【12】正答の無い選択肢【49】
◆ ◆ ◆
空中へ逃げたスカイランナーを追って、狼姿の魔王は上空へ跳び上がった。
スカイランナーを砕き殺し──狼姿の魔王が落下する。
ここは山岳中腹の砦。高さ的には落ちたら死ぬだろう。
あれくらいで魔力を使い切ったとは思えない。放っておいても浮遊の魔法で復帰するに違いない。だが。
「師!」
「っち」
考えるより先に体が動いていた。
迅雷によって雷化した足で、空中を踏み、落下する狼をキャッチする。
『……勇者。ああ意識が跳んでいたか』
「みたいだな。この高さから落ちても魔王だったら平気だったか?」
『まぁそうだな』
「そうかよ」
『……見殺しに、すべきだったのではないか?』
「殺すチャンスだったって?」
『そうだ』
「そうなのかもな。だけど」
『ん?』
ヴィオレッタと約二日ほどだが、行動を一緒にして思った。
魔王討伐を行った十年前は、もちろん俺の意志で戦ったが──始まりは国からの命令だった。
魔王が人の脅威であり、多くの平和が奪われたから、戦争を終わらせる為に戦った。
そう、戦争が終わった今なら。また、何か違う帰着があるんじゃないかと、思うんだ。
これは、誤った選択なのかもしれない。
だけど。
着地する。
「少なくとも今は、お前を殺そうと思わなかった。それだけだ」
『……変わったな。……若い子たちは、次々に変わっていくな』
「あ? 嫌味か? 若くないぞ?」
『30前半なんてまだまだ若いさ』
「20代だッ! まだ26だッ!!」『す、すまん』
「師!! それに、ジン!」
ヴィオレッタが駆け寄って来る。
『なぁ、勇者……お前は、ジンと名乗っているのか』
魔王を下ろすと、小さな声で言葉を出してきた。
「え? ああ、そうだな」
『……魔王討伐の勇者だと、隠しているのか? 世間では死んだと言われているようだが』
「まぁ平たく言うとそうなるな。隠しているというか、まぁ色々あって名乗れなくなった」
『そうか』
なんだ? 妙なことを聞く奴だな。
「師! 怪我っ!」
『大丈夫だ、この程度の怪──ォっ!?』
ヴィオレッタは突進するように狼に抱き着いた。うん、今のが致命傷だろうな。
「一人でやるってカッコつけてたから何も言わなかったけどっ。その怪我で戦うとかダメだからね!!」
『いや、そのだな』
「言い訳無用だよっ」
『はぁ……すまないな』
黒い靄を狼に巻きつけている。おお、されるがままだな。
魔王より強いんだな、あの子は。はは。
『さて、旅の勇者のジンよ。……取引をしないか?』
「あ? 取引だと?」
「何、取引? どうしたの?」
ヴィオレッタが訊ねると魔王は頷いた。
『ああ……今、私もヴァネシオスもこんな状態だ。……見逃してくれないか、という話だ』
それは……。
「……無理だな。悪いが、魔王を野放しには、出来ない」
どんなに更生していたとしても、それを証明できない。
寧ろ、無害と証明するなら、一度正式に国に出頭し然るべき手順を取るべきだ。
『ならばこその、取引さ』
「何?」
『あそこに眠っているのは、王国民なら誰でも知っている魔王討伐の勇者の一人、鬼姫のサクヤだ。
あれは魔族のパバトという男が作った睡眠毒で眠らされている。
特殊な薬が無いと、目覚めることは先ず無いだろう』
「……その薬を用意する、ってことか。それなら取引になんねぇよ?
