【10】裏町の便利屋【18】
◆ ◆ ◆
──ゴールドローズが、まだローズと呼ばれていた時代。
ローズは兄弟子部屋の掃除の途中で、それを見つけた。
鍵が開いている金庫。
ただ中身は、金銭ではなく──脚本だ。
ある意味では、金銭より価値がある。
白帽子工房では年に大小様々な競争会が行われる。
その全ての作品を、ここで保管している。
──今、ここで……一番上手い姉弟子の脚本を破棄したら。
自分がコンペで勝てる確率が、ぐんと上がる。
──ローズは躊躇った。
正しい行動をしよう。そうだ。
彼女は金庫の扉を閉めようと、扉に触れた。
でも。
静電気でも走ったかのように、手を止めた。
でも、チャンスは、活かすべきじゃない?
不正って、いつでも出来る訳ではない。
偶然か、または緻密な計画がないと、不正なんて出来ないものだ。
簡単に出来る不正なんて、すぐに露呈するのだから。
つまり……今、不正をするチャンスが巡ってきた。
誰にでも巡って来る訳じゃない。
他人の作品を破棄する。
自分の作品が受かる確率が上がる。
外の廊下を誰かの足音がする。
誰かが部屋に戻って来る。ホソデ兄様かもしれない。
時間はなかった。
選択肢はあった。
今、二つに一つを選ぶ。
他人を陥れるか、規則に準ずるか。
ローズは心の声に──従った。
「お掃除、ありがとさん」
顔を出したのは細面な男性、ホソデの兄様だった。
「お任せください、掃除くらいなら。では」
金庫は、ホソデの兄様が来る前に閉めてある。
ゴミ箱と箒を持ち、入口でホソデ兄様に会釈をしてその場から立ち去る。
ゴミ捨て場。
ゴミ箱の中にある──脚本を取り出した。
心の声に、欲望に従った。
焼却炉に放り込まれた脚本を見る冷たい目は、この当時から見に付いたものだ。
その後、コンペでローズは金賞を取った。
ライバルを一人陥れたからなのか、実力だったのか、今となっては分からない。
それが、ローズにとっては人生で二度目の金賞だった。
努力は報われる。
他人を蹴落とすという努力も必要だ。
蹴落とす。潰す。手を汚しても。
ローズはその日から、ゴールドローズと名乗る。
もう手段を択ばない。
それが、彼女のやり方になった。
◆ ◆ ◆
ゴールドローズは爪を噛みながら廊下を走り去る。
アピアの練習風景を覗き見、予想外のことが続きすぎて嫌になっていた。
──本来なら、舞台を失敗させて大恥をかかせる予定だった。
その算段は大きく狂った。
まず、ゴールドローズがアピアに出した若手代役は、全員が歌得意としない。
それどころか、演技も妖しい人物ばかり送った。
というのも今回、アピアが歌を使うことは知っていたからだ。
だからこそ、出来ない人間をアピアに送ったのだ。
だが、アピアは上手くやっていた。
そもそも若手代役とアピアは歳も近い。会話も合うのだろう。
雰囲気としても悪くない雰囲気だった。
ゴールドローズは外へ出る。
庭の壁を、どんっと殴る。
あの白髪の女の勇者が邪魔だ。歌も悪くなかった。
だけど、あれは降板させられない。
あの女の勇者はアピアの友達だからという理由でやっている。
金じゃ動じないだろう。
そうなれば、後は裏町のならず者を使って、暴力。
いや、王国の勇者相手に通用しない。
歌える姫役がしくじる。というのが最も分かりやすい失敗だった。
だが、それが使えない以上。
ゴールドローズは爪を噛みながら、部屋に戻っていた。
派手な服を脱ぎ捨て、クローゼットに唯一ある地味な服を着る。
灰色のズタボロのローブ。
髪も下ろして、汚らしく。貧民街の人間のように。
後は工房の目を盗んで──裏町に行くだけだ。
──アピアの方へ寄せた若手代役は、実力が少し欠けるメンバーを出した。
だが、だからこそか、やる気は溢れているようだった。
アピアの目の輝きを、ゴールドローズは思い出していた。
思い出し、イラつく。
あんな、まっすぐにキラキラとした目で、この世界を生きていることが。イラついた。
──今でさえ鋭いアピアの才能が、更に開花する前に摘み取ってやる。
共和国は治安が良い。街並みの清潔で、まさに文明国だ。
しかしながら、どの国も同じだが、国内全てが安全で清潔という訳ではない。
無論、芸術の都クオンガにも日の当たらない場所は存在する。
中央区域から離れた、貴族階級の人間は近づかない場所。
貧民街という程には荒れていないが、この都の中では比較的汚れた街がそこにはあった。
陽も傾き始めた、黒い街並み。
薄汚れた灰色のローブを被ったローズが歩く。
目的地に、ようやく辿り着いた。
開けっ放しのドア。中に入ると、店の中は暗い。
深い緑色のライトが壁に括りつけられた怪しい酒場。
だが、ここは厳密に言うと酒場じゃない。
「店長。久しぶり」
店長と呼ばれた男は突然の来客に少し驚いて見せた。
「ああ。ロジーか。まだ生きてたんだな」
ロジー。それはローズの偽名だ。
ローズは、まぁ元気だよ、と両手をひらひらと広げた。
「それより、頼みたいことがある」
ローズが言うと店長が手を出した。
「話をするなら席に座れ。座ったら座席料が金貨一枚」
「相変わらずのぼったくりだ」
ローズが腰から金貨一枚を机の上に置く。
「……『また』、嫌な依頼か」
「ここにしか頼めないよ。裏町の便利屋にしかさ」
そう。ここは、『便利屋』だ。
とはいえ、正規の便利屋ではない。
「ある人物を、少しの間、監禁したいんだ」
金さえ積めば汚い仕事でも請け負ってくれる。
ローズは、金貨を机の上に三枚並べた。
それが、どんな非合法でも。
「ま。ロジーの頼みなら。詳しく聞こうじゃないか」




