【12】干し肉のスープ【45】
◇ ◇ ◇
人間が憎かった。
私の大事な人たちを殺した人間たちが、憎くて仕方が無かった。
怒りが炎に喩えられるのも頷けた。
まさに原動力。火力だ。
炎に背中を押されて、私は 魔王 と呼ばれるようになった。
百年か、二百年か。
長い時を生きて、増大した軍隊と圧倒的な魔力を持って、復讐を始めた。
私の号令一つで戦争が始まった。
『西一番地区の村を落とせ』『東三十六の砦を破壊しろ』『向かって来た冒険者だと? 殺せ』
報告に対して的確に指示を出す。単純だった。
『村を落としました!』『砦粉砕完了です』『冒険者集団抹殺!』
伝令を聞き、次の配置と作戦を提示する。
私にとって、とても簡単だった。
しかし、戦況は移ろう。勇者という一団によって、大きく変わっていく。
多くの優秀な将兵が死に、数多の忠実な部下も死ぬ。
腹心たちも命を捨て、最後は夥しい屍の上で、私も死んだ。
戦争は──私が殺されて終戦した。
あの子たちも知っている通り、私は人知れず幽霊のように生き返った。
姿形は無く、仕方なくその場にいた狼の体を借りて命を成した。
『でっかい犬だ』
その人間は──今も今後も語る必要はない。ただの宿の女将だ。
世話好きで、怪我をしていた私に餌を与えてくれた。
人間の世話になるなど屈辱だ。そう思っていた。
わざと残して去る時もあった。気に食わない食べ物を食わずに木皿をひっくり返してやったこともある。
何日かして、野山の動物でも狩ろうと思った。
だが、満足に体も動かせず、さらに言ってしまえば動物なんて全然おらず、仕方なく戻った。
するといつも通りに餌が出ていた。しかも、出会った時に食べた塩気だけしかない干し肉のスープ。
ああ、好き嫌いがあると思われたようだ。その後から、完食するようにしたが、一週間近くずっと干し肉のスープが続いた。
そんな生活を一ヶ月程した頃だった。
私専用となっている厚底の木皿に入った餌を置く、その人間の手が傷だらけだということに、偶然気付いた。
よく見れば、手は細く痩せこけていた。
気付いた。
ここは、寂れた村で、戦後間もない時期だ。
この人間は、自分の食事もままならないのに、餌を私に与え続けていた。
初めて、その人間──いや、その人の顔を見た気がした。
人間という種だけで括って見ていただけだった。
痩せこけた細面な女性で、貧相な服装を身にまとっているが、優しい目の女だった。
風呂に入れてもいないのか、毛じらみもあるような女だが、私にはとても──否、忘れてくれ。
同時に、得も言われぬ気持になった。
なんの、利益があってそんな愚かなことをしているんだろうか。
私は愚かだった。立ち去れば、もう餌を与えるのを止めて、己が食う分に充てるだろう。そう考えていた。
その『行為』を理解できず、不義理にも私は立ち去った。
一ヶ月程して、その村に戻った。
その頃には体も少し動かせるようになって、二つ先の山で動物を食う生活が出来ていた。
余裕があったから、あの時の女に恩を返さねばという余裕もあったのだ。
その女は死んでいた。
そして、その家の中に入った時、気付いた。
もう何日前のか分からないが、私専用の木皿に、干し肉のスープが入っていた。
私は、その部屋を漁った。
特別な理由を探した。
例えば、昔に狼を飼っていたとか、犬に思い入れがあるとか。犬から産まれたとか。
何でもいい。何故、狼なんかに良くしたのか、理由が知りたかった。
探して、漁って。日が暮れて。それでも。
何も、無かった。
この女に、理由など無かった。
ただの。ただの、理由なき善意。
何故、人種という括りだけで、憎んでいたんだろう。
個人個人に善悪があると、知っていたのに、何故、心の底から。
何故。私は。
私、は。
零れた水を、コップに戻すことは叶わない。
水を戻せない。
それは、言い換えれば、罪を償おうと思えども、この世界に償える罪など存在しないと言われたのも同じ。
何をしても、罪は残り続け。
何をしても、死者は生き返らず。
何をしても、戦争を始めた事実は変わらない。
そして。
世界は私を許すことは無い。
そうして、私は知っていく。
この村は、旧魔王国の地図では『西一番の地区』。
私が指示して攻撃した村だった。
もし、最初に、この人を知っていたら私は攻撃しただろうか。
自分が人を殺せるのは、自分の中に、その人がいないからだ。
相手の名前を知っていれば。家族構成や年齢、趣味、得意料理、休日は何をして過ごすのか。
知っていたら、人は人を殺さない。
頭では、知っていた。分かっていたつもりなのに。
それでも。
行った結果は、変わらない。
干し肉のスープを飲み干した。
ありがとう。ご馳走様。
そう告げて……私は、家を出た。
……その後、三日三晩、腹を壊した。
◇ ◇ ◇
そう。私は魔王だ。多くの人間の命を奪い去ったのが、私だ。
『イオ』
イオが、私の前に立ちふさがって、刃を代わりに受け止めた。
「イオ、どこに隠れていたのですか。まぁ、すふっ。ちょっと予定外ではありますが、焦りませんよ」
スカイランナーはその剣をグッと奥に刺した。
『やめろ、スカイランナー』
「やめろ? ハハッ! ようやくまともな言葉を出しましたねぇ! しかし辞めませんがっ! 第一、どうでも良いでしょう!?」
スカイランナーの握った剣が赤く燃える。
イオは、ガクガクと振るえた。呻き声が漏れる。
「散々虐殺しまくった貴方にとって、今さら、こんなガキの一人や二人!
数百万人の人間を殺してる訳ですからね、貴方は!!」
スカイランナーが声を荒げた。
そう。その通りだ。
今まで、私は人間を虐殺してきた。
だから、今更。
今更、遅いんだ。
『やめろ、その子を殺せばお前は術技を』
「手に入れる手段はあるんです、準備済みですよ!!!」
あれだけ虐殺した私が、今更、目の前の少女を殺さないでくれと懇願するなんて。
見逃して貰おうだなんて、虫が良すぎたんだ。
イオは、倒れた。
私は、イオを見つめることしか、出来ない。
触れても、触れても。魔法も使えずに。
私は。
「師ッ!」
黒い靄が私とスカイランナーの間に走る。
スカイランナーは距離を取った。少しだけ遅れて、その首筋に刃が光る。
あの男は。
雷のような速度で剣を振るい、スカイランナーを怯ませた男。
ああ、見覚えがある。その姿。
今日は、獅子の兜を付けていないのだな──勇者よ。
「すふっ! 久しぶりですね、剣士ッ!」
細い銀剣が振り下ろされた。スカイランナーはその剣をギリギリで受け止める。
私の隣で、ヴィオレッタはすぐに少女の体に靄を張った。
回復の魔法を、止血を始めたのだ。
手際がいい。だが。
血が、止まらないのは、当然だ。もう、魔法や医術で救える次元じゃないのだから。
イオが、体を動かして──私の前足を掴んだ。
なんだ。何かを言おうとしている。
だが、イオの口は焼かれて閉ざされていて、喋ることは出来ない。
「……【靄舞】、開け」
あの子がイオの口元に靄を掛けた。
そして、その口が、整形されていく。
イオが、涙を目に蓄えた。
落ちくぼんだ目に、光が消えていて、それでもなお、イオは微笑んだ。
そして、私に──伝えた。




