を塞いだまま』笑って見せた。
耳が引き裂かれるような爆音──大砲の射出音だ。
「っぁ!?!?」
恋は声を荒げてから短剣を振ったが、当たらない。
(なんで、大砲が急に放たれたんだッ……! どうしてッ!)
恋がいくら考えても答えは出ない。
大砲の仕掛けは簡単だ──ハルルの爆機槍には『爆発』と『燃焼』の二つの戦法がある。
燃焼のモードは、槍の刃先部分が発熱。槍で刺した相手を発火させることが可能なモードだ。
その『燃焼モード』にしてからハルルは、大砲の方へと槍を転がした。
海賊の使う旧式の大砲には、火を点ける導火線が伸びていて、そこに火が点いたのだ。
そして、会話しながら炸裂の瞬間を待った。
これで隙が出来た──ハルルの手際は素晴らしく良かった。
ネアを人質にした海賊の顔面に拳を叩き込み、デブとハゲを蹴っ飛ばして、小柄な海賊を海へ突き落とした。
唯一の誤算があったのは──。
「恋様っ!!!」
(なっ、んで、あの子は動けるんスかっ!)
耳を塞いでいたハルルですら少し耳鳴りが残るのに、イクサだけはすぐに動けていた。
そのせいで、ハルルは止まる。ネアを守る様に背にしてから。
(本当なら、このまま恋を伸すまで殴るつもりだったんスけどね)
ハルルは頬に付いた血を拭いながら、恋を見た。
「形勢、元に戻ったッスね。まぁ、聞こえてるか分からないッスけど」
恋の耳は甲高いキーンとした耳鳴りが支配していたが、その言葉だけは嫌に聞こえた。
「……っ。はは、勇者サマ。ハルル、と言ったかな」
「ええ。そうッス。ハルルッス」
「見事だよ……。認める。自分の負けだ」
恋は、隣に居るイクサの肩を抱き締めた。
「なので、自分は──逃げようと思う。
本当に悔しいが、全てを投棄し、この子と自分の身を守ることに専念する」
「逃がすと思うッスか?」
「ああ。必ず、逃がすと思うね」
「あり得ないッスね」
「それが──あり得ちゃうんだな。……本当は、証拠隠滅に使う予定だったんだけどね」
恋はニヤリと笑い──イクサの首から下がっている三つの鍵のネックレス──そのうちの一つの鍵を構え、回す。
爆音──そして、がこんっ!! と大きく船が揺れた。
ハルルには聞きなれた音だった。その音は。
「爆発……!」
「そうとも。何もね、爆発は……キミの専売特許という訳じゃないんだよ」




