【10】修業期間だと思えって【10】
ゴールドローズは思い切り嫌な顔をして、腕を組んだ。
「ゴールドローズさんには」
「敬称が違うだろ」
怖い。鋭い目が向けられて、心臓が跳ね上がった気がした。
工房は年功序列。
姉弟子には、姉様。兄弟子には、兄様を付けるのが、工房内のルールだ。
無論、他人様──別業種の工房の人や、お客様の前では敬称は「さん」付けのみで会話する。
「お前さん。ちょっと調子に乗りすぎてないかい?」
そして、姉様方は、弟子を叱る時に『お前さん』と呼ぶ。
この言い方が……自分はどうにも怖くてたまらない。
それは……。痛みを伴う理由があるから。
「すみません。ゴールドローズ姉様にはお世話になっているんですが。自分は」
「また、この話かい?」
釘を刺される。
そう……この話。ゴーストライターを辞めたいというのは、前もしたのだ。
丁度……ハルルとジンさんと会った日に。
もちろん、話は平行線で……続けなきゃいけなくなった。
だから。自分名義の原稿を川に捨てようとした。
「また自尊心で自分の名前を世に出したいと。
白帽子の看板背負って立つと」
「今度は、その。自尊心、とかじゃないんです。
ただ……協力とか、編集でも名前が載ってないって……変、じゃないですか?」
アピアが恐る恐る言うと、わざとらしい深いため息をゴールドローズは吐いて見せた。
「もう一度、訊いてあげる。この私のゴーストライターを辞めたいの?」
「そう……なります」
「ふざけるな、っていう理由。分かってるね」
ゴールドローズは手提げ鞄をまさぐりながら、アピアに近づいた。
「この私の右腕がいつも震えているのはどうしてか、忘れてしまったの?」
「忘れてなんて」
「忘れてるからそんなこと言えるんでしょう!?
お前さんがこの私に怪我をさせたっていうことをさ!」
「それは」
隻腕。そういう渾名を自ら名乗っているゴールドローズ姉様。
彼女のハンデは……。
「お前さんの、犯した罪よ。この腕は」
「はい……」
事故だった。──防げる、事故だった。
自分が十一歳の時だから、四年前。
白帽子は舞台の大道具の仕事も教え込まれる。
屋外舞台の設営も慣れてきて……大道具の固定が、甘かったのを知っていた。
ただ、これくらいの緩みで事故が起こることは無いだろうと、勝手に手を抜いた。
そして、事故が起こった。
大道具の背景の絵が描かれたベニヤが裏手に落ちたのだ。
役者に怪我は無かったが……その時、姉様が腕に大怪我を負った。
右手に持った手提げ鞄から、伸縮するステッキを取り出した。
魔法使いのように一振りすると、長さは彼女の腕より少し長くなる。
「お前さん。それの償いも兼ねてゴーストライターしているんだろう?」
問いながら、ゴールドローズ姉様は、自分の頬にステッキを軽く当てた。
「……でも」
パンッ! と音が立った。
焼けるようなじんわりとした痛みが肩にある。ステッキで叩かれた。
お前さん、と呼ばれることが怖いのは……この折檻があるのも理由の一つだ。
「この私から執筆を奪ったお前さんが、どうすればいいか。
ちゃんと分かってるだろう?」
右腕が震えて、執筆が上手く行かなくなった。
だから……自分が代筆をするようになった。
「でも……ゴールドローズ姉様。
ずっと、口頭で言われたことを書き写すだけだった。はずなのに。
今では、創作の全てがっ……う」
顎にステッキの先端が押し当てられる。
「その辺りは、助かってるよ、アピア。え?
お前さんが書いて、この私が売る。お前さんにとっても良い関係だって、前も話したろう?」
返す言葉が、何もない。
そう、良い関係……なんだ。
「お前さんは、見た目に花が無い。人前に出るのも苦手だ?
その苦手をこの私がやって、売れてる。それでいいんじゃないかい?」
「……それなら、共著でも」
「ダメだ」
胸倉が掴まれ、ぐいっと顔が近づけられた。
「他人様は、特にお客様方は、この私という物語を求めてるの。
腕の怪我を乗り越え、演出も役者選定も脚本も、全て一人で行う若き天才劇作家ゴールドローズという物語をね」
「でも──」
「でもじゃない」
痛っ……次は、脇腹を叩かれた。
「急に、自我を持った人形みたいになったな。え?」
「……その」
「何に感化されて作家熱が再燃しているのかは知らないが……大人しくこの私に従ってろ。
お前さんの才能はこの私がしっかりと使いこなしてやる」
「自分は……人形じゃないです。自分の」
「自分の力で自分の名を売り出したいって? はっ。青臭い!
お前さん、どうした? そんな青臭いことを言いだして!
いいか、世の中はそんなに簡単じゃないぞ。年功序列。順番待ちが世の常だ」
そう。この世界は、年功序列だと、自分は叩きこまれてきた。
「修業期間だと思えって。昔から言ってるだろ? 悪いようにはしない」
修業期間。そうだ。まだ自分は十六歳。子供、と言われても可笑しくない。
一人でプロなんて名乗るのが、おかしいんだ。
「時期が来たら売り出しも考えておくから大丈夫だ。だから」
そう、時期を待っていればいいだけ。
順番待ちをする。それが、正しいこと。
だけど。
姉様の言う通り、自分は青臭いんだと思う。
自分の力だけで、自分の劇は見て貰うことは出来ない。
でも、分かってるけど。
「姉様は作品……もう書けないんじゃないんですか?」
思ったことを、止めなかった。
「……あ?」
「だから、自分に書かせて──っ」
ステッキで、頬を引っ叩かれた。
痛い。そのまま膝をついて蹲る。
あはは。死ねる。失敗した。
「舐めた口を利くね、お前さんは!
いつからこの私に説教できる程偉くなった!? あぁ!?」
超、怒らせちゃった。
やばい。痛すぎる。
ばちん、ばちんと背中が叩かれている。
痛い。
そうだ……当然か。
自分がこの人の右腕を不自由にさせてしまったんだ。
当然だ。償いしなきゃいけない。
そんな奴が、ゴーストライターを辞めたいなんて、おこがましい。
だから。
「どんな理由があるかは知らないッスけど。暴力は駄目なんじゃないッスかね?」
顔を上げる。
銀白の柔らかそうな髪が風に揺れた。
ハルルだ。
姉様のステッキを、素手で握って受け止めていた。




