【13】赤熱した狂気【10】
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その少女への印象は『赤熱した狂気』だった。
ヴィオレッタが脱獄したその日の夜に、その少女はギルドに現れた。
鋼鉄を焼いたような眩い赤の髪を、一つに結った少女。
その瞳もまた赤く──揺らぎ燃える炎と溶けた鉄を誰もが連想するに違いない。
純白のマントを翻し、丁寧なお辞儀をして見せた。
「初めまして! 私はティス・J・オールスターであります。
階級は五級勇者であります!
貴方はレンカ・バーズさんと、レセ・プティさんですね!
ゲッハー・イェハーナさんはどちらに居られますか?」
まるで騎士のような自己紹介、そして五級勇者という肩書に隣で座っていた受付嬢のレセが胸を撫でおろしていた。なんでそんな油断が出来るんだろう。
確かに──五級という階級は、駆け出しクラスの階級だ。
初心者の十級から一年ちょっとあれば五級は辿り着けるだろう。
だが、どう見ても違う。纏う空気が──違う。
「やたら可愛い子ばっかり最近来るねぇ。改めまして……ティス・J・オールスター殿。
僕が、国境の町、最南端ギルドのギルドマスターを務めます、ゲッハー・イェハーナです。
階級は二等級長。以後、お見知りお──」
「ああ、そういうのいいのであります。ゲッハー二等級長」
その目の鉄が、溶鉱炉から溢れたような眩さでゲッハーを見た。
一閃。……銀の光が鈍く閃いた。
──直感の話で申し訳ないけど。長年、『勇者』を相手にしてきたけど、この人は違う。
『勇者』でも『冒険者』でもない。
どれかと言えば、一度だけ見たことのある──まるで。
「この状況。何であります?」
ゲッハーギルドマスターの両方の頬を風が通り過ぎる。
首筋に──『正義』と刻印されれた鎚頭があった。
それは、ティスの武器。身の丈ほどの大きさの、金槌のような頭を持つ巨大な鉄槌。
びっくりしたのは、その早業もそうだけど。
あのナヨナヨしているギルマスのゲッハーさんが、笑顔を一切崩さなかったことだ。
「この状況、と言いますと?」
「自分は、王国からの命令で大急ぎで来たのであります」
「ご足労、ありがとうございますー」
「本来の任務を捨てでも最優先で来た理由はお分かりいただけるでありますか?」
「命令だからですかねー」
「悪を放置できないからであります」
巨大な鉄槌を軽々しくくるくると回し、地面に突き立てた。
床板が割れた。ティスはギリっと歯を食いしばり、その目でギルマスを見ていた──いや、違う。見ていない。
ギルマスに何か違う物を重ねて、睨みつけているように見えた。
「ゲッハー・イェハーナ殿。
悪は野に放てば人を殺し、管理しなければ罪を重ねるのであります。
なのに──何故、逃がしたのでありますか?」
深紅の目が揺れる。
息が詰まる。私は、もう息が出来ない。
「逃がしたんじゃなくて逃げられたんですよー?」
「牢が壊された形跡はないと伺っているのであります」
「伺っているって誰からですかねー」
「信頼できる情報筋であります。ともかく、鍵を開けたのは事実でありましょう?」
「いやー、魔法で鍵を奪われてしまってー。開けられちゃったんですよねー。
ゲッハー一生の不覚! 本当に申し訳ありません!」
「……真実を言い謝る人間を攻撃することは正義ではありませんね。
次回から管理体制を見直すのであります」
「はいっす! あざっす! さーせんす!」
「次の問いです」
「まだあるんですかー」
「何故、──勇者たち全員で、ヴィオレッタたちを追おうとしなかったのでありますか?」
ゲッハーさんと、ティスの目がようやく合った。
腕を組み、椅子に深く座ったゲッハーさんは近くの缶詰を手に取る。
「いやぁ、逃げ足の速い奴らですからー」
