【13】最強の元勇者【13】
◆ ◆ ◆
夏の終わりの夜風が、窓から入って来る。
昼こそ騒がしいギルドだが、夜の時間はとても静かだ。
今日は良い月だけど、まだ灯りが足らない。カンテラを叩いて月色の灯りで、手元を照らす。
ページを捲る。一人ずつ、苗字が同じ人を探して。
ギルドの中にはページを捲る紙擦れの音だけが響いていた。
ふと、階段がギシギシと音を鳴る。
ああ、誰か降りてきた。
慌てて本を閉じると、階段を降り切った少女と目が合った。
赤熱したような赤い髪。湯上りなのか、少し濡れたその髪を今は結っておらず、だらんと力なく下ろされていた。
男物の白いシャツを一枚羽織った際どい恰好だ。
──彼女の名前はティス・J・オールスターさん。
可愛らしい顔立ちに、華奢に見える少女だ。
だが、彼女は自分の背丈よりも巨大な鉄槌を軽々と振り、悪を容赦なく断罪する。正直、私は少し怖い。
「──レンカさん。こんな夜更けまでお仕事でありますか?」
だが、意外にも優しい声色で声を掛けられた。
──仕事。実は仕事……ではない。
私が今やっていたのは……ヴィオレッタさんの姉と兄を探そうとしていた。けども。
「はい。そうです。残業ですね。にこにこ」
そう答えるのが一番良さそうだ。
「受付嬢さんは皆さん大変そうであります」
「いえいえ、そんなことはありませんよ。にこにこ」
髪をタオルでごしごしと拭きながらティスさんは私の前の椅子に座った。
「先ほどは、怖がらせてしまい申し訳ないのであります。スタブルさんに言われました」
「え?」
「『急に武器を構え、圧を掛けられると武器を持っていない一般の人は怖いと思う』と先ほど教わったのでありますよね。
大丈夫であります。悪事を働いていない人間に対しては鉄槌を振り下ろすことはありませんので」
……あれかな、さっきのギルドマスターを悪だから裁くって言ってハンマーを構えた時のことを言っているのかな。
けど、『先ほど教わった?』 んー。何かズレてるなぁ。
でも、強い勇者であればあるほど少し頭のネジが飛んでることはよくあるし……まぁ少し慣れてはいる。
「いえいえ。お気にならないでください。にこにこ」
「こちらもお気になさらず! 一般人を脅かすのは正義ではありません!
レンカさんのことを脅かすつもりはないのであります! ご安心ください!」
やっぱり少しかみ合わない。とりあえず愛想笑いしておこう。
「でも今晩に会えてよかったであります。明日にはもう発つことになりまして」
「あ、そうなんですか」
「ええ。スタブルさんと相談した結果、交易都市で命令を待つことになったのであります」
さっきから出てくるスタブルさんとは、あの無精ひげの男性だろう。
この子のお目付け役なのだろうか。
「明日の朝一には出立するであります」
「結構、急ですね」
「ええ。その時にゲッハー・イェハーナ二等級長殿の処遇も言い渡すのであります」
……処遇。
話に聞くところによると、ヴィオレッタさんたちを見逃したらしい。追跡隊なども組織せずに、そのまま逃がしたそうだ。
ただ、話を聞いた限り、ギルドマスターの判断は間違ってなかったとは思う。ヴィオレッタさんは過去に80人の勇者を一人で叩き潰している。
その日にギルドに居た勇者は40人居るか居ないか。まともに戦ったらギルド側が壊滅しただろう。素人目でも目に見える。
とはいえ……命令違反は事実だ。
「……その、ギルドマスターさんはクビ、ですか?」
「いいえ。自分的にはそれでも生温いと思うでありますが……スタブルさん曰く、6ヶ月減給処分が妥当とのことであります」
6ヶ月減給……重い方だけど、よかったクビとかじゃなくて。
「そういえば、聞いてみたかったことがあるのであります。
──レンカ・バーズさん。質問をしてもいいでありますか?」
「えっと。何でしょうか」
「どうして受付嬢さんたちは、語尾に『にこにこ』などを付けるんでありますか?」
「あ、意外な質問」
──てっきりヴィオレッタさんのことを聞かれると思った。
「いつも気になっていたのであります。どのギルドに行っても『にこにこ』とか『にっこり』とか、皆、妙な語尾をしているのであります」
……妙な語尾はティスさんもではありませんか? であります。
などと返したら首が飛ぶんだろうか。
「この語尾は、ギルドの規則です。
受付嬢は語尾に『にこにこ』や『にっこり』など笑顔を現わす言葉を付けることになっているんです。にこにこ」
「何故であります?」
「主に勇者様方にストレスなく仕事に行ってもらう為と自衛です。にこにこ」
「自衛? 前者は分かるのであります。そういうおもてなしのルールなのでありますね。ただ……自衛。それはどういうことでありますか?」
「ええ。簡単ですよ。笑っていればいきなり殴られることはないのです。にこにこ」
「なんと」
「まぁ先輩の受け売りですけどね。変なお客、変な勇者様は一定数います。
そういう人達は、暗い顔をしている人に対して怒鳴りつけたり、殴ってくるんです。
ただ、笑っている人にいきなり暴力を振るう人は、あまりいないんです。にこにこ」
接客業の基本動作に笑顔が必ずあるのは、実の所、活気づけより自衛の部分が大きい。
とはいえそんなことを基本動作に大きく書いたら大問題になるので先輩から伝承されていくのであった。
「……勇者にもそういう粗暴な人間がいるのでありますか?」
「結構多いですよ。土地柄もあるかもしれませんが。にこにこ」
「悪でありますね。裁くであります」
「んー、悪とは言い難いですよ。嫌なお客ではありますけど、ちゃんと勇者のお仕事してますし」
「よく分からないのであります。正義でなければ悪であります」
「まぁ考え方は人それぞれなので」
「……お師匠様もそんなことを言っていたのであります。
それ故、価値観は一つに統一していくのだ、と言っていたのであります」
「中々過激派のお師匠様ですね」
──しまった。口が滑った。
ティスは目を爛と光らせた。
「そうなのであります! お師匠様は過激で苛烈で華美であります!
それでいて常に真っ直ぐな人でありました!
今は行方知れずではありますが、凄い方なのでありますよ! 自慢なのであります!
なんと《雷の翼》の一員だった方でありますゆえ!」
「……《雷の翼》って、魔王討伐の」
「はい! 何を隠そう、自分の師匠は、最強の元勇者様でありますので!」
最強勇者? それって……もう死んじゃった、ライヴェルグさんのこと?
だとしたら、確かにあのデタラメな強さも頷けるけども。




