【12】変わらない場所は、残酷だ【29】
◆ ◆ ◆
不変な物は冷たい。そして。
変わらない場所は、残酷だ。
この岩も、この壁も。
変わらない。
懐かしい場所だった。
そして偶然触れたはずの壁に刻まれた、剣の痕。
剣痕に溜まった水が、一滴零れた時に、弾けて靴の上に乗った。
その一滴が、まるで体を蝕むようだった。
氷のように冷たい岩の壁から伝わる。それは。
指に染み入るのは。それは。
この冷たい記憶は、事実だった。
◇ ◇ ◇
「なぁ、ライ! 知ってるか?」
長い緑色の髪。とても楽しそうに微笑む女性。
俺より一つ上。彼女の名前は、サシャラ。
「何をだよ」
「雪禍嶺の地下大迷宮は千年も変わらぬ姿のままだそうだ!」
「へぇ。そう」
「おいおい、気分がノっていないじゃないか!
凄いんだぞ、迷宮は。歴史的に凄い価値の物が見つかったりするんだぞ?」
「……興味無いな。一刻も早く出て、皆と合流しないと」
「ほら、ライ! 振り返ってみるといい! そこだ!」
「?」
「夜のように黒い外皮に燃えるような赤い目!
黒岩大蛇と呼ばれる大蛇だ! 希少魔物だぞ!
いやぁ~、まさかお目に掛かれるとは! あれも千年変わらぬ姿で」
「っ! もっと早く言えっ!」
「はっはー! まぁライなら瞬殺だろ? 頼んだ、頼んだ~」
「ここは狭いから大剣じゃ厳しいんだよっ!」
壁ごと斬り裂きながら、黒岩大蛇を叩き斬った。
剣痕は、この時のだ。
「流石、ライ。お見事~。ひゅ~」
サシャラは男勝りな性格で、カラッとした太陽みたいに笑う人だ。
少し荒れた無骨な喋り。
その中に時折魅せる気品が、夜に光るガス灯のように綺麗だと感じた。
いつからか。オレは、この人に惹かれていた。
「流石、ライ。カッコイイじゃないか!」
「……止せっての」
「はは。照れてるのか? その獅子面、取った顔が久々に見たいなぁ」
「照れてなんて無いっての」
──今と同じように、仲間たちと散り散りになって飛ばされた地下大迷宮。
その日は、初めてサシャラと二人きりだった。
俺は、十六歳で。サシャラは十七歳で。
まだ、少年と少女って言っても通用する年齢で。
星空みたいな鍾乳洞で、俺はサシャラの手を。
「見てみろ、ライ。星空みたいだぞ」
「だなぁ」
笑うサシャラの顔を覚えている。
まだ、少年少女で通用する俺たちは、湧き出たばかりの水のように純真だったから。
俺は、あの人の手を握れなかった。
サシャラは、どう思ってたのか分からない。
死んだ人の気持ちなんて、どうやっても分からない。
なぁ。あの時、俺が手を握っていたら、握り返したのか?
なぁ。あの時、さ。
「ライは、この戦いが終わったらどうしたい?」
「……そうだな。俺は……田舎で店でもやりたいな。……宿。いや、喫茶店、とか」
「それの複合でやってしまえって! 宿屋兼喫茶店! そして田舎じゃなくて都会でやってくれ」
「なんで?」
「交通の便が悪い。あと虫が嫌いだ」
「……じゃぁ、人が少なそうな都会で」
「それは都会と言わないな。はっはっ」
少し笑ってから、俺は獅子の兜を外した。
「久しぶりに見たな。素顔。だいぶ、男の顔になったんじゃないか?」
「そうか? ……いや、まだ幼過ぎるよ。隊長に相応しい顔ではない」
「真面目だねぇ」
この頃の俺は童顔よりの自分の顔がコンプレックスで、ともかく見せたくなかった。
だから獅子の兜、っていう安直な理由もある。
暫くの沈黙が続いて、水滴が落ちた音が響いた。
俺は、ふと言葉を紡いだ。
「サシャラはどうしたいんだ?」
「ん? ……そうだな」
サシャラは少し沈黙し、組んだ膝に顔を乗せて困った顔した。
「ライのマスターが経営する宿屋兼喫茶店で、雇って貰おうか?」
「え?」
「なんてな。さ、明日も早い。寝ようじゃないか」
俺は。結局、最後まで何も。
伝えられなかった。
一緒に戦ってくれて、ありがとう。という感謝の言葉も。
ここまで旅してきて、楽しかった。という喜びの言葉も。
ずっと。……ずっと。
俺が、この手で──サシャラの命を。
『師匠? どうしました? 顔、真っ青じゃないッスか!』
ハルルの声に顔を上げる。
ハルルがここにいるはずがない。ただ……あいつの言葉が耳にずっと残ってるんだ。
『えへへ。大丈夫ッスよ! 師匠を泣かす奴は、この弟子が!
私、ハルルが全部ぶっ飛ばしてやるッスよ!』
ああ。そうだな。
俺は、どうしようもないダメなやつだ。
今もどこかで僅かに、サシャラのことを想う気持ちがあるみたいなのに。
その上で、俺は。どうしようもなくハルルに、惹かれている。
◇ ◇ ◇
「ジン。ぼーっとしてどうしたの?」
「……悪い。何でもない」
「くすくす。大丈夫そうなら何でもいいよ」
隣に居るヴィオレッタはくすくす笑う。
俺は、剣痕から手を離す。
ここは、もう知ってる道だ。
昔はここから一日ちょっとだった。
今はルートが分かるから、もう数時間で着く。
「ジン。78対76で私が二頭リード中だからね」
「おい、しれっと嘘吐くな。今見てたからな、77頭だ」
「……っち。ぼーっとしてた癖に」
「戦いのことは見落とさないんだよ」
「ふぅん。じゃぁ他のことは見落とすの?」
冗談めかしたヴィオレッタの言葉が、少しだけ俺の胸を刺した。
「ああ。……見落とし過ぎて、もう見落としたくないって願ってるよ」
「ふぅん。よくわかんない。でも、見落とし癖のある人って、ずっと見落としまくるよね」
「うるせぇな。自覚してれば再チェックを重ねて意識的に気を付けることが出来るんだ。仕事でもそう」
「くすくす。説教きらぁい」
「はぁ……ま。もうじきゴールだ。77対76。俺が勝ったら、しっかり自首だからな」
「はぁい。無理でしょうけどね」
「言ってろ……っつーかさ」
角を曲がり、ため息を吐いた。
「鵺竜、多くね?」
「だね。まるで仲間の敵討ちと言わんばかりだね」
「実際、全員、敵討ちなんだろうな。種族的に」
「くすくす……まぁ、私たちなら瞬殺だろうけどね?」
「ああ。とりあえず」
「早い者勝ちで、やっちゃおうか」
「そうだな。俺も……少しな」「?」
剣を握る。
嫌な思い出に囚われないように。
「暴れたい所だった」
「くすくす。いいね、大暴れ」