「二等級長、ゲッハー・イェハーナ殿。
貴殿は十年前の人魔戦争時に軽度命令違反を四回行っております。
それは全て自軍の撤退に関する命令違反であります」
「まぁ古い話をよくご存じで」
「攻勢命令を無視し軍を撤退させることから、『逃げのゲッハー』と揶揄されていたと聞くのであります」
「ほー。そんなふうに揶揄されておりましたかー。初耳ですなー」
「命惜しさに見逃したのでありますか? ヴィオレッタと、魔王たちを」
その言葉に、ゲッハーさんは顔色一つ変えない。
それから──彼はお茶を一口飲んで、ふぅと一息ついた。
「全部込み込みで降格処分とかで終わらないですかねー?」
へらへらと笑うと──次は風より早く巨大な鉄槌が突き出された。
今度は鼻先を掠めていた。
「ゲッハー・イェハーナ。何故、追わなかったのでありますか?」
「もはや敬称無しとか、オジサン、悲しいなー」
軽口に対する回答は無い。
ゲッハーはもう薄い頭を少し掻いてため息を吐く。
どうせ説明しても理解してくれないだろうけどさ……と呟いてから、彼は言葉を出した。
「初回のヴィオレッタによるトゥッケ領主の襲撃時、死亡したのはA級含む勇者80名。
昨日このギルドハウスにいたのは勇者40名が良い所。その上で今回はヴィオレッタ一行の人数も増えてた。
写真はレンカがこっそり撮ってたはずだから見せて貰えばいい」
超バレてた。
「それが何であります?」
「追跡隊を組織したら返り討ちにあるのは目に見えてる。
国境警備の勇者も動員したら、仮想敵国たちに腹を晒すことになる。
なら、いっそ見逃して兵力を全部温存して次の機会を──」
ギルマスの顎にぐいっと鉄槌が押し当てられていた。
「それは『正義』ではないであります」
「正義じゃないにしても、オジサン的には、ギルドと勇者を預かる身として正しい判断をしたって思うんだけどなー」
「いいえ。正しくありません。『悪』を見逃すのはすなわち『悪』であります」
「ちょーっと話がかみ合ってないかな。
じゃぁ、あれかい、40名の勇者に向けて『勝てないだろうけど正義の名の下に死んで来てくれ』って、命令すべきだったってことかな?」
「ええ。それが『正義』でしょう。『悪』を許さぬ心が『正義』なのでありますから」
「そーか。なら無理だな。無謀な特攻を命令する器を持ってない。
その理論で言うとオジサンは悪党だわ」
「『悪』。ならばそれは、裁くのみであります」
「まー、こういうこと言うだろうから、降格で勘弁って思ったんだけどねー」
少女の目の色が赤く熱を帯びたように思えた。瞳を彩る赤熱した狂気。
──その目が轟と燃えるような光を放った時。
「ティス。ギルドマスターの代役はもういない。
それにナズクル先生はここの治安確立を命令していた。
ティスが治安を乱したら命令違反──悪になるぞ」
ティスの背後。いつから居たのか分からない男がいた。
無精ひげの、不愛想な男。ガッツリとした体躯の男だ。
男の言葉に、ティスは目を伏せた。
「……でも、正義が」
「すまない。ギルドマスターさんに受付嬢さん。
ティスは急遽の行程変更で疲れている。
こちらから話を振ったのに悪いが、やはり先に休ませてもらってもいいだろうか」
「ええ。いいですよ。レンカさん、三階の部屋に案内してあげて」
「は、はい! え、えっと案内します! こちらへ、どうぞっ! にこにこ!」
声が裏返る。それでも、立ち上がり階段を上って振り返る。
無精ひげの男──そして、少女。
ティス・J・オールスター。
私よりも背の低く顔立ちもいい少女。
だけど……本当に。
申し訳ないけど、これは直感的な感想だ。
彼女は『勇者』でも『冒険者』でもないと感じる。
その赤く爛れた目。正義を背負った彼女なのに。
私には彼女がまるで──。
──まるで、『殺人鬼』のように見えていた。




