【12】地下大迷宮【01】
鍾乳洞と虹色に光る蛍石。季節感を失わせる薄ら寒い空気が充満していた。
ここは地下大迷宮。
それも深層と呼ばれる階層に、彼はいた。
彼の名前は、ジン。元魔王討伐の勇者にして、今はその称号も名声も剥奪された便利屋である。
彼の手元にあった灯りの魔法が、今ゆっくりと消えた。
すると天井は無数の星のように鉱石が怪しく輝いている。
今の時間は何時だろうか。この地下大迷宮に入ってどれくらい経ってしまったか。
多分、今はもう夕方過ぎの筈だ。感覚が合っているならもう六時間も経過してしまったか。
クソ、と内心で毒づきジンは嫌な顔をした。
「おい。……その、腹減ったか?」
問いかけると隣の影は首を振った。
ジンはそのやせ我慢に、ため息を吐く。
少なくとも六時間は歩き通した筈だ。腹も減るはず。
腰にある鞄の中に非常食が入っていた。
保存が利く鼈甲飴と硬めのパン。それから蜂蜜の小瓶。
パンは火の魔法さえ使えればどこでも美味しく変わる。
少し炙れば柔らかく戻り、そこに蜂蜜を少し垂らす。
「ほれ」
「……」
ジンは『雷の灯』の魔法を使い──また辺りを照らした。
ここは空洞。目の前には浅い地底湖。
少し戸惑ってから、少女は近づいてきた。
「少し食べとかないと持たないぞ、ヴィオレッタ」
「……ありがと。ジン」
黒緑色の髪に白絹のような肌の少女。
ヴィオレッタは魔王の勢力に所属している──ジンはそう聞かされていた。
彼女もまた、ジンと戦ったことがある。
その背を大きく斬られたことを未だに嫌な記憶として忘れてはいない。
二人は特に言葉を交わさずに、その青く光る地底湖を見ながらパンを齧った。
「蜂蜜足んないんだけど」
「いや、入ってる量が少ねぇから我慢しろって」
「無理」
「ったく。ほら」
どぼ。
「おい、全部使ったな?」
「次の瓶、ちょうだい」
「ねぇよ」
「ケチ」
「物理的にねぇの!」
「準備悪すぎ。ガーちゃんなら絶対もっと用意してるし」
「悪うござんしたね。それならこれでも舐めとけ」
鼈甲飴の詰まった瓶をポイっとジンは投げた。
軽々と右手でキャッチしたヴィオレッタは目を輝かせた。
「食ったら歩き出すぞ。早くこんなところから出ないとよ」
「そうだね。出るまでは協力してよね」
「それはこっちのセリフだ。ここを出たらお前を拘束する」
「くすくす。やれるものならどうぞ」
二人は歩き出す──その刹那、通路の向こう側から唸り声のようなものがする。
人の声のようだ──だからこそ。
「疑似餌だな」「ニセモノ」
二人同時に異口同音を並べる。
ヴィオレッタは黒い靄を背中から骨の羽のように出し、ジンは腰にある白銀の機剣を抜く。
通路から飛び出してきたのは人の顔──が無数に付いた長い首。
大きさは人間の何倍もある。化け物である。
だが、なんの魔物か考えるよりも先に、二人は動いた。
そして、勝敗は一瞬で決まった。
黒い骨刃は、その顔に突き刺さり──内部より爆散させる。
白い機刃が、足から翼までを撫で斬りにし──その場にひれ伏させた。
「やるな」「そっちこそ」
巨体が倒れ、土煙が少し舞う。
「鵺竜だったか」
「何それ」
「捕食した生物の能力を体に宿していく害竜だ」
「ふぅん。食べれるの?」
「臭みが強すぎて無理だな」
「じゃぁいい」
「やっぱ腹減ってんじゃねぇか」
二人は血だまりを踏み越えて出口を求めて進む。
(しかし、このヴィオレッタという女の子。強いな。竜種に怯むことなく……。前に戦った時より格段に強くなっている)
時折、視線を合わせては外す。
(このジンって人。強いね。師の本気の時みたいな、そんな雰囲気持ってる)
「ともかく、早く出たいね」
「そうだな。それについては利害一致だ」
「じゃ、敵が出てきたらその調子でよろしくね」
「いやいや。お前も戦えよ、ヴィオレッタ」
「いいよ。貴方じゃ倒せそうにない魔物が出てきたらね」
「良い台詞回しだな。実力の無い政治家が言いそうだ」
「……」「……」
通路の向こう側、血に飢えた灰剛熊が駆け寄ってきた。
人間の肉を久々に食えると意気揚々と二人に近づいた。
だが、すぐに後悔した。
それは獲物じゃない。
それは。
人の形をした──超常の生物だ。
白刃が熊の首を裂き、黒骨が熊の眉間を貫いた。
「手、出さなくて平気だったのに」
「そっちこそ。俺が動いてから構えただろ」
「ううん、私の方が早かった!」
「いやいや、俺だろ!」
──雪禍嶺の地下大迷宮。
ジンとヴィオレッタ。
この二人は別に仲良く冒険しに来たわけではない。
──この二人が共にいる理由を説明するには、少しだけ時間を遡る必要がある。




