【10】ローズとアピア【30】
◆ ◆ ◆
「最初の公演の途中から、この私が現場を離れてしまったから
統制が取れなくなったのもある。二回目の公演なんて一度も現場にいなかったしね。
だから票を入れる層が違う所に流れてしまっただけ。
この私が現場に居たら、流れも票も変わってたし」
流れるような言い訳をまくしたてるように言うゴールドローズ。
開票後、アピアの元にゴールドローズと、その師匠に当たるでっぷりとした蛙顔の男が揃って来た。
「ゴールドローズさんが居て変わるなら、劇の評価じゃなくない」
ふと、アピアの後ろの役者の一人が呟いた。
「おい。何か言いたいならもう一度言いな。え?」
見事な正論であったが、ゴールドローズがカッと目を開いてそう脅しかけた。
が、その後、ゴールドローズ自らため息を深く吐く。
「やっぱいいや。正論だわ。……ちょっとお前さん、面貸しな。二人で話そう」
「は、はい」
「ちょーっと待つッス!」
ハルルが飼い主を守る犬のごとく二人の間に割って入った。
「ハルル」「ああ、この前のアピアの友達か」
「また、可愛がりとかする気じゃないでしょうね!」
尤もな心配である。
ケロケロとゴールドローズの隣にいる男が笑う。
「この子の心配も頷けるねん」
「……っち。おい、白髪頭」
そう言いながらゴールドローズはハルルに鞄を投げた。
「しらっ!? ──うぉっと、キャッチしたッス! え?」
「杖も鞭もその中だから。これで安全っしょ」
鞭も入ってんのかよ。バリクソ怖えな。
「海辺。ちょっと歩くよ、アピア」
ゴールドローズはアピアの隣を抜けて歩く。
後ろに居た若手役者の面々の顔を見て、何かぽそっと喋ってから海の方へ進んだ。
「ちょっと行ってくるよ。ハルル」
「アピアさん。何かあったら声を上げてくださいッス! すぐにぶっ飛ばしに行くッス!」
「あはは。心強くて死ねる。でも、たぶん、大丈夫そう」
アピアは笑った。
「アピア! 早くしな!!」
「は、はい!」
慌てて走って行くアピア。
その背を見送る。
ハルルはまだ怪しんだ顔をしているが、俺は多分だが、大丈夫だと思う。
「ローズは昔からプライドが高くてねん。
妹弟子と腹割って話すのも、二人きりじゃないと出来ないみたいねん」
ふとでっぷりとした蛙顔の男が言ってきた。
目が合う。……。
「久しぶりねん。隊長」
「ガ、ガマルか!? え? なんでそんなに体格が!」
「師匠、知り合いなんスか?」
「あ、ああ……いや、というか、ハルル。
お前ですら気付かない、というのが。いや、時の流れが残酷というか……」
「ほえ?」
「……《雷の翼》のメンバーの一人だよ」
「そうねん、そうねん」
「え、ええ!? あっ、た、たしかに。似た名前知ってるッス。たしか……」
「ガマエル・ヴァイスフートねん。ただ、ガマエルなんてなんか可愛すぎて、昔から、ガマルで通ってたねん」
いわゆる愛称である。
ああ、そうか。愛称までは世間に浸透していないか。
「で、でも。おかしいッス! 写真では、ほらっ」
さっと写真が出てきた。
職人気質のような筋骨隆々の男の写真。
いやぁ。そうね。全然違うよね。
「体格っ! 違いすぎるッス!」
「そうな。でも、顔の下半分と上半分を指で隠すと」
目だけ昔と変わらない。
「ねん。本人ねん」
十年って。ここまで人を太らせることが出来るんだな。
◆ ◆ ◆
まだ青白い月が上り、海面は夕暮れの青と赤と黒が混ざった色を映して揺れている。
ゴールドローズは振り返らない。アピアはその背中を追い、黙ってついていく。
流木が流れ着いている波打ち際で、ふとゴールドローズは立ち止まった。
「この私は、間違ったこと、一つも言ってないよ」
絞り出すような言葉だった。
「ゴーストライターをさせてたのもあんたの為になる。
それにしっかりと金になるし、戦略としては何一つ間違ってない。
それに、あんたに才能があるって言ったのも、間違ったことは一つも言ってない」
「……姉様」
「ただ方法を、この私は間違えたって、怒られたよ」
ゴールドローズはようやくアピアに振り返った。
「ごめん。アピア」
「……結果的に、役者に怪我を負わせたのは許せないですけど。
けど、自分への仕打ちに関しては、何も怒ってないです。
それに、始まりは自分の落ち度ですし」
落ち度。
アピアは舞台の設営時に手を抜いてしまって、ゴールドローズの腕に怪我を負わせてしまった。
それ以降、ゴールドローズの腕は上手く動かせない。それで代わりに書くのが、始まりだった。
だから。とゴールドローズは目を逸らして、呟いた。
「だから、ごめん。……それも、少し違うんだよ」
「え?」
「……あの事故は。わざとやったんだ」
波の音と風の音だけが、少しだけ続いた。
アピアは何も言えなかった。どういうことか、理解出来なかったから。
「あの舞台の後ろに、本当ならこの私がいる訳ない。
あれは、この私が緩めて、それで事故に見せかけたんだ」
背景の板の接合が甘かったと。アピア自身も自分のせいと思い込んでいた。
「本当は、軽く怪我をして罪悪感を負わせるつもりだった。
まさかここまで大怪我になるとは考えてなかったんだけどね」
「そ、うだったんですか」
「そう。ずっとずっと。そうやってあんたを縛り付けてたんだよ。
……今更だけど、ごめん。アピア」
「なんで、今更、そんなことを言う気になったんですか?」
アピアが、感情の分からない声で訊ねた。
「……それは」
「舞台から、降りる気なんですか?」
アピアの質問と真っ直ぐな目が、ゴールドローズは痛かった。
「それ以外で、どうやって責任を取れると思う?」
「少なくとも自分はですが。姉様に責任取って辞めてもらいたくはないです」
アピアの言葉に、ゴールドローズは目を丸くした。
「叩かれるのは嫌だし、ゴーストライターじゃなく共著にしてって言っても聞いてくんないし、
我儘だし荷物持ちさせるし、本当に酷い姉弟子だけど。
だけど、姉様はいつも真剣で……だから」
アピアは言葉を切った。
そして、拳を強く握った。
「まだ、色々教えてください。真っ当な姉弟子として」




