【15】恋は盲目【30】
「……キミ、誰だ?」
物腰柔らかそうなその男──彼の名前は『恋』。
(この人は一体何者。賊の仲間?
この船が全て賊の所有物なら必然的に敵になるッスけど。
もし普通の船に相乗りしているだけの一般人なら?
海賊旗は無いッスけど……でもあそこにあるのは大砲っ。
普通の船ではないのは確かっ。それに海賊でも酔うって言い回しをして──。
いや、あれは比喩表現?)
ハルルは一瞬だけ躊躇った。
(いや、この船の感じ。漁船でも民間船でもないッス!
あの賊の日焼けとか考えたら、賊が海賊で、この船は海賊船である可能性が高いッス。なら)
「っ!」
(私たち以外で船に乗っている相手は敵! そう考えて戦闘能力を奪うッス!)
ハルルは槍をまるでハンマーでも振るかのような横薙ぎの大振りで放った。
突きにしなかったのは『思考が回りすぎた』からであろう。
まだ『民間人』の可能性が僅かにあった。大砲を積んだただの漁船という可能性があった。
何かの都合で乗せられている商人や脅されている船乗りという線が消しきれなかった。
もし、そこまでの想像力が働かず──ハルルが一撃の突きを放っていたら。
それは、勇者の行動と言い切れないかもしれないが、そうしていれば『確実に全てが終わっていた』。文字通り、全てを完結らせることが出来たかもしれない。
ただ、それは。結果的に見れば、という話であり……詮無きこと、というやつである。
彼は木甲板に吹っ飛ばされた。
手応えはあった。彼の痩せた胴体に一撃入り、肺の空気は外に噴き出た。
だが──彼は、立ち上がった。
血か、何かを、ぺっと吐きながら。そして、顔を笑ませたまま、彼は立ち上がる。
「っつー……。逃げられてるんじゃないか。
え? 自分が渡した仕事くらい完遂させてくれよ、海賊くんたちさぁ……」
彼は、ため息交じりにそう呟いて、髪を掻き揚げる。
「それより、キミは誰なの? ただ誘拐された少女じゃないな。
サーカスの方で感づかれたのは知ってたけど、この船に辿り着くってなると……
時系列的におかしいな。まるで最初から乗っていたような──」
彼の言葉より早くハルルは動いていた。
問答、無用。話しぶりから敵だと分かったからこそ、槍を今度は真っ直ぐに構えて突く。
だが──突けない。
ハルルの腕が空中で固まるように止まった。
「なっ! これは、糸ッスか……ッ!」
「随分と目がいいようだね。よく見えるなぁ」
「熱鉄!」
焼き切り、後ろに下がる。
(糸の魔法ッスかね。……よく見れば見えるッスけど……っ、もっと明かりが無いとっ!)
「そこにいるのか。ああもう、最悪だな。どこにいる?
こんなことになるなら、イクサを連れて歩けばよかった……ああ。自分はまだまだ未熟だね」
彼は笑っている。
そして、その妙な挙動に、ハルルは気付いた。
「……貴方、目、見えてないんじゃないッスか?」
その問い掛けに、『恋』は笑う。
「──自己紹介がまだだったね」 質問に答えず、彼は笑った。
「自分の名前は『恋』っていう。キミの名前は?」
「……ハルルッス」
「ハルルか。いや、キミは凄いね。気付ける人は少ないんだけど。
ああ、でもこの状況じゃ気付ける人も多いか……。
ご明察。よく言うだろ? ──『恋』は盲目だ、ってさ」
恋はそう笑い、彼は動いた。ハルルは一歩踏み込んでから、すぐさま後ろへ跳ぶ。
船の木甲板が弾けた。──木片が舞い上がる中、ハルルは世界をスローモーションに見ていた。
『絶景』。緩やかな時の中で、視界の物を推察する。
盲目の男『恋』、彼の武器は、短剣。
だが、形状は奇妙だった。
刀身が、真っ赤な三角錐。まるでデカいチーズでも乗せているような形だ。
奇妙故に、あの短剣を注視し、糸を出す起点というのも理解した。
(だったら、あの糸の何本かは、下手すると切れ味もあるかもしれないッスね)
ハルルの見ていた世界が元の速度で動き出す。
跳んでくる糸を避けながら、槍を軽く薙いだ。
燃える糸と燃えない糸がある。一部の糸は鉄製で斬撃に使われる。
ハルルの推察は正答だった。
「この感じ……へぇ、キミ、絶景を使えるんだね」
(!)
