【12】ハルル VS パバト・グッピ ③【33】
◇ ◇ ◇
誰かの声が聞こえた気がする。
優しい声で、強い声で。
立ち上がれと、言われている気がした。
◇ ◇ ◇
焦げた肉の鼻の奥に張り付くような嫌な臭い。
ゆらゆらと燃える炎に立つのは、右腕と頭だけの男。
その胴体は少しずつだが肉を集めて形作ろうとしているようで、蚯蚓のように血管が蠢いているのが見て取れた。
目が血走った変態、パバトはギリっと奥歯を噛む。
「絶対に許されないぞ! 僕朕を、こんな目に遭わせたお前たちはッ!!」
「んだよ、あれっ! バケモンじゃねぇかっ!」
ガーが叫ぶとパバトは右腕をバネのように使い向かってくる。
瞬間、銃声が響いた。
パバトの眉間が撃ち抜かれた。
弾いたのは、薬師のハッチ。
その手には回転式拳銃。
「距離さえあればねっ! 多少は──」
「痛ぇええなコラァ!」
「うそおっ!?」
起き上がるパバト。その眉間の銃弾が、鶏が卵でも産むように、ぽとんと落ちた。
「どういう理屈かは分からないが、まともな攻撃は効かないとみていいんだろうね。
ただ、ハッチ。今の銃撃は、ナイスだった」
賢者ルキは左手の指を三本立てて振る。
ボッ、と地面の銃弾が発炎した。
魔法は、その場に存在する物を操り加工する技術。
そこに銃弾があるなら、火薬がある。そして空気が、酸素がある。
「燃えていろ」
火が炎となり、炎がパバトを包み込む。
だが──魔法を操っているルキは既に分かっている。
火力不足だ。殺せない、と。
そして、パバトは口から何かを吐き出した。
毒液だ。
体を毒液で濡らし、炎を消した。
それに合わせて、ルキは指揮棒のように指を振る。
「血を操る!
その肉を削ぎ裂け!」
散らばった血が浮き上がり──爪のような形になり、パバトの体を削いでいく。
だが、散らばった血の量が少ない。爆発で吹き飛んだり、土と合わさり泥となった物が多すぎた。
(奥の手はある……水は、まだある。自分の、体の中を流れる血がある。だが)
ルキは自分の手を見て──横目でガーとハッチを見る。
(ハルルも倒れている今、またボクが意識を混濁させたら……二人は、魔王の手先。
本当に信頼していいのか──)
「ルキさんッ!」
ハッチが叫んだ。
しまった。とルキが声を上げるより前に──彼女の目の前にピンク色の毒液があった。
「戦闘において、迷いは死。何に迷ったかは知らないですがね、ぶひゅひゅ」
毒液を右腕で防ぎ、鋼鉄の義手の表面が泥のようにぬめって溶ける。
(しまった、奴から目を離してしまった)
どこだ。どこだ。とルキが目で追った時──。
(なんだ。──奴は何をやっているんだ!?)
──先にガーが走っていた。
死体の黒岩大蛇へ向かって。
ルキは困惑した。その異常な光景。
黒岩大蛇に齧りつくパバトという異常な光景に、ルキは対応が遅れた。
ガーは、何も考えなかった。
ただ、敵が行う行動は、とにかくキャンセルすべきだと判断していた。
硬くなった右拳を、ただ真っ直ぐパバトに叩き込む。
それでも、遅かった。
「【物質変形】、『我が血肉となれ』」
パバトは黒岩大蛇の体を吸収していく。
ボコボコと身体がうねる。
細い腸に肉が詰まっていく時のような独特なムチムチという音がした。
◇ ◇ ◇
死んだかもッス。だって、幽霊さんが見えるんスもん。
いやいや、立ち上がれって、気軽に言いますね?
……ん。思い残した、こと? それは。
幽霊さんの姿が変わった。それは。
師匠ッス。ジンさん、ッス。
……ズルいッスね。
そうッス。死んでられないッス。
師匠に、まだ。まだ……その。
言われてないッスし、言ってないんで。
何をって。
決まってンじゃ、ないスか。
……そ、うですよ。
──。って。
伝えてないんスよ……!
だから。
こんな所で……!
死んでられないんスよッ!!!
◇ ◇ ◇
ガーは、壁に頭からめり込んでいた。
「正直、よく分からないね。弱い奴が抗うことが、理解できない」
ルキは、毒液の中で仰向けに倒れていた。
「抗わず、強い奴に従った方が絶対に賢いと思うんだよね」
ハッチは、頭から血を流して蹲っていた。
「気を失っていた方が。いや、気絶していたフリでもしておけば、もうこれ以上痛くないのに」
ゆらりと──左手で槍を握る。
「なんでハルルちゃんが立ち上がってるのか、僕朕は不思議で仕方ないよ!」
ハルルは、立ち上がった。
気合。根性。精神力。──否。
「……会いたい人に会う為、ッス」
「答えになってないなァ。まぁ、でも、いいけどねェ!」
パバトは手を広げる。
体は元の巨漢に戻っていた。更に、体には黒い鱗がびっしりと生えている。
その身体は、黒岩大蛇の死体から作られた物。
「さぁ。じゃぁ、最終決戦を始めようか、ハルルちゃぁあああん!」
「……ッ!」
その刹那。
ハルルは、背中を見せ走った。
一本道を、倒れた仲間たちを、横切って。
「……は、ははっ! いいね! いいじゃん!! それだよ、それっ!」
パバトは走る。逃げるハルルの背中を見て、ハシャぎながら。
「自分だけ生き残ればいい! それが本質だよね! それでいいんだよ!
生きる為に何かを犠牲にして、踏みつけて、貶めて! それでこそ生きるってこと!
それくらい意地汚い生への執着が一番いいっ!」
そして──ハルルは壁に追いやられる。
ここは、最初に上から黒岩大蛇が落ちてきた場所。
入り口が岩で封鎖された場所だ。この先から、ハルルたちは来た。
パバトのテンションは絶頂った。
追い詰められた少女の顔を見るのが好きだ。それが、愉悦。
「さぁ、追い詰めたよ、子猫ちゃあああああん!!!!」
駆け寄る。さながら突進だ。
筋肉のある巨漢は、恐ろしい。
拳に体重を乗せれば、その体重は破壊力へと変換される。
突進も、重い方が軽い方を容易に吹き飛ばす。
それ故。
「花天絶景──……」
緩やかに動く世界でハルルは槍を構える。
まるで棒術のような構え。突き刺す動きではない。
「……──花筏」
パバトの突進する体へ目掛けて、ハルルは進む。
その体の下に槍を滑り込ませて、突進を避ける。
その速度を残したまま、パバトを丸ごと受け流す、ただそれだけの行動。
パバトは知らない。
この壁が上から降って来ただけの簡易の壁だと。
そして、この壁の向こうが──
頭からパバトは壁に突っ込む。
ビキビキと壁が割れ──パバトはその先へ吹っ飛ぶ。
「なっ!」
この壁の向こうが──大穴だと、知らない。
パバトの巨躯が──宙に跳び出した。