薬ならうちの賢者がいる」
『いや、賢者とて時間は掛かると思うがね。パバトは毒を司る魔族だ。
そいつが調合した魔法毒を解析し、それに合った薬を作るというのは』
「……作れるのか? お前なら」
『厳密には、もうある。あの娘と一緒に監禁されていたのだ。
彼女の受けた魔法毒の解析をする時間は嫌と言う程あったからな』
狼は笑って見せる。
……正直、揺れていた。
魔王は……話したら分かり合えるかもしれない。
だが、それでも。そうだ。違う。
甘言だ。
見逃してはいけない。ここで、野放しにしてはいけない。
「投降して、治療に専念してくれないか」
『ふむ……安心できる場所で治療したいんだがな、私たちは』
「……ジン。師に、そんな敵意を向けないで欲しい」
「悪い……。だけど。そいつは……やっぱり魔王なんだ。
悪いが、頼む。俺に……剣を抜かせないでくれ」
『ほう。それが答えか?』
狼は起き上がる。ヴィオレッタも、その隣に立つ。
「絶対に、悪いようにはしないと誓う。何かあったら、俺がどうやってでも守る。
だから……罪を償う道を、歩んでくれ」
『……本当に変わったな。君は』
「俺は変わってなんか」
『いいや。昔は、優しさという甘さだった。今は……優しさという強さを感じている』
「何、ジンと師って知り合いなの?」
『ああ。そうだよ』
十年の歳月は、多くのことが変わる。狼はそう呟いて、転がった石をタンッと叩いた。
石がくるりと回転し、ガラスの瓶に変わった。
見事な成形魔法だ。なんだ、その中に液体が溜まっていく。
透明な水だが、光を放っているような綺麗さがある。魔法薬か。
『名前の無い薬だからな。睡眠毒解呪薬とでも名付けよう。この瓶の半量も飲めば目覚めよう』
「おい、俺は取引に応じた気はない」
『ああ、そうだな。だが、私は話を聞かない性質でね。これを受け取り見逃して貰う』
「っ、逃がさなっ──なっ」
いつの間に足を靄で絡め捕られて。まずい。
攻撃が来る。身構えた。
何かが投げられる。
絶景で時をスローにし、弾──いたらダメだ。さっきの瓶を投げてきやがったのか。
薬は嘘か? いや、本当に薬だったら受け止めないとまずい。
スローモーションの世界で瓶をキャッチすると同時。
その向こう側で、既に──鴉と猫も含めた一人と三匹が、靄に包まれていた。
『では、さらばだ。狼らしく尻尾を巻いて逃げるとしよう』
ここでは転移魔法はここでは使えない筈だ。何故。
──その時に答えは出なかったが、地下大迷宮の出口にある転移魔法を妨害する不響の魔法の元になっている剣が全て抜かれていたと、のちのサクヤの調査で知る。
──スカイランナーとの戦闘中に、脱出まで計算して小細工をしていたとは、脱帽の魔法技術だった。
跳躍した。
捕まえることは出来ない。
──見逃すという選択肢は、絶対に違う。
迅雷状態で、絶景を使えば──この距離なら魔王の喉を指で切れる。
指で、殺せる。
──だったら、殺すという選択肢。それが。選べる。
今なら絶対に殺せる──殺せるのに。
何故、躊躇う。俺は。
「ジン、ばいばい。色々とありがとうね。ちょっとだけ楽しかったよ。
後、あの賭けだけどさ──どっちも勝ちってことにしよっか」
「っ!」
そして──靄の中に魔王たちは消えた。
◆ ◆ ◆
その後、薬を俺は皮膚に垂らした。毒の反応がないことを確認してからサクヤに飲ませた。
多分、これで大丈夫だろう。唸っている。もうすぐに起きそうだ。
そして、その後、数分もせずに、転移魔法でルキが飛んで来た。
「ルキ。すまん。魔王を逃が──」
次の瞬間、俺は、言葉を失い、体中の血の気が引いた。
ルキの隣で寝かされているのは──ハルル。
その右腕は。
焼け爛れ、腫れ上がり──見たことのない程の赤黒い皮膚の色になっている。
「ジン! サクヤを起こせ! 今すぐに!! 彼女の術技ならハルルの腕を治せるかもしれないっ!!」