「それに……なんだ、キミは炎を使うのか……最悪だな。その槍の特性かい?」
ハルルは、考えた。
考えてから、答えた。
「……そうッス。爆機槍。自慢の槍ッス」
「へぇ。面白い武器だなぁ。じゃぁ、自分も見せようかな。
この短剣、不思議な形をしているだろ?
紅女帝蜘蛛の紅糸から作られた剣でね。
剣の名前は『糸在』っていうんだ。
有する能力は放出する糸の大きさを変えられる。
自分の剣術と、糸を操る魔法が無ければ意味のない剣なんだよ」
ハルルは走り出していた。
爆機槍をまっすぐに構える。
「爆機槍ッ!」
真正面からの槍撃が放たれた。
そして、爆発。爆風と爆炎が巻き起こり──すぐにハルルは後ろに跳んでいた。
槍を操っていた本人だから分かる。直撃する前に防がれた、と。
「ハルルと言ったね。キミは勇者かな? まぁ多分勇者だね。
先輩からのアドバイスだ……──相手を見くびるんじゃない」
恋の前に、鋼の盾があった。
よく見れば、それは糸が集まってできた盾だ。
「キミ、最初、ちゃんと考えたでしょ。
自分が『その槍の特性かい?』って質問した時に、返事をするか、しないか。
考えた癖にキミは選んだ。『返事をする』ことを」
今度の糸は人間の指のサイズ程の鋼鉄の糸だ。
蚯蚓のようにうねりながら向かってくる。
他の細い糸は無いが故に、まだ避けたり防いだりはしやすそうだ。
が、銀に怪しく光る糸にハルルは嫌な気配を感じ取り、避けた。
「なっ──」
ドリル。そう表現するのが最も分かり易い。
糸の表面には鋭い刃物。回転はしていないが、触れただけで木が大鋸屑になっている。
鋸刃糸とでも呼ぶべき糸を弾いて恋へ向かって走り寄る。
次も突き。これが最も鋭い攻撃だからという選択だった。
瞬間──ハルルは怖気に襲われる。
背筋に氷を入れられたような恐怖に、踏み込みを止め、槍に身を隠すように防御した。
正解だった。
「自分が『盲目』だからだろ。
そして、返事をするという『情け』をかけた。それはね。
最大の侮辱にして、最低最悪の愚策だ。健常者」
鋼鉄の糸はヒュドラのように九つの首に分かれて叩き付けられた。
幸い、鋸刃糸の直撃は無かった。
飛び散った刃物のような木片から身を守ることに成功した。
だが、同時に直感する。
(あと一歩、踏み込んでいたら……ミンチになってたッス)
鋸刃糸で作られた『首』が、四方八方に吹き飛ぶ。
そのうちの一つがハルルに向かい、慌てて槍の腹で防ぐ。
ギチギチと音を立てながらハルルは木甲板に転がった。
「相手が盲目ならそれを使うことを考えた方がいい。
音を出さないように近づくんだよ。それに、何だい?
あの技名。まるでイカれた勇者だ。
せっかく相手が盲目なんだから、技名なんて──ン?」
──恋には分かった。糸から、振動が伝わっている。そして、血の滴りも。
周りが海で、荒れた波の音でいっぱいだ。
だから、彼女の音がちゃんと聞こえてはいないのもあった。
だが、それよりも。
理解が遅れたのは『そんなアホな行動を取る訳がない』から。
鋸刃糸は直撃すれば鎧だって貫通する。
布靴程度ならプリンのように切り刻める。
だから『その上を走って近づく』なんて『アホな行動』は──。
「りゃああああああっ!! スリーッ! トゥー! ワァァアアアアンッ」
「ばっ! そ、そんなのっ!?」
靴を引き裂かれ足の裏が血塗れでも──ピンっと伸びた鉄糸の上を走り抜き、着地。
から、鮮やかな背面跳びから繰り出す、猫のようにしなやかな足蹴り。爪先が『恋』の顎に目掛けて直線に入る。
その動きは見事な──
「バク転☆蹴りッ!!!」
──バク転蹴りだ。
「が──ッ!!!?」
恋がふっ跳ばされた。
そして背中から落ちて、大の字に転がった。




